以前「注文したガトーショコラに添えられているミントの葉は、食べるべきか」というのを書いた。
ハーブの扱い
その後、店員さんに葉の処遇について聞いてみたところ、「飾りですから」との、ジオン軍整備士のような返答。
このコメントは「ステーキについているパセリ」や「さくら風味のケーキ上に乗せられている花びら」など、これまで多くの人々を悩ませ、あるいはネタとして使われたそいつらを、一言でさっぱり解決させる言葉。
「この葉は食べる対象なのか」かどうか、どうこうではなく、それより一歩前の事柄なのだよ、と教えてくれる。
ところで、実際に我々がこの問題に対し、「この葉は食べる対象なのか」ということだけに執着していたか、というとそうでもないと思われる。
消防車のサイレンがかすかに聞こえる。
どこか遠くで火事があったようだ。
そのくらいほんのりだが、どこかで「まぁ、飾りだよな。食べるどうこうじゃないよな」という思いがあったような気がする。
なぜならば、店員さんに聞いた「飾りですから」を、何の疑いが生じることもなく、納得できる自分がいるからである。
しかし、我々の幾人かはそれを無視あるいはうけながし「それにしてもコレ、食べるのかねぇ」と考え、質問し、ひとりでムフフしたりする。
どうやら、物事がおもしろくなりそうな方を選択してしまう構造を持つ人間が、この世には少なからずいるようだ。
それは一見、自然の摂理に反するやっかいな性質。
しかし、それでおもろいことになれば、それはそれでOKな場面も多く、文明社会において、それに多態性を持たせる一種のスパイスになっていると、言えなくもない。
脅威のメカニズムである。