カニバリズムとすねかじりをひねった話は多い。
落語だったか。
この考え方でいうと、「ほぞをかむ」は何リズムが当てはまるのだろう。
それは「でべそ至上主義」だ。
でべそ至上主義とほぞをかむをひねった話はあまり聞かない。
「でべそ至上主義が広まらないよ?」
↓
「なんで主張者の俺はでべそで生まれてこなかったんだ」
↓
「後悔」
↓
「ほぞをかむ」
僕はでべそに対して、何ら優劣の印象を持たない。
それはそもそも見た事ないからかもしれないし、原初的にどうでもよくない?という考えがあるからかもしれない。
それでもでべそについて一般的なイメージがあるところを見ると、原因は漫画の1コマか何かだろう。
それは明らかに、へそと思われる部分がでっぱっており、子供ながら奇妙に見えた。
しかしぎりぎり「いちじく?」と思わせる何かは、実際に見ていなかったでべその代替として、十分だった。
ほぼびわだったそれは、場合によっては命の危険もある病気である。
しかし、漫画がブラックジャックじゃなかったためか、でべそは単におとぼけキャラを引き立てる秀逸パーツだったのだ。
ここまでむりくり考えて、どうにか「でべそ至上主義」という言葉に懐古という意味を持たせる事ができた気がする。
だがその瞬間、結局でべそはどうでもよくなり、「懐古至上主義」のようなものになってしまうのだった。
懐古至上主義と養蚕をひねった話を聴いた事があるとしても、基本スルーの予定。