このあいだ、会話中に何かの拍子で「求愛ダンス」と言う言葉が出た。
ふつう、あまり使わない。
何でこの言葉が出たのだろうか。
そのときの「何かの拍子」というのは、いかんせん「何か」程度なので、定かではない。
僕の人生と「求愛ダンス」について、今回の件以外で確実であると言えるのは「2?3年前にも何かの会話で求愛ダンスに触れた」ことである。
要は、今のところ僕は、多くの人よりはコンスタントに「求愛ダンス」に触れていそうだが、そのきっかけが「求愛ダンス」を引き合いに出すに値する事柄だったかどうかは不明なのである。
まぁいい。
ところで「求愛ダンス」とはなんだろうか。
僕が感じている、もしくはイメージとして持っているものは、
「オス蟹が、メス蟹の前でバンザイする」
「オス蜘蛛が、メス蜘蛛の前でバンザイする」
「オス鳥が、メス鳥の前でぴょんぴょん跳ねる」
というものである。
無脊椎動物群の求愛ダンス方法が「メスの前でバンザイをする」というイメージが100%を占めていて、怪しさと、せつなさと、申し訳なさが炸裂しているのだが、だからと言って一様に誤解のレッテルを貼られてしまうようなことでもない。
「バンザイをする」=「体が大きく見える」ことは、無脊椎動物たちにとって死活問題に直結する、非常に重要度の高い論題と言えるからである。
多くの無脊椎動物たちは日夜、危機に直面している。
危機とは「子供に捕まる」「足元にいるのに気付かれない」ことであり、「食われる」ことである。
彼らは分かっているのだ。
「子供に捕まる」ということは「自分が子供の力で捕まってしまうような大きさ」ということであり、
「足元にいるのに気付かれない」ということは「自分は小さい」ということであり、
「食われる」ことは「自分のサイズが、捕食者の捕獲器官における許容範囲に収まってしまう、場合によっては相手の口のサイズにジャストフィットしてしまう」ということを。
無脊椎動物の代表格である昆虫は、その進化の過程で、骨格の仕様を外骨格とすることとした。
外骨格法では、あまり体を巨大化できない(地上)、と聞く。
そのため彼らは「小さい」という、危険度の高いサイズで生存していかなければならないのだ。
よって、彼らの「ぎりぎりまで体を大きくしたい」「体を大きく見せたい」精神は並々ならぬものがあるはずで、オスがメスの前でバンザイするのも、メスが大きいものを選ぶのも、いわば当然なのである。
ねむたさみだれ打ち。
寝ます。
本当は「人間は何を求愛ダンスの代替としたか」みたいにしようと思いましたけど、そりゃ3回目くらいにしますわ。
次回
僕らが無脊椎動物に教えてあげられること。
お楽しみに。
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現代はムシたちもお見合いする時代になりましたとさ。
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どういうリファレンスがあるかが分からないが、とりあえず完結しているらしいので、よしとしよう。