飛び出せ

このあいだ、テレビで「仕掛け絵本専門の本屋」のことをやっていた。
仕掛け絵本というのは、主に「飛び出す絵本」のことであり、小さいころお世話になった人は多いだろう。
現在は昔のよりもギミックが凝っており、子供だけでなく大人も楽しめるものであるそうだ。
ふーん。
ところで、気になったのは「仕掛けてはならない内容の本」についてだ。
例えば「三匹のこぶた」の話なら、各ぶたが建立した、わらだか煉瓦だかの家のギミックが作動して、大変よろしい。
しかし芥川龍之介の「羅生門」で仕掛けを考えたとき、どうすればいいのかとなると、どうも。
まず、何をギミックでおったてるかとなると、羅生門しかない。
そして、そもそも「絵本」、なじみ深い「文庫」「ハードカバー」どちらで出版すべきか。
耐久性としてできるのか、「文庫」「ハードカバー」での仕掛け。
問題は山積である。
そして、同様の問題を持つものは多い。
「バカの壁」
バカの壁を仕掛けるしかないだろうが、一体何なんだ。
そして立てていいのか「バカの壁」。
「火花」
花火か、熱海の全景を仕掛ける感じか。
熱海のパンフレットか何かだろうか。
このように、「仕掛けていいのか」ということは、ほぼ「その題材が絵本に向くのか」と同義である。
もちろん、仕掛けは「飛び出す」ことばかりではないが、「もう中学生」がやっているように、どうであれ「仕掛け」は何かのんびりした、絵本的な雰囲気を出してしまうものなのだ。
それは単に「本当にのんびりな内容」というだけでなく、「いやそれは飛び出さなくていいでしょ(羅生門、火花)」「抽象的なものなのに、物質として表現してしまう(バカの壁)」ということが、牧歌的であるわけだ。
さて、ここにきて、この意見に喝を入れられかねない事象を考える必要が生じた。
「サンデーモーニング」の例のアレについてである。
明日へ。

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