もみあい その1

僕らはあまりにも「包丁を持った人たちがもみあいになる」ドラマを見すぎてしまったがため、そのどちらが刺されてしまおうがそれほど気になる事はない。
どちらかというと「もみあいになっている最中、佐藤さんの肩が脱臼して、特に何事もなくもみあいが終わる」みたいなのが気になる。
「もみあいのあと、血だらけで半裸の上島竜兵が出てくる」ってのなんかは、もうあってもおかしくない。
「ハンバーグのたねができている」ってのもいい。
もしかしたら、って思わせるところがいい。
あと「もみあい」ね。
それ自体のエッセンスが気になる。
と、「もみあい」のことを考えていたら、「もみあい」をしたいなら包丁を振り回していればいいのだということに気づいた。
そうすれば誰かと「もみあい」になる。
そのとき、全力で人間に立ち向かわれていることに感動し「ドラマを見すぎた甲斐」があったとでも思うだろうか。
あるいはドラマで包丁を持った女性。
彼女は誰かと「もみあい」になる、なんて思っていたのだろうか。
これらから分かることは、この手の「もみあい」はその劇画的瞬間のわりには、あまりにつまらない結果になりがちだということだ。
そしてまさかの次回。

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