青信号になって横断歩道を渡っていると、背後から「運転代わるよ」という女性の声が聞こえてきた。
振り返ると、乳母車を押す旦那さんにかけた言葉のようだ。
僕はその夫婦のファンになった。
僕らは何をどこまで「運転」と表現してよいのだろうか。
そのことに気づかせてくれた。
例えば、これも夫婦関係ではあるが「夫の手綱をにぎって」という表現を聞いたことがある。
これだけでも十分「運転」に値するだろうが、ちゃんと言い直してみる。
「夫を運転して」
微妙でまずは使えないだろうが、ニュアンスは損なわれていない。
「夫をうまくあやつって」だ。
かぶと虫は、おしりを指でこちょこちょすると慌てて前進する。
そのやり方では、進行方向をある程度意図的に操作することができる。
このかぶと虫は、運転されているのだろうか。
チョロQを引く子供に対して「僕にも運転させてよー」
英単語としての「drive」なら全ていけそうだが、あくまで日本語としての「運転」。
それも「車の運転」の「運転」だ。
バナナシュートはどうなんだろうか。
あれは、サッカーボールを蹴り具合で曲げるのだろう。
繰気弾は。
ドラゴンボールに登場するヤムチャが放つ、操作できる気のかたまりだ。
タイピングは。
「キーボードを運転して」でぎりぎりいけるような気もする。
自分はどうだ。
いや、これはむしろ他のものよりも「運転」が合いそうだ。
ネタが浮かばない。
そんなとき「俺は自分を運転できているのか」と思う。
すると背後から聞こえるのだ。
「運転代わるよ」