今テレビでやっていた、高所での人間模様が目についた。
簡単だ。
高所が得意な人と、苦手な人の模様である。
超苦手ではないが、確実に得意ではない僕の見解からすると、高所の苦手な人が見せる動向に、他意はない。
いかにして高所から逃げるか、下に下がっていくことを望むか。
これだけである。
一方の得意側の動向は、ちょっと変な気がする。
高いところで優位なことといったら、僕は景色しか思いつかない。
ところが、特にテレビだからだろうか、高所得意側には「高所苦手側に対する、得意側としての誇り」みたいなものが見え隠れするのである。
ジャンプしその場所を揺らす。
必要以上に下を覗き込む。
手すりによりかかる。
これらの「やんちゃ行為」は実は、得意不得意にかかる行為ではない。
しかし得意側には不得意側に対する誇りがあるため、やってしまうのだ。
小銭を探している。
近所の人が歩いている。
展望台の手すりに、金箔がついている。
こういう理由があれば、誇りどうこうに関わらず得意側、不得意側ともに先ほどの「やんちゃ行為」に理解が示せるはずだ。
しかしそんな理由はないため、片や誇り、片や理解不能なやんちゃ行為として、互いの溝を深める要因となってしまう。
高所において、彼らが本当の意味で手をつなぎ合うことはないのである。