今では「さけるチーズ」という名前になってしまっただろうか。
ストリングチーズをはじめて見たときのことは、今でも鮮明に覚えている。
とはいっても優れた比喩が用意されているわけでも、飛ぶ鳥落とすボケがあるわけでもない。
とにかくそれは、たてに裂ける以上の何者でもないのだ。
しかしそれでも「チーズがたてに裂けてる!!」「食べたい!!」というあのときの衝動は、人生の衝動ベスト10に入るような気もする。
そのくらいだった。
悲しいかな。
子供のころはチーズを買うおこづかいもなく、母親へ購入を促してもその理由が「たてに裂ける」だけでは強く提案もできず。
現在に至る。
今では自分で買うこともできるが、しない。
「あの糸みたいになったところを食べたらどうなるんだろう」というときめきの消えるのが惜しい。
だから買わない。
味が分からないので、僕にとってストリングチーズは頭の中で裂かれるイメージしかない。
そしてイメージにしろ本物にしろ、何の料理に使えばいいのか分からないから、もう本当に裂かれ続けるしかないのである。
月: 2011年8月
わた毛
クラシックを聴きながらぼんやりしていると、耳の中がかゆいような気がしてきた。
耳かきを探すと、例のわた毛が取れてしまった、短い耳かきが見つかった。
僕はあの、耳かきのわた毛があまり好きじゃない。
何度か使うと茶色くなるし、猫がいつもアレをなめるのだ。
だからうちの耳かきのわた毛はいつもぱっさぱさになっていた。
その耳かきを手にとり、何かメモったりしながら耳をかき始めた。
こういうのをけがの功名というのだろうか。
耳かきを終えたときに気づいたのだが、どうやらわた毛が取れて先のとんがっていた耳かきを、スプーン側を使っているつもりでとんがり側を使っていたようだ。
そして、すごく大きい耳あかが取れた。
これは結構すごい発見なのではないかともう片方の耳で試してみる。
こんなとき、本当に耳が両側2カ所にあってよかったと思う。
対照実験としてやりやすいことこの上ない。
しかし本能が、とんがり側をスプーン側のように使うのをためらうのか。
大きい耳あかは取れそうになく、耳の中が痛いだけだった。
片耳だけ痛いのは、けっこう嫌なものだ。
その差異ばかりが気になって、どうもちゃんとぼんやりできない。
そんなとき、僕の好きな曲が流れてきた。
僕は姿勢をただし、耳に穴があくくらい、よく聞くことにした。
負けられない気持ち。
マラソンか駅伝かの選手がインタビューに答えているところを見た。
後半のスパートで見事巻き返した彼によると、「負けられないという気持ち」が芽生えたのだそうだ。
これを聞いたとき、僕は何かのエッセイに書いてあったことを思い出した。
「長距離選手は競技後半、過酷な条件のときには脳内麻薬が出ているから、むしろ陶酔したような状態なのだ」という旨の内容。
もし、本当にそうなのだとしたら。
そしてそれだけなのだとしたら、冒頭の彼は「相手よりももっと気持ちよくなろうという気持ち」によって勝利を手にすることができたのだと言える。
もちろん、これではランナーに対して失礼な気がする。
たとえランナー間では「ラストの気持ちよさがはんぱない」というのが通説になっていて、むしろ視聴者その他が勝手な純朴さをランナーに抱いていたとしても、だ。
そして僕には長距離の思い出がある。
確か10kmだったか。
僕にとっては対馬から望む釜山くらいに遠く長い距離だったが、そこにあったのは陶酔や気分の高揚ではなく「つらっ」だった。
そして「つらっ」以降、特に何も覚えていない。
つらかったしかないのだ。
いや、それとも陶酔の果ては「何もない」なのだろうか。
そうなると冒頭のランナーはこうインタビューに答えざるを得ない。
「負けられないという気持ちがありましたが、最終的には何もありませんでした」
「無でした」
ランナーの尊ばれる理由が、またひとつ。
対処法
日本のことなのだが、毒蛇に噛まれた対処法は「何もしない」が一番いいのだという。
それは日本に極めて強力な毒を持つヘビがいないこと。
そして素人発想による暖めたり冷やしたり切開したりというのが、むしろ症状を悪化させてしまう。
そういうことに起因した「何もしない」。
包帯で縛ることすらやらなくてもよい。
やるとしても患部と心臓のあいだに、幅を広く、しかも相当緩くやること。
そしてあせらず、すみやかに医者に行くことだそうだ。
となると、「毒蛇に噛まれた人に対し、やたらと自慢話をしてくる人」というのは、かなりのものであることがわかる。
通常、人はヘビがいただけであせり、それで噛まれたなどというとたいへんだ。
そんなときに「何もしない」というのはなかなか難しい。
「毒蛇に噛まれた大変だったけど、どうにか生還しました」という旨の自慢でさえなければ、噛まれた人を動揺させることもなく、しかも、どうでもいい自慢話はなんとなく相手の代謝を下げそうな気もする。
「何もさせないために自慢話を聞かせる」というのは、案外いい方法なのではないだろうか。
だから、キャンプなどへ出かけるときは自慢話ばかりするやつを連れて行くとよい。
料理中などには格好のいじられ役にもなってくれそうだし。
もちろん、自慢話ばかりをするやつが毒蛇に噛まれることもあるだろうが、安心してほしい。
彼彼女はそのとき、まさに「毒蛇に噛まれた大変だったけど、どうにか生還しました」を体得できるという気持ち一杯で、元気なはずだ。
名刀2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
名刀膝切丸ってなんだか弱そうだけど、すごい切れ味だった。
=====
実録!!
この名刀は弱そうだ集。
名刀耳かき丸:
こういうのが楽でいい。
菊:
これで「きくひともじ」と読む。
名刀おがくず丸:
こういうのがほんと、楽でいい。
菊正宗:
なかなかいいじゃんと思っていたがすでに誰か考えてた。ざんねん。
一期一会:
以前は豊臣秀吉が持っていたそうな。何気にすごく強そうな気も。
名刀そよかぜ:
絶対敵倒せない。
名刀風魔手裏剣:
せっかくの手裏剣を刀として使いました。結果弱い。
秘剣たんぽぽ:
多分秘剣の入門用。
筆折りの鎚:
名刀シリーズには飽きました。
至弓かぜとおし:
言い方も変えてみました。
名銃エンプティー:
いっつも玉入ってない。
筆圧の太刀:
なでる感じ。
妖刀卒塔婆:
妖刀の名には恥じないけど、折れやすい。
聖剣メルティキッス:
エロゲーかなにかであるんじゃないか。
名刀膝打丸:
一文字変えるだけで、いいアイデアが浮かびました。
これなら、いろんな名刀がたくさんありそうですね。
おわり。
名刀
名刀膝切丸とメモにある。
なんとなくどこでそれを見たのか、覚えている。
そして調べてみると、いろいろ分かる。
しかし問題なのは膝切丸という名前だ。
何かの本で読んだことがある。
剣術として、試合一番に相手の腱だかスネだかを切り、あとは煮るなり焼くなりしちゃう流派があったという。
左道扱いだったというが、一方ですごく有効なのだろう。
ただ、そのことを踏まえたとしても「膝切丸」。
なんか致命傷を与えるには不足、むしろはさみくらいなんじゃないかという印象を与えないだろうか。
日々の生活において、別に膝を命に影響を与えない、軽視しているわけじゃない。
少なくともピザよりは重要視しているから、膝と十回連続で言ったこともあるくらいだ。
しかし名刀というくらいなんだから、膝よりももっと切るところがあると思う。
まあ、こういう風に考えることもできる。
「いたって普通の刀だが、膝を切らしたらすごい」
膝の切れ味がすごい。
これなら膝切丸と名付けるしかない。
名の由来を調べてみると「相手の両膝を一太刀で切断した」とあるので、それなら名刀だねと納得もできる。
しかし今度は、さっきまでの「膝切丸ってなんだか弱そう」という気分の持って行き場がない。
ということで、明日に持ってく。
聞くにたえない。
以前、「てふてふ」を本当に「てふてふ」と読みたい場合のことを考察した。
現代の日本では、国語の授業で「てふてふ」を「ちょうちょう」と読むように強要される。
それを守らないと、テストはゼロ点だし、「あいつ、てふてふって読むことで目立とうとしている」と思われる。
結果、日本には「てふてふ」というものは存在しないことになっているのだ。
小説や漫画などで時折、見られる表現がある。
「聞き取れなかった言葉、何を言っているのか分からない言葉」を記号の羅列で表すものだ。
確か手塚漫画ブラックジャックでは、あるシーンの罵詈雑言は「$#(|\#”=~~!!」みたいな感じだった。
もちろん、こういうのを「×××」で表現する小説もある。
このときは簡単だ。
「ばつばつばつ」とか「ちょめちょめちょめ」でやり過ごすことができる。
「ちょめちょめちょめ」でやり過ごした場合、別の問題があるけど。
一方の「$#(|\#”=~~!!」的なもの。
国語の朗読で「$#(|\#”=~~!!」が出てきた場合、どう読めばよいのだろうか。
恐ろしく皆無だろうが、もしかしたら犯罪的理由で「$#(|\#”=~~!!」な内容のエッセイを載せてしまうかもしれない、教科書の会社。
そんなときに備えるのだ。
例えば現状で「成田、次の段落読んで」と読み始めた文章の中で。
「$#(|\#”=~~!!」があったらどうなるだろう。
僕は、そのときの教室の感じをイメージすることができる。
成田「私は雨が降ってきては大変と思い、水に溶けることで有名な向かいのおばさんに声をかけました」
成田「すると、向かいのおばさんは慌てた様子で、私にこう言ったのです」
成田「えーと、ドル、シャープ・・・」
先生「ああ、そこはいいよ。次の「もう唇が溶けてる!!」のところからで」
確実にこうなるのである。
先生の、そこはいいよ発言。
このときの教室の雰囲気って、結構いやな感じがする。
ああ、例のところか。
どうせ読めないんだから、なんかもんやりしてしまうだろう、と。
そもそもこの雰囲気は、このフレーズの入った授業であることが分かった瞬間から出てきているだろう。
そして「成田、次の段落読んで」と先生が指摘したとき、ピークに達する。
成田にあそこを読ませるなんて、先生も人が悪いよ。
それは中学校における「高村光太郎のDT」問題に類似している。
「てふてふ」の場合は、まだ読み方がある分、ましだ。
「ちょうちょう」でいいし、カリキュラム上等で「てふてふ」と読んでもいい。
しかし「$#(|\#”=~~!!」はどうにも読めない。
そして読めないことが分かっているのにそれをあてがわれる「もうなんだかスベりました」の雰囲気。
こういうのを網羅してもらいたいんだ、現代国語には。
ちょっとそこまで。41
熊本市の豪雨は、レンタカーへ給油するために寄ったガソリンスタンドの店員さんを翻弄した。
海の砂まみれだった車内の掃除を頼んだ僕も悪かった。
次々来るお客さんと雨粒を一人だけでやりくりする。
車内清掃は悪いことした。
レンタカーの貸し出し時間を少々オーバーしたものの、かろうじてレンタカーを返却。
熊本駅近くには路線電車があるのだが、結局その線路を車で横切っていいのか悪いのか、分からずじまいだった。
仕方ないので線路を踏まないルートを探しまわり、それが少々オーバーの一因ともなっている。
熊本駅からのことは、あまり良く覚えていない。
九州新幹線はきれいだっただろうかか。
駅弁はおいしかったろうか。
座席の隣はかわいい女子だっただろうか。
箸を持つのが右、茶碗を持つのが左、箸と茶碗を持つ人の急所が正中線だっただろうか。
僕はどうやって帰ってきたのだろうか。
帰るまで遠足というのは、もはや辞書にも載っているくらいのものだろうが、あれはうそだ。
帰るために、その方に向かった時点で終わり。
そのあとは何かというと、旅という、方向を変える力が失われた結果の惰性だけ。
そして住んでいるところが引っ張る力。次のことを考える時間。
どうもこれが合わさると、どうやって帰ってきたのかわからないが着いていました、ということになるのである。
僕は惰性のあいだ、エルミナージュばっかやってた。
ちょっとそこまで。40
阿蘇の産山地方から熊本駅へ向かうのに、阿蘇のおじさんがわかりやすいルートの入り口まで案内してくれた。
牧場なのだろうか。
広々とした高原に丘がいくつも積み重なっているようなところ。
この道を右にまっすぐ行き、突き当たりを右だそうだ。
おじさんに別れをつげてその道を進む。
周りの緑がなかなか気持ちいい道だ。
ところがいくつ目かの交差点に差し掛かったとき。
ナビが右に曲がれと指示してきた。
僕はこの日の朝、宿のおかみさんの忠告よりもナビを優先してしまったため、袋小路に入ってしまったことを思い出した。
ここはおじさんの言う通り、突き当たりまで直進するべきだ。
しかし考えてみると、結果的には右に行くのだからどこで曲がってもいいんじゃないか。
そんな気もしてきた。
信号待ちも終わり、なんとなく右折してみた。
これがいけなかった。
道に迷ったのではない。
続く限りの一本道だった。
とにかくすごい霧である。
阿蘇の霧はこんなことになってしまうのか。
「白い水に突入」という叫びを最後に、目の前の道を見失わないように徐行運転した。
のならいいのだが、地元の人は慣れているのようで、通常運転で霧を払っている。
仕方ないのでそれに続く。
いつ空中遊泳してしまうのか。
ハリーポッターの何作目かに出てきた魔法の車の挙動を、普通乗用車でしてしまうのか。
気が気でなかった。
もしかしたら雲だったのかもしれない。
その霧状態は30分ばかり続いた。
へとへとになりながらもその高原をやり過ごし、あと1時間くらいで熊本というところまで来ると、そこは大雨だった。
霧を洗い流してくれるのはいいが、今度は水しぶきと轟音で日光の猿2/3分の気持ちを感ずる。
この仕打ち、なんで?。
ちょっとそこまで。39
子供のころに阿蘇へ遊びにきたときの思い出というのは、今でも濃厚だ。
近くの高原に生えている木を蹴ればクワガタが落ちてくるし、そもそもおじさんの家から一歩出ると田んぼがあり、カエルが一斉に跳ねる。
近くの小川をさかのぼると水深1mくらいになったりして、僕はオオサンショウウオがいるんじゃないかとビビった。
おじさんの車をつけているにも関わらず、道に迷うというウルトラCをかましてしまったが、懐かしいおじさん家に着いた。
おばさんが出迎えてくれた。
家の裏の水路には、カエルがやっぱりいた。
と、円滑におじさんに会った感じだが、あと30分もいられない。
新幹線に間に合わなくなる。
よって田んぼをあさることはできないし、まあ木を蹴ることはできるがそこらにある木を蹴っても気が触れたようにしか見られない。
ざんねんだ。
30分間の再会はほとんど、「唐突過ぎるわこんにゃろ」といった感じで、僕も唐突に行った甲斐があったというものだ。
今度はちゃんと連絡をするようにという、ホウレンソウにおけるレンの部分を約束し、駅へ向かうとする。
途中の分かりやすい道まで、おじさんが案内してくれた。
それにしても、おじさんの顔をいまいち思い出せなかったというのは申し訳ない。
運転しながら思っていたが、そう言えばさっきおじさんが変なことを言っていたな。
「nimbusは暗い大人になると思っていた」
そ、そんなふうに思ってたんだ。
するとおばさん「そうそう」と相づち。
結果的には「思ったよりも明るそうで、よかったよかった」なのだが、なんだこの心に響くものは。
さらに何か言っていたな。
「nimbusはとにかくハンミョウという虫がミチオシエという別名を持っているということを教えてくれた子供だ」
なんだこの「ラッシーは生きることのすばらしさを教えてくれた犬だ」みたいな感じのは。
顔が思い出せない子供と、ハンミョウのくだりしか思い出せない大人。
いいんじゃないでしょうか。