昨日からの続きですけど。
【あらすじ】
「母親らしいこと」とは、なにぞ。
先日、様々な「母親らしいこと」を挙げてみた。どれも「母親らしく」て、我ながら母親になったような気分だ。
さて。
「母親らしいこと」について。
こういうのはどうだろうか?。
「見覚えはないのだが、朝起きると家にいて、ご飯を作っている」
この情報から、その人物がどうやら自分の母親であることは間違いないのだが、いかんせん見覚えがない。
ゆえに彼は思う。
「母親らしいこと」は確かなんだけれど、知らない人だしなぁ。
ここに、新しい「母親らしいこと」が誕生した。
「手編みのセーターをくれる中年女性なのだが、やはり知らない人だ」
「母親だと言っているが、1メートル以内に近づかせない」
「すごく母親の面影のある、絵だ」
「見覚えのある母親なのだが、かなり透けていて、あいまいだ」
「お風呂が沸いているし、夕ごはんも用意されているが、自分は一人暮らしだ」
「野球の生放送で、キャッチャーの後ろの観客席ですごくはしゃいでいる、母親に似た中年女性がいた。そういえば今日、球技を見に行くって言ってたっけ」
「大事故だったが、奇跡的に無傷だった。その日は母親の命日だった」
上記のものはすべて「母親っぽいが、ちがうかも」ということで「母親らしいこと」である。
今回は、これから「母親らしいこと」に挑戦していきたいと考えている母親にとって、一味違った「母親らしいこと」ライフを提案させていただいた。
挙げた例のうちのいくつかは、見知らぬ人に対してしか「母親らしいこと」にならない点だけ、注意していただきたいが。