フィールド

「よつばと」という漫画に、「傘がへた」だという台詞があったように思う。
なるほど傘の用途はかなりシンプルで分かりやすく、へただとかいう前にさあ、という感じ。
トトロですら、少なくとも持ち方はすぐに理解できた。
ところが見方をもう少し広げると、この傘という文化におっついていない人が多い事に気づく。
かなり初期の本ブログにも記載したが、折り畳んだ傘の扱いがへたな人が案外いるのである。
すなわち、傘の軸が地面と水平になるように持つ。
人は棒状のものを持つと、ああやって持たないと歩けないことになっているのだろうか。
そうだとしたらかなり根源的な問題である。
とにかくあらゆる状況で突けるように、などの狩猟的原因があるのだろうか。
しかしそうなると、周囲のことを気にして邪魔にならないように持つほとんどの人はどうなるのだろう。
彼らは集団生活において、何か優位なものを体得したのだろうか。
そんなことはない。
ちょっとした気遣い、その差だけだ。
傘を水平に持ってしまう人は、疲れかなにかで少し油断した。
故にかさへたになってしまったのである。
その油断は、おそらく狩猟時代(?)にもあらわれており、幾人かは油断のために「やりへた」として前の人を突き転がしていたに違いない。
先日、何となくだが「アラレちゃん」の「キーン!!」のポーズをやってみた。
両手を広げ立てた指先を見て驚いた。
思いのほか「範囲」が必要なのである。
あれはアラレちゃんが女の子ロボットであり、相応の手の長さだからかわいいのであって、そこらの人が実際にやってみると、当たり前だが腕分の領域が必要なのである。
僕は傘で突き転がす人のことを思い出した。
さすがに「キーンへた」という概念は生まれないだろうが、人というのは自分がとりうる最大限の領域よりも、ちょい狭めに生活しているのである。
パーソナルスペースとかATどうこうなのかも知れないが、僕はよく知らない。
ただ、傘をおっ立ててしまうのは、何かこの辺のことが関与しているのだろうか。
だとしたら、一概に油断だとはいえまい。
今、僕のアラレちゃんポーズが、通行人に見られそうになった。
思いのほか領域が必要なので、屋外でやっていたことを忘れていたのである。
これは油断。

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