2回目とはじめてのカンツォーネ

クライミングというと、何かしら社会におけるヒエラルキーになぞらえようとする人がいるかもしれない。
でも、いたって楽しいスポーツで、たまに登りにいく。
僕がやっているのは、室内でやるもの。
壁に、ボルダとかいう人工のでっぱりが無数に取り付けられ、それを利用してゴール地点(2?3m上とかにある)を目指す。
幼少時に崖のぼりみたいなことをしたことのない人はいないと思うが、あの感覚だ。
(崖のぼりをしたことない人は、いまからでも遅くないのでやっておくように)。
※ちなみにそのボルダ、以前にも書いたが、ただ闇雲に利用すればいいというものではない。
各ボルダはレベル付けがされており、たとえばレベル1のゴールを目指そうとするなら、レベル1のボルダのみを利用しなくてはならないのだ。
逆にいうと、レベルの差はあれど、ある程度のルートが既に決められているということだ。
私はかなり我流で生きてきたので、無論クライミングも我流だ。
「無論」というのがえらそうだが、もちろんブーだ。
特に僕はクライミングにおける定石みたいなものを知らないので、時々登り中に、壁に貼り付けられた前衛的な彫刻っぽくなる。
どこぞの美術館で、雨ざらしになっていそうな感じ。
ところで、クライミングを誰かと一緒に行くとなると、どうしても勝負というものが生じる。
「このスポーツで対戦者がいるとすれば、それは己である。」
とかいう流れは他方で十分だと思うのでそちらに譲り、こちらでは相手のいる、実戦を考えてみる。
対人戦で勝負を分ける要因は、上記の「踏破レベル」だ。
たとえばレベル3を僕がやって出来なくて、その後対戦者がクリアした場合、明らかに対戦者の方が勝ちである。
このため、僕は「対戦者が登っている最中に相手の邪魔をする」という、ほにゃシップにそぐわないテクニックを身に付けた。
ただ誤解してほしくない点は、物理的な邪魔ではない、ということである。
マジックハンドで臀部を集中的に狙う。
ボルダにローションを塗っておく。
これらは、らららシップにそぐわない、というかこれからの人生を棒に振る所業であり、さすがにやらない。
邪魔は、主に「言葉」によるものである。
明日に続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です