睡蓮

やっぱりこう、性別柄のせいか、エロいことに換算できることは勝手に頭の中でしてしまう、というわけでして。
これってもう、仕方のないことなんですよね。
もう生まれてn回目の性徴期が過ぎる頃から。

そういうことを、あなたのような人になんでいきなり言っているのかもどうかと思うんですが、最近はそう。

板ずり、ですね。

もう、最初からそういった方面の言葉だと思いましたよ、ほんとに。
料理番組で最初に聞いたときも、なんでいきなりそんなことを言うのか、と思ったくらいですから。

ただ、それが調理の言葉だってことを知っても、やはり第一印象というのは怖いですね。
最初がエロいと思っちゃったから、治らなくて。

いやむしろ、あれでしょ。
たいがいがきゅうりだもの。
板ずりやるの。
収まりませんわ、エロが。

そもそも食材の下ごしらえっていうのが、その本来の意味も、語感も。

広がっていくわ、板ずりから。
パンデミックですわ。

確かエロテロリストがインリンだったから、その仲間みたいなもんですわ。

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こんなことを日曜日の夜に考えるのは、明日に良くない。
そういえば、春から仕込んでいる睡蓮鉢の花も咲かない。
たぶん、こう言った不純なことを考えるのは睡蓮の花にも良くないのだろう。

ユニフォーム

世界陸上なのだろうか。

最近テレビでアスリートの映像を見ることが多いが、彼らはたいそうタイトなユニフォームを着ており、かっこいい。

それにしても、体にぴったりしてる。

陸上競技に限らず、大概のスポーツはスピードを要求されるものが多く、人間本来の身体機能を阻害するような衣類は適さない。
というのはわかるのだが、そうなると当然気になるのが「全裸のほうがいいのではないか」ということだ。
もちろん倫理的な理由もあるだろうが、他にユニフォームが全裸より優れている点はないのだろうか。

まず思いつくのが「体毛」だ。
人間には要所に限らず、全体的にちょいちょい毛が生えている。
これが空気の抵抗を受け、結果スピードを損ねる。
そこでつるつるのユニフォーム、というわけだ。

ただし、それだと「体毛を全てそり落とせばいい」のでは、ということになる。

となると次は「でっぱった部分」の話に、どうしてもなる。
何かとは言わないが、人間には器官としてでっぱった部分が数多くある。
それも空気の抵抗を受ける、あるいはぶるぶるぶらぶらしてしまうため、それをユニフォームで抑えるのだ。

そこは外科的なやつでどうにか、という向きもあるだろう。

しかし、それはもう本気すぎ。
主催者側のルールで存在するかどうかは知らず、では義足はどうか鼻の高さを100mにしてもいいかなども考えなければならないかもしれないが、動機がただ「競技に勝ちたい」だけの外科的なやつになると、ちょっと引く本気である。
あんまし良くない気がする。
規制前、規制を回避するスタイルのドーピングや、アマゾネスの件のように良くない気がする。
時代や根源的な部分にそぐわないきがする。
となると、ぶるぶらはユニフォームで抑えるくらいがちょうどなのかもしれない。

また、ユニフォームを着ることでひどい怪我をする機会が少なくなるのも見逃せないだろう。
例えば全裸でサッカーをやると、ちょっと危ない気がする。
スパイクがないにしても、芝との擦り傷や転んだときの衝撃など、ユニフォームが防いでくれている怪我の要素は結構ありそうだ。
したがって、ある種の企画ものは性欲というよりは視聴者に「転んだら痛そう」と思わせるものである。

最後に、スポーツ医学的な、整形外科的な、ツボ的な。
難しい理論で身体能力を向上させる、というのもあったりするかもしれない。
例えば、太もものある部分を圧迫すると、違うところの筋肉がより効果的に使える、とか。

あとは、ゼッケンにより誰かがわかり、アナウンサーの人が助かる。
スポンサーの広告をボディペインティングで表現しなくて済むなど、細かい「ユニフォームの利点」が幾つかあることが、勝手にわかった。

そうなるとまた気になるのが「ユニフォームに適さないもの」ということで、今日は余った時間を振袖について考えることに振ることにした。

暑い夏

どうなのかは異論あると思うが「世界で一番暑い夏」というのは、それを言ったのが北半球ならその範疇で「一番」ということなのだろうか。

本当に一番かは、半年後の南半球の調子を待たなければならないのではないか。

いや、それとも半年前の南半球の気温を鑑みての「世界で一番暑い夏」発言だったのだろうか。

そうなると考えないといけないのが「季節は北半球が先か、南半球が先か」という点で、おそらく後の方が「世界で一番暑い夏(です!)」と言え、先の方は「世界で一番暑い夏(の可能性がある。あと半年後に判明します)」になるわけだ。

と、いつも不思議なのが「日本が夏のとき、オーストラリアは冬です」というやつで、あれは「日本もオーストラリアも夏ですが、オーストラリアの夏は寒い」ということではいけないのか。

一律「太陽に対しての地球の位置」でそれを決めたらいいんじゃないだろうか。
と思ったりもしたが、よくよく考えてみると、季節というのはふわふわしていてよいわけで、冬が夏だろうが暑かろうがあまり問題ではない。

何かしらのアニメのキャラクターの名前の「冬」のところを「夏」にしてしまったら、だいぶ印象変わるかもしれないが、明日の気温はたぶん、平年と変わらない。
そこで変わるのだとしたら気候というものは何かしら意識を有しており、しかもそのアニメに感慨を抱く。
誠に人間的な意識を有していることを示しており、これは気候の新たな研究の余地、あるいは気候が擬人化されることが先か。

ともかくその後の気候がどうなるか。
気にならないこともないが、そうか。
せっかく意識を有しているというのなら聞いてみたい。

気候として、北半球と南半球のこと、どう思ってる?

鳥肌

1番とまでは行かないまでも、繁栄っぷりや天敵のなさを鑑みて、かなり生物として成功。
世界を席巻している人類においても、まだまだ進化途中。

そう思わせる要因の一つはやはり「鳥肌」だろうか。

すなわち、鳥肌ごときでフバーハ唱えたつもりになっているわけだ。

ただ気を付けたいのは「鳥肌」が何か、もっと重要な「対寒さ」対策の副産物であるという可能性。

例えば、我々が鳥肌に対してフバーハかけたつもりになってんじゃないよと憤っている時、体の中ではもっと効果的な「対氷結」反応が進んでいる。
これは目に見えるものではないが、たまたまなんらかの理由で、あるいは過去の仕組みで、鳥肌が立つという可能性だ。

それならば、鳥肌の効果をすべて否定するのは少し乱暴な気もする。

しかし見方を変えると、それは「対氷結」反応に対してのブラフのようにも見える。
誰に対してのブラフかはともかく、そうなると鳥肌というのは効果がないどころか少しマイナスのイメージすら抱かせるものである。

よって、たぶん昔のアイドルとかは鍛えて、鳥肌立てないようにしていたんだろう。
一方で鳥肌実は、それは見事は、攻撃力も付与されそうなやつを立てることができるのだろう。

ところで、フバーハってなんでしたっけ。

おまえ、まるかじり3

【昨日からの続き】
「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」が、あったんですよ。
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「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」は全身が綺麗に残っており、まるで魚拓のようだった。
しかし、よく分からない点がある。
それは、実は「それで一匹の魚」という可能性はなかったか、というところだ。
骨格の解析などで「ほぼ間違いなく丸呑みで、捕食者と餌の二匹分だ」となるのかもしれないが、実はそう考えるでもなく「丸呑み中」と学者は考えてしまってはいないだろうか(遺伝子が残っていれば断言できるかも)。
おそらく、前後どちらにも泳ぐことのできる、実験的な、ベンチャー企業的な。
確か、カンブリア紀と呼ばれる期間では今日では見られないような、変な外見の生き物がいたらしい。
多分、魚はカンブリア紀よりもだいぶ後に登場しているのでそのときではないだろうが、魚類の誕生の中でもいなかったか、おためしが。
おためしで「前後に泳ぐため、こんなことになりました」というような、現在の人が見たら「丸呑みし途中」と判断してしまう魚類がいたかもしれないじゃないか。
あるいは「タイノエ」的な、一見捕食されているように見える「丸呑みされ側」が帰省中だったのではないか。
ごめん寄生虫。
そんな可能性も、化石の情報だけではあり得そうだ。
そうなるともう、何もかも疑わしくなってくる。
そもそも化石は、本当にその年代のものなのだろうか。
贋作としての陶器は、箔をつける(時代をつける?)ため、地面に埋めたりすることもあったらしい。
スーパーの干物を地面に埋めて、その上にメネデールを刺しておくと放射性炭素の半減期が狂ったりしないか。
実はカンブリア紀では高度な文明がすでに存在していて、我々が「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」だと判断したのは当時としての「ATMとカード」だったりしないか。
どうなんだそこへん。
こりゃあ宇宙人が情報操作のために化石を捏造している説も、ありえますな!!

おまえ、まるかじり2

【昨日からの続き】
「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」が、あったんですよ。
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で、気になったこと。
椎名林檎の歌で、写真を撮られなくないという旨の歌詞があった気がする。
それは写真としてその場面が残されることで、それと今後の自分が比較できてしまう。
その時の自分は明らかに写真の時より古く年老いており、それが否応なく証明されることがいやだ、という心情。
ということで、くだんの化石は大変なことになっている。
赤裸々である。
埋まっていればまだよかったのだが、発掘されてしまった。
最初から色あせた感じだっただろうが、ともかく何年も公開されてしまっている。
食事というのは、以前触れたこともあるが「見られると恥ずかしい」と感じる人は結構多いらしい。
それは人間の行動決定のかなり根本的な要素であるからで、確かにものを食べるということの構成をかいつまんでアナグラムってみると、もう何かほら、もうって感じのやつに置き換えられそうですらある。
「だえき」
「えんげ」
ほらもう。
そんなことになっちゃったかー、丸呑みし途中の魚。
唯一救いがあるとすれば、彼が年老いてしまったことを気にするものが一人もいないということだろうか。
が、化石のころからだと、だいぶ輪廻転生がはかどっているはずのため、今は人間でいるかもしれない。
その人は本当に、喉に魚の小骨が刺さってしまうことに困る人生であろう。
生まれながらに刺さっているっちゃあ刺さっているからである。

おまえ、まるかじり

「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」を何かの本で見たことがある。
言い方を変えると「口から魚の尻尾が出ている魚」になるわけだが、何もこんなタイミングで化石まで「持っていかれなくても」と思う。
確か化石というのは、かなり特別な状況でしか生み出されないものらしく、そんなレアケースの中で、丸呑みし途中という、魚の人生において短い時間が採用されてしまうとは。
もちろん僕が魚の生態を知らないだけで、結構な期間、魚を咥え続けているのかもしれないが。
どうであれ魚としても、どうせならもっとピシッとした状態で化石になりたかったことだろう。
丸呑みし側も、され側も。

7回

どうも人間というのは7回転ぶというのが相場のようだ。
もちろんこれは「七転八倒」と「七転び八起き」のことを言っていて、調べてみると意味の違いや漢字の由来など、知名度の高い言葉の割には知らないことも多い。
しかしわからなかった。
転んだ回数として7回が採用された理由が。
そのシンクロニシティーが。
一番ありそうなのは七転八倒と七転び八起き、どちらかから、もう一方が生まれたという経緯だ。
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「あいつ7回も転んだけど、そのあとは転ばなかったよ」
「でも、打ち所が悪くなくてよかったよ」
「もし変なところ打ってたら、まずいもんな」
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これが、かなり最短を攻めている「七転八倒と七転び八起き」の誕生だ。
それにしても7回である。
だいぶ転んだ。
昔の人も、ちょっと多いと思ったのだろう、7回は。
だから後世に伝えようとしたのだ。
転びようによっては致命傷になっていることもあっただろう。
そんなリスクを負った状態でも、彼は7回転んで、しかも起きた。
一つわかった。
七転八倒でも、8回目に倒れるためには起き上がらなくてはならないのだ。
ということで、ここに「七転八倒と七転び八起き」の時系列が判明した。
「7回転んだけど、起き上がった(七転び八起き)。また転んだんだけどね(七転八倒)」
彼はいつか、転ばない日が来るのだろうか。
それとも転びすぎて、肉塊に成り果ててしまったのだろうか。

おつまみ

なんと言うのか。
バーで出てくる棒状の、パスタを揚げたようなやつが好きだ。
あれはおつまみとしての位置付けなのだろう。
塩をあてて酒を飲むような感じを目指しているのか、やたら塩辛い。
あれが入っていたコップの中を見ると、いかに塩がぶっかけられていたかがよく分かる。
そして夕食を終え、かなり腹一杯でも食べられる、質量ゼロ感。
もちろん、あれがいくらか細いかといっても、こねてまとめるとチョコボールくらいの「塩玉」になるだろうが、逆を言えばその塩玉を30本に分けました。
ということで、晴れて人間の感覚ではほぼ認識できない質量になるのである。
仙人があれを食っても、仙人の資格を害さない。
ところで、あれは結局なんて名前なのだろうか。
このままだと、ヴォルデモートと同義だ。

区別

ルシフェリンを組み込むことができるのなら、もっと細かい情報を出す、例えばICタグのような効果を出すものを組み込むことはできないだろうかと思ったが、そうなるとそもそもタンパク質でICタグ的な、電波を受け取れるようなやつが必要で、そういうのはないのかと調べようとしたら猫が僕を見てきゃきゃきゃと鳴き、ああ僕は今狙われているんだなと猫じゃらしを投げる。
猫じゃらしは普通、猫の前でぺろぺろと動かすのが定石だが、こいつは投げられるのを好む。
うちの猫の中では珍しいやつだ。
ICタグを生体内で作ってしまうということには、どのようなメリットがあるのかと考える。
一番の効果は「物理的なICタグの挿入をしなくて済む」な気がするが、そもそもそうだ。
個体によって全部違う情報を提供するものでなくては意味がないことに気づいた。
指紋のような、マイナンバーのような。
それは不動であるべきだし、実現すれば母子健康手帳のフォーマットが変わる。
そんなものが「できていたら嬉しい生体ICタグ」でできるのだろうか。
「人間です」
みんなこの情報しか持っていないようなICタグ、いらないのではないか。
いや待てよ。
犬という生き物がいるが、あれはチワワからセントバーナードなど、だいぶ範疇が広い。
ある生物学者は「化石としてチワワとセントバーナードが出てきたとき、同じ種類であるとは判断しないだろう」と話したことがあった気がする。
この観点を持って来れば、上記の生体ICタグも意味が出てくる。
すなわち、短い期間で爆発的に増加した人類が今後絶滅したとき(それは有用な示準化石になると、なんかの本にあった)、後世の進化学者がより助かる。
タグリーダーさえあれば、どんなに骨格が似ていない人たちであっても、ああこれはかの有名な人間だね、と判断できるわけだ。
有用。
猫は戻ってこない。
あいつは投げられた猫じゃらしをどこかに持って行ってしまうので、しまうのが大変なのだ。
あいつのタグは「猫です」となるか。
しかしそれだけでは少し惜しいことを考えると、やはり生体ICタグはユニークでなくてはならない。