なにやらへんな本を読んでいたところ「○○の調査(1944年?1946年の資料なし)」ときた。
ここで「なんだよこの調査、完璧じゃないじゃん!!」と怒るやつはそんなにおらず、たいていの人は少し、文章以外のところを物思うだろう。
調査内容としては単なる資料無しだが、広く考えると「意味のある欠落」と言えそう。
TVドラマ「古畑任三郎」では、中森明菜が薄幸ただなかの漫画家の、特に薄幸部分を、もう扮しているとかじゃないんじゃないかというくらいに扮していた。
詳細ははぶくが、この回で古畑は、本来はあるはずのものがない、という点に着目。
犯人、中森明菜を見つけ出している。
普通あるものが、ない。
そのことが、あったときよりも多くの意味を持つことが多分にあるのだ。
今、テレビのリモコンが紛失状態だ。
いつも置いてある場所に、ない。
この欠落は、以下のような意味を持ちそうだ。
「違う場所に置いた可能性」
「あんまりテレビを見ないように、という警告」
「誰かがもってった可能性」
だが残念なことに、テレビのリモコンの意味とは「その場所にある」ということよりも「遠距離からテレビを操作する」が重要であり、上記の欠落による意味増加は、それをなんら解決しない。
上記の意味では、物思うことすらできない。
・・・いや、やろうと思えばできるか?。
「あのとき、リモコンを別の場所に置いてしまうくらい、落ち込んでいたんだっけ。あの夏を思い出して・・・。」
「あんまりテレビを見ないように、という警告かもね・・・。久しぶりに墓参り、行っとくか。」
「誰かがもってったのかな。でも、誰もいないし・・・。久しぶりに墓参り、行っとくか。」
墓前にリモコンがあったら、ばんざい。