サッカーの試合を見ていると、ときどきボールが場外へ出てしまうことがある。
そのとき、近くにいた両チームの選手達が一斉に手を挙げるのだが、僕はあれを「自分が出しましたと、審判に申告、主張している」と思っていた。
紳士のスポーツというわけである。
しかし人にたずねてみると、あれは「自分チームのボールである」という主張なのだそうだ。
このとき、僕は「なんだかなぁ」と思った。
ボールを出した選手は、自分が出したことを認識しているはずだ。
それなのに場外へボールが出るたびに、特にどちらが出したのかが分かりづらいシーンで、とにかく両チームの選手とも、手を挙げるのだ。
どちらかが、うそをついている可能性がある。
しかし、考えてみれば選手というもの。
勝ち負けにこだわらなくてどうするといった面があるため、誰が出そうが手を挙げて自チームのボールであることを主張するのはなんら不思議ではないのだった。
サッカーに疎い僕にその人は、ゴールが決まったとき、付近の相手選手が手を挙げるのも、とりあえずオフサイドを主張するという、これと似た考えによるものではないかと教えてくれた。
さて、今回の話で何かしらポイントがあるとすれば、この話が閉じていることだろう。
要は、僕と人、二人だけの中の話である。
こういう場合、僕にはまだ「選手たちの考えも、僕の思っていたことと人の思っていたこと、二通りの考え方があるんじゃないか」と思う猶予がある。
ボールの出たとき、テレビ画面にチームAの選手とチームBの選手が、挙手した状態で映し出される。
このとき、チームA選手は「すいません、俺が出しました」と挙手し、チームB選手は「うちのボールです」と挙手。
こういったことが起きているのではないだろうか。
と、こう書くと、このボール出事件はなんら問題なく解決するはずである。
チームAが出したと言い、チームBのボールでゲームが再開する。
しかし残念ながら、そういったシーンは見たことがない。
あまりサッカーの試合を見ないので、見てないところではそういったことが起きているのかもしれないが。
悲しいことである。
せっかくそんな紳士チームAがいるのである。
だから、こういうときは「かけ声」が有用だろう。
野球で高い打球すなわちフライを仕留めようとする野手。
彼らのあいだでもてはやされているのが「オーライ」だろう。
それを使ってみよう。
ボールの出たとき、テレビ画面にチームAの選手とチームBの選手が、挙手した状態で映し出される。
チームA選手「オーライ、オーライ」
チームB選手「オーライ?。ユア オーライ?。ノー。ノーオーライ」
ということで、まずはオーライの定義が必要そうである。
次回
閉じた宇宙が閉じたまま。