確認し過ぎる、ことはない。

今、「メントレ」を見ていたら、なにやら料理のコーナーだった。
ちゃんと見なかったのだが「すっぽんのスープ」が紹介されているようだ。
そして、それには亀の形をしたラビオリが入っているとのこと。
なんだその再確認。
これとはかなり離れてしまうが、人間というものは「再確認」をしたがる生き物らしい。
たとえ。
「あ、ねこだ。」
ちょっと気を抜くと、人はねこを見たときに、このセリフを口にする。
わざわざ口にして確認せずとも、ねこであることはわかっているんである。
しかも「a(不定冠詞というらしい)」をつけて、強調すらしてしまう。
誰に確認しよう、ということではなく、とにかく気が緩むと人は確認をしてしまうのだった。
もちろん悪いことではなく、むしろいい面のほうが多そうだが、必要性というものもある。
冒頭の亀ラビオリは「あなたが今飲んでいるスープは、亀です。」を知らせる働きを持っていると考えられるが、この通知が本当に必要なのは、実はそのスープがすっぽんのものであることを知らない人に対して、だ。
だが、すっぽんスープを飲む人は、たいていすっぽん承知の上、である。
この点から、亀ラビオリの意義を、僕は見出せないのである。
次回
亀ラビオリの意義を求めて、北へ。

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