牛深市街にはほとんど滞在できなかった。
なぜか妙に混んでおり、つぶれていなかった港の「巨大お土産屋さん」も、何となく遠目で「やってるな」と見えたくらいだ。
路上に鍋を置いておけばビーフストロガノフができそうな天気なのに、混んでいる。
しかし街全体をみると、「のんびりしかない」雰囲気。
「のんびりしかない雰囲気」。
不思議である。
例えば、暇だからねりけしを懸命にねるとする。
一見彼はのんびりしているようにも見えるが、一方ではねりけし生成の錬金術の真っ最中なのだ。
しかしこの牛深の雰囲気。
「暇だからねりけしを懸命にねるわけだが、肝心のねりけしがない状態でそれをしている」とでもいうか。
目的のないのんびり。
ただ、よくよく考えると暑い日はこんなものなのかもしれない。
暑い日の昼間に出歩かない僕にとって、純粋なのんびりっぷりが珍しかっただけだろう。
暑くて仕方がないので、みんな家の中でビーフストロガノフを作ってるかもしれない。
どこかで昼ご飯でも食べようかと思っていたが、何となくカーを降りるのもおっくうになり、そのまま宿へ戻るとする。
途中、トイストーリーを模した手書きの看板を発見し、写真に収める。
そのデータがどこにあるのか、今も全然わからない。
月: 2011年8月
ちょっとそこまで。27
昔ヘビのたくさんいた道は、見てくれはそのままだったが肝心のそれはいなかった。
丘を横切るその道を抜けて、このまま牛深市街へ行ってみることにした。
僕にとって牛深市街は、4つほど思い出がある。
初めての一人旅で熊本へ。
そこからバスとフェリーを駆使して牛深港に着いたとき。
港の浅瀬に小さいフグがいた。
今でこそミドリフグという名で売られている小さいフグがいるが、そのときはそんな小さいフグがいるなんて知らなかった。
子供だったのかもしれないが、その愛嬌っぷりのせいで覚えているのだ。
同じ牛深港近くにあった定食屋で食べたちゃんぽんとかき氷。
異常にうまかった。
特にかき氷は、でかい氷を専用のシャリシャリ機で削ったもので、たぶん削り目が細かいのだろう。
あれを食ったせいでその後一度もかき氷を食べなくなってしまったくらいだ。
サムライスピリッツというゲームの橘右京というキャラクターが細雪という、剣をしゃしゃしゃやる技を持っていたが、彼が氷をしゃしゃしゃやったら、このかき氷ができると思う。
キン肉マンという漫画でブロッケンJrというキャラクターがベルリンの赤い雨という、それだけじゃ何だか全然わからない技を持っていたが、彼がプリズマンをしゃしゃしゃやったら、カピラリア七光線を跳ね返せると思う。
谷崎潤一郎という作家が細雪という、筆をしゃしゃしゃやる技を持っていたが、彼が原稿をしゃしゃしゃやったら、この傑作ができると思う。
もういいか。
そして潤一郎、このメンツに遅れをとるか。
もうこの店はなく、とにかくうまかったことしかわからない店になってしまった。
牛深市街には、スーパーの寿屋があった。
ずいぶん昔だが、当時はおそらく牛深市民の生活を一手に担っていただろう。
そんな迫力を覚えていたのだが、いつの間にかなくなってしまったようだ。
なんと、その閉店のことがらはウィキペディアにも載っている。
やはりその影響は大きかったのだろう。
そしてそれと前後してか。
港近くにいつの間にかできていた「巨大お土産屋さん」がつぶれたという噂。
これは思い出とは少し違うが、え、あの市営っぽいお土産屋さんがつぶれた!?と驚いた。
牛深市街へ向かうのは、以上の確認なのである。
ちょっとそこまで。26
散歩から戻るころには、夕立まがいの通り雨がうそだったかのように晴れまくり、路面はもう乾いている。
南天でやることはもうひとつあった。
車に乗り込んだ僕は、右足でアクセルとブレーキを交互に踏んだり、両手でハンドルをいい具合にさばきながら、車を色々なところにぶつけないように運転した。
その目的地は案外近く。
というか、たいしてまとまっていない。
道だ。
コンクリートで舗装されてはいるが、かなり乱暴な道。
多くの枯れ枝で覆われたそこは、「あそこあんまし通りたくないな」と思わせるに充分な品格。
ここが僕の父親を希代の蛇ぎらいにし、僕もビビらせたロードなのだ。
小学生だった僕は、そのころトカゲに凝っていた。
なぜトカゲだったのだろう。
ギラギラした光沢だろうか。
しっぽが切れるところだろうか。
いや、たぶん手足とその付け根が人間みたいだったからだろう。
まあトカゲに熱を上げていたわけだが、僕はトカゲを見つけるにはどこがいいかを尋ねまくり、その道を知ったのだった。
歩いて20分くらいのところにある、山道入り口。
そこから10分程度かけて丘をのぼりおりする。
そんな道だった。
その道に、語るところは少ない。
ヘビばかりなのである。
脇にマムシがいるのが見えているので、道の真ん中を歩けば、車にひかれてちぎれたヘビ。
また、晴れているのに活発じゃないものだから枯れ枝なのかヘビなのかもよくわからない。
しかしちゃんと見てみると、かなり多くのヘビが道路上でじっとしているようだ。
食べられてしまったのだろうか。
トカゲは一匹も見つからなかった。
そんな道で、とてつもなく恐ろしかったのが「木の枝から垂れてるヘビ」だった。
完全に誰かがゴムのおもちゃを仕込んだ。
そんな出で立ち。
ヘビもリラックスしてたらあんなことになるんだと思った。
そんな道を経験してから、今でも年に一回くらい、町中に小さいヘビが現れる夢を見るようになった。
道のヘビは動かなかったのに、すばしっこいんだ、夢のやつは。
ちょっとそこまで。25
海岸とはいっても、黒石海岸には申し訳ないが白い砂浜という感じではなく、やや黒石ごつごつの海岸だ。
しかもこの黒石、やたら滑るので、クロックスもどき装備の今の僕が歩き回ることは、何かのフラグを立たせる。
しかし砂浜部分もあるので、いくつかあるタイドプールに向かって歩き出した。
何も考えていなかったが、たまたま引き潮というのは都合がいい。
満ち潮だったら浜全体が海に埋もれてしまうので、まあ眺めるだけにするかということになっていた。
しかし引いている。
引いている海岸は、かなり楽しいことになっている。
まず、漂流物だ。
珍しい生き物が流れついていて面白いこともあるけど、たいがい死んでいる。
一方で人工物も多様で、単なる発泡スチロールだったとしても、それは海で捕まえた生き物を入れるのに便利であったり、海に投げて遊んだりとゲームボーイ並みのプレイバリューだ。
そして角の取れたガラス。
おはじき状のそれは、集めだすと熱中する。
それは貝殻集め並みで、集めた後の奇麗さと、集めた後の案外じゃまくさいっぷりは、それを越える。
波の、寄せては引く寄せては引く運動に付き合うのもいい。
サルにそれを教えると、死ぬまで「寄せては引く寄せては引く運動」で遊んでいたらしいし。
タイドプールへ行ってみよう。
南天の黒石海岸は、引き潮のときはいい具合のタイドプールができる。
昔はたくさんいたけど、今では鋭利な貝殻ばっかくさいカキが覆う岩肌を注意しながら進むと、油断したカニやハゼが取り残されたタイドプールがいくつもある。
小さいプールは煮えるような熱さになるにもかかわらず、小さい魚がどうにか生きながらえているのが不思議だ。
ここには生き物がたくさんいることもあるが、なかなかのレアアイテム「ウニの殻」があることにも注目したい。
割れやすいそれの、完全版はかなり珍しい。
見つけたと思っても、それは片半分が欠けていたりするのだ。
岸からだいぶ離れたところまで歩くことができたが、その途中でクロックスを貫通する何かを踏む。
それは、足を踏み込んだときのみ少し刺さるといった案配で、普通に歩く分には影響がない。
しかしときどきそうくるものだから、もうタイドプールはいいよという気分になってきた。
それでも「引き潮の境い目」まで来た。
ここにはフォッサマグナ並みの溝があって、昔ここを潜ったときは、ニモが顔をつつきにやってきた。
今もつつきに来るだろう。
海底近くの岩肌には小さい穴があいていて、そこは「必ずタコが住んでいる」ことでnimbus7942仲間(家族のみ)間で有名だ。
今もいるだろう。
ただし今日はやめておこう。
ニモにつつかれるのも、タコを掲げるのも、ちょっともうファンタジーじみてすごい。
ちょっとそこまで。24
数は少ないが、やたら飛ばす車が走る道路を渡ると、もう目の前は海だ。
浜辺に下っていく階段を、砂でレンタカーが汚れることも考えずにかけおりる。
と、途中で止まる。
それは大量のフナムシに臆したわけではなく、ここには昔、なんだかでかいマメ科の植物がたくさんあったことを思い出したからだ。
僕は植物のことはよくわからず、この階段の周りに生えている草を見ても、それがその植物なのかどうかも思い出せない。
しかしなぜマメ科の植物であるかを指摘できるかというと、まさにマメをそいつが育んでいたからであって、しかもそれが大きいのである。
故に覚えていた。
もしかしたらまだあるかもしれないと、海岸にも降りずに探したが、よくわからなかった。
そのマメを大事に採取したような気もするが、それもどうしたか覚えていない。
結局、巨大マメの痕跡は記憶にしか残っていないのである。
階段を降り終えると、さらに大きくなって海は僕の前にあらわれた。
カニが穴を掘って暮らしていた土壁はコンクリートで固められてしまっていたが、それ以外は何も変わらない。
夏休みで遊んでいる子供が2人。
子供がいることも変わっていないし、それは確か昔からいつも2人だった。
人数も変わってない。
僕はタイドプールが好きで、ファミコンに飽きたときはたいがそこでやどかりをじっと見ていた。
一番気に入っていたその場所付近で、ミナという巻貝を採っているらしいご夫人が見え隠れする。
あのご夫人も、たぶん変わっていない。
ミナばっか食ってる。
変わったのは、極端に足が海水に触れるのを恐れることくらい。
ちょっとそこまで。23
いい雰囲気のバス停を過ぎるとその近くに、以前には見られなかった花壇と、モニュメント的な人工物が立てられている。
ここは黒石海岸だよ、と教えてくれている。
そうか、ここは黒石海岸だったのか。
そしてこのモニュメントには、ここが日本の夕陽百選のひとつであることが記されていた。
そうか、百選のひとつだったのか。
海まわりの夕陽はきれいだ。
だから、これを見たとき、最初は「日本には海岸が百カ所以上ある」と勝手に解釈してしまっていた。
ところがよく考えてみると、この夕陽百選の中には、おそらく海まわり以外の場所も含まれているにちがいない。
だから、もしかしたら海岸としては唯一のランクインかもしれないのである、黒石。
すごいぜ。
しかしそのすごさも、この「夕陽百選」はどれほど本気のものなのか、ということに尽きる。
本気でない、さしてやる気のない委員会が主催したのなら、ランクインしたところの多くは「ああやっぱり、あそこか」という、みんなおなじみのものになってしまうだろう。
しかし本気なら、例えば「葛飾区の伊藤さん宅ベランダ、身を乗り出して」がどうしてもすばらしく、ランクインさせちゃいました。
そんなこともあるはずなのだ、本気は。
「群馬県に住むまりもさんが所有するケータイの内部メモリ、23枚目」
「神戸市の今井さんが7歳のとき見た、おったけやま頂上からの夕陽」
本気の結果なのだとしたら、これらもいたしかたない。
むしろ後者のなどは、失われた点がむしろ高評価だ。
どうだろう。
黒石の夕陽は、これから失われゆく夕陽だろうか。
僕にとって黒石の夕陽は、失われて久しい。
今日も失ったまま、ここを去るはずだ。
ちょっとそこまで。22
お地蔵さんのある道路を抜けると、散歩としてはかなりの一大イベント、海が見えてくる。
道路をはさんで見えてきた海はきれいな緑色をしていて、いわゆるエメラルドグリーン。
いつもは、海がエメラルドグリーンなんてそんな恥ずかしいこと言えるか!!。
70年代のアイドルか何かかばかやろう。
という心境なのだが、本日ばかりはそうも言ってはいられない。
しかも都合がいいことに、引き潮だ。
散歩冥利につきる。
僕は、おいしいものは最後に取っておくタイプなので、とりあえず道路を渡る前に、海とは反対側、要は山なのだが、そちらを散策することにした。
こういうところは、山と道路の境に生き物がいたりする。
僕はここで大きいムカデを見てから、よりムカデが嫌いになった。
散策でまず目に入るのが、生き物ではなくてバス停。
南天と書かれたそれはサビがハンパなく、その形状からさほど古くないはずなのに、もう壮年期。
物は高速に動けば動くほど時間の進みが遅くなるというが、そのいいとこエッセンスのみを考えると、まあバス停だから仕方がないというところか。
当たり前のように、バスの来る本数は少ないが、かようなところでも落書きがちゃんとあるのが微笑ましい。
まとめると、ここはいいバス停だ。
最近、ようやくバス停の良さがわかってきた気がする。
散策を続ける。
ちょっとそこまで。21
天草は僕が小学生のとき、夏休みに訪れたところだった。
1ヶ月くらい滞在しただろうか。
南天の集落のある一軒で、せっかくの田舎だというのに僕はファミコンを持参、勝手に接続してゲームばかりしていた。
そして昼には突然小道に現れる野犬、夜には天井から落ちてくるムカデに、おびえてばかりだった。
1ヶ月の田舎ぐらしの割には「ばかり」が多く、要はイベントが少なかったわけだ。
それが田舎なのかもしれないが。
しかし、そんなゲーマーな僕でも海の魅力には勝てなかったとみえる。
散歩をしていると、宿泊先から海岸までの道のり、その場所すみずみにいたるまで、けっこう思い出すことができた。
まず、海岸までの道のりには、海に出る少し手前にお地蔵さんがまつられている。
小学生の時は、このお地蔵さんの足下に、東京では見たことのないような形状のゴキブリの死骸がたくさんあった。
今思うと邪教の催し物だったのではないかとも考えることができる。
しかしその頃はそういうものだと思っていた。
お地蔵さんに供えられた物を食べると、見たこともないような形状のゴキブリの死骸になる。
うそである。
僕はそんなに、夢見がちな子供ではなかった。
ゴキブリのこともサツマゴキブリというやつであることは知っていたし、お地蔵さんの供物をどうこうしてもバチはあたらないだろうと考えていた。
そしてそもそも、それほどお地蔵さんについて、注目していなかった。
僕が感じたのは、サツマゴキブリの死骸って、黒い小判みたいなんだ、ということだった。
海へ出ようとしたとき、このお地蔵さんを見つけた。
さっき車で通ったときもあることを確認していたが、その足下は見えていない。
まだあるだろうか。
子供の頃に見た、黒い小判が。
お地蔵さんは、意外と言っては失礼かもしれないが、こぎれいにされていた。
そしてもちろん、黒い小判はなかった。
「以前はああだったけど、今はどうか」
その確認は、この旅行の目的のひとつだ。
この確認のおかげで、僕はひとつ、自信を持ってあることを言うことができるようになった。
「南天のお地蔵さんには黒い小判があったんだけど、ないときもあるんだ。今はわからないけど」
ちょっとそこまで。20
南天に知った人がいる。
とは言っても面識がほぼないという、サプライズを仕掛けるには少々難敵というのが、気になるところだった。
しかしその人は、突然現れたあまり面識のない僕を快く迎えてくれた。
おじゃまと思いつつも上がり込み、他愛のない話を長々としてしまった。
しかしどうしたことだろう。
その人には既に親戚の方が訪問していたのである。
これがサプライズというものだ。
こっちがびっくりした。
こりゃ申し訳ないと、お菓子を渡してほうほうのていでおいとました。
親戚の方の中には僕を知ってくれている人もいたが、こちらはあせるばかりで思い出せず。
知らないやつが突然訪れて、マドレーヌを置いて去っていくという、よくわからない訪問となってしまった。
結構不審者で、あわてて退散するさまをみても、親戚の方には詐欺をやるものに見えただろう。
ごめんなさい。
しかし考えようによっては、知らないやつが突然マドレーヌを渡して去っていくというストーリーに、何かときめくものを感じる人もいるやもしれない。
そして今、何かマドレーヌって言葉がひっかかっていたのだが、それが「マタドールに似ている」ことである点についてひっかかっていたのだと分かった。
知らないやつが突然マタドールになって去っていくというストーリー。
ぜんぜん面白くないが、気になる点はある。
知らない人とマタドールというのは、どうもイコールで結びづらいところだ。
というのも、知らない人だがマタドールであることは分かっているのだから、「知らなさ」という点においては「知らないだけの人」よりも格段に「知っている」ことは明白だ。
そしてそもそも「突然マタドールになる」というのも難しい。
衣装や赤いマント、そして牛がいないことには、マタドールになるというのは難しいのではないだろうか。
そして牛を去らせろよ、お前が去るな。
マタドールについては、この程度だ。
しかし、牛はいないが豚はいる。
南天には豚を飼っているところがあるのだ。
おいとました僕は、そこいらを散歩することにした。
ちょっとそこまで。19
そこにはバス停があるはずなのだった。
南天。
しかしネットで調べてもいまいちな反応。
ネットとしても不安なのだろう。
「そこ、ほんとにあんの?」
牛深市を目指している理由というのは、その南天の場所がいまいち絞れないからであって、とりあえず街へ出てから考えるか、という軽い気分だった。
しかし市街へ到達するずいぶん前から、なんとなく見覚えのある町並みへと車を走らせていることに気づいた。
南天が近いのだ。
魚貫(オニキ)を通り過ぎると、僕が小学生の夏休みに過ごした岩だらけの海岸が少しも変わらず現れた。
今日は引き潮。
間もなく、バス停が見える。
たぶん恐ろしく錆びているだろうが、おそらく南天のはずだ。
小道に入る。
おそらく何もかわらない、お地蔵さんがまつられているはずだ。
何もかわらない空き地に車をとめる。
「炭坑で栄えた町」という言葉がぴったりな、ごく小規模の集落が見えるはずだ。
後ろが山で、前が海というプレイバリューあふれる立地。
近所のお店は20年ほど前に閉店して、それ以降ない。
炭坑はそうなのだろうか。
えらくもろくて崩れ落ちそうな山肌。
でも、今回はいることができないけど、ここの星空のすごいことを、僕は知っている。
南天、到着。
12時過ぎ。