なぜか台北 その51

【あらすじ】
台湾旅行。
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台湾最終日。
観光地のひとつである寺院の柱は確かにこまっちょろく装飾が施されているが風化のためか。
灰色のそれは、水で溶いた片栗粉を上からかけたように、鋭さがあいまいになっている。
そのあいまいさが歴史を感じさせると同時に「何の彫刻なのか分からない」と根本的な疑問をも生じさせる。
それがこの寺院だ。
視点を変えて本堂?の両サイドにある建物の内部をのぞいてみると、1辺10cmほどに区分けされた中に何か光るものがある。
そんなものが5mくらいのなりをして乱立していた。
ちょうど映画「マトリックス」の未来の世界で、発電材料として使用されている人の管理場所。
小さい部屋に意識のなさそうな人間が横たわっている。
そんなシーンを思い出した。
もしかしたら小さい仏さまが入っているのかも知れず、その印象はそれほど遠くなさそう。
しかし、その10cmの中をよく見てみたら布施明のプロマイド写真が貼ってあったりしたら困る。
それでは先ほどの印象を持っていく場所がなくなるため、必要以上にそれを見ないようにする。
寺院内部にはいくつがテーブルが置いてあり、そこには木彫りの果実、花などがデフォルトで置いてある。
お経のようなものを歌っていたおばさんたちは、それが終わるとあっという間に本堂に吸い込まれていく。
巨大な線香を燃やすための香炉があった。
僕たち日本人は、こういうのを見るととにかく頭や体に煙を当てる行動を示すが、あれは台湾でも通用するのだろうか。
僕らの仲間内の誰かがそれをやっていたが、とりあえず文句は言われていない模様。
台湾の人たちにとっても、この場合の煙は悪いものではないらしい。
あるいは薫製と何か関係があると思われたのかも知れない。
と、このようにここの寺院では特記すべきことはあまりなく、唯一あったとすれば「りす」がいたことくらいか。
ただ、確かに「りす」はかわいい。
タイワンリスというやつがいたはずだから、まさにそれだろうか。
しかしながら、「りす」と寺院と結びつける事はなかなか難しく、せいぜい僕は心の中で「聖りす」と呼ぶ事に決めたくらいであり、それは「せいりす」なのか「セントりす」なのか「ひじりりす」なのか。
どう読むのかはわからず、ともかく「聖りす」の見た目の形のみに満足した。
ただ、おそらく間違いないのは、「聖りす」は自分の埋めた木の実の事は決して忘れなさそうなことだ。

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