弱さ

※今確実に酔っている。
「12歳から90歳まで、幅広い読者の絶賛の便りを得ています」
ある、電車内の本の広告のコピーである。
面白い。
このコピーどうこうではなく、「感銘を受けた本へお便りを出す姿勢」がおもしろい。
何かの本では、いわゆる「放送塔への投書」の姿勢についてのおもしろさを問うたものがあるが、これはそれとほぼ等しいおもしろさがある。
「感銘を受けた本について、思ったことを書きましょう」
これは多くの人がやっているのではないだろうか。
つまるところの「感想文」ってやつだ。
小学生時代にさかのぼってみよう。
感想文、書かなかっただろうか。
テストの問題文、口調が優しくはなかっただろうか。
献立表、楽しみじゃなかっただろうか。
基本的に放課後、自由だったじゃないだろうか。
献立表、特に月末が楽しみじゃなかっただろうか。
まぁ最後のほうは違うかもしれないが、楽しみだったのは事実だろう。
しかしこれはなかったはずだ。
「その感想文を新聞社に送ってみましょう」
えっ、である。
先生なんかアツいな、である。
めんどくさいな先生、である。
先生長い休み取ったんだって、である。
で、だ。
もちろんこの「えっ」は、道徳性や意外性がどうこうではなく、むしろその「積極性」であることは想像に難くないだろう。
「こんなのを公の場に?」
本人以下が思う。
ところで、この手の「積極性」は全くもって悪いことではないのは明白であるが、妙な違和を感じるのは僕だけだろうか。
それは下心や他意、彼等の間の温度差のことと言うよりは、この行為にそこはかとなく漂う「人間の弱さ」が、一見積極性というものと反しそうであるからだろう。
一瞬、弱さが出てしまった。
何かを共有したかった。
そのことがおもしろくもあり、しょうがないよね感でもある。
よって、今回の冒頭※印も、しょうがないなりに、おもしろいはずであるのだが・・・。

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