締まらない別れ

中島みゆきの「わかれうた」を聞いてみたところ、気になる歌詞があった。
というか、いきなり冒頭付近なのだが、なにやら「みちに倒れて誰かの名前を、呼び続けたことがありますか」という旨の歌詞。
悲哀である。
しかし、歌というものが持つ風情やおもむきを無視して、考えてみる。
「みちに倒れて誰かの名前を、呼び続けたことがありますか」
恋しい人が去ってしまったのだろうか。
ただ、気になるのがこの場合「去った人、戻りにくい」である。
もし去った人の気持ちが変わり、「もう一度やりなおすか」と心機一転戻ろうとしたとき、「そんなこと」になっていたら。
ミュージカルである。
素通りするしかないような気がする。
そこで「みちに倒れて誰かの名前を、呼び続ける人」にかまってしまったら、周囲に名前がばれてしまうし。
いや、名前がばれるくらいならいい。
相手は倒れているのである。
どうしても「相手を傷つけまくった○○」という構図が、名前を呼び続けられることで生じてしまう。
そこに満を持しての登場と、あいなってしまうのである。
どうしても周囲の目というものを意識せずにはいられないじゃあないですか。
一方、「そんなこと」になっている側にも問題がありそうだ。
「みちに倒れて誰かの名前を、呼び続けてしまう」ことが、愛想を尽かされる要因のひとつであることを認識すべきである。
「みちに倒れて」もだめだし、「呼び続ける」のもだめだ。
ミュージカルすぎる。
さらに、去った人が戻ってきちゃったときのことを考えると、おちおち「みちに倒れて誰かの名前を、呼び続けてしまう」ことなんてできないとも言える。
呼び続けていたら戻ってきた。
「おいおい戻ってきたよ・・・」
内心そう思うことうけあいである。
今回はずいぶんひどい内容。
しかし大丈夫。
「みちに倒れて誰かの名前を、呼び続けてしまう」ことなんてそうそうないから。
そしてこれを頭の中でやる分には一向にかまわないことだってのは、多少心得ているから。

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