※昨日からのつづきですが、これだけ見ても、別段不都合はありません。
僕は、はじめて入るお店で、必ずおいしいものを注文できる。
この能力については、本当は秘密のまま、墓場まで持って行く決意だったが、そこまでしつこく聞かれてしまったら、しょうがない。
もう一度言う。
「僕は、はじめて入るお店で、必ずおいしいものを注文できる。」
和食屋でも、ラーメン屋でも。
はずれを引いた友人の、羨望のまなざしを受けながら、僕は和風とんかつ定食に舌鼓を打つ。
そのケーキ屋でも、僕はいかんなくその能力を発揮する。
メニューを見たとき、もうわかったんだ。
僕の視線は、おすすめアイテムをかいくぐり、ひとつの項目にくぎづけとなる。
「僕は、ミルフィーユ。」
同じくメニューを眺めていたふなむし君は、なにやらミドルネームが入っていそうな名前のやつを、エミュー君は確か、ショートケーキのようなものを注文した。
ほら、もうこの段階で、彼らが注文したものなぞ、覚えていないのだ。
そのくらい、ミルフィーユとそれらのおいしさには、差がある。
そう確信しているのだ。
自信満々で、そう、おそらく少し全身が光っていると思われる僕の前に、ミルフィーユが置かれた。
おいしそうだ。
おいしい。
すげーおいしい。
虫歯も気にならない、と言えばうそになるが、それまで
虫歯:ケーキ:少年犯罪について=7:2:1
だったのが、
虫歯:ケーキ:少年犯罪について=1:7:2
くらいにはなった。
哀れなり、ミルフィーユ以外を注文したものどもよ。
見てみると、友人1は、なにかそう、油粘土のようなものを皿の上でこねている。
友人2は、なにかそう、天花粉を体につけるときのスポンジ、そんなものにナイフを入れている。
それでも彼らは、顔はおいしそうな風だ。
バカメ。
ミルフィーユが一番に決まっているのだ。
仕方がないので、僕は彼らに「自分は、はじめての店で、一番おいしいものを注文できる」能力のことを告白した。
すると、お前の注文したミルフィーユがそうなのか、と聞く。
もちろんだ、と答える。
すると、何が一番おいしいかなんて、わからないじゃないか、と言う。
仕方がないので、ミルフィーユを分け与える。
彼らは、それもおいしいが、自分のもなかなかだ、と言う。
少しもらってみると、確かになかなかだ。
しかし、言い換えると、なかなかどまりということだ。
僕は思った。
「例えば、空に向かって大あくびをしたとき、ふと口の中に入ってくるとしたら、どれがいい?。」
「ミルフィーユでしょう?。」
僕は、なかなかだけど、やっぱりミルフィーユだよね、と言った。
彼らはなぜか、まだ不満そうだ。
仕方がないので、カレンダーのときにも書いた話、
「ラム肉を冷蔵庫に入れておくと、1年弱でマトンになる」
「電車の優先席は、虫歯の場合はC3から座れる」
といううそを伝えた。
・・・
本日の本当の目的、土鍋を買う、というのは達成できなかった。
帰りぎわ、ネットで購入する担当となったふなむし君に「IHでも使える土鍋」のことを依頼する。
エミュー君は知っていたが、世の中は、土鍋でもIHのことを気にすることになっているのである。
驚きだ。
虫歯がうずくので、帰りの電車に乗る。
IHでも、IHの使者(エミューのこと。地デジに対するSMAP草氏のような立場と思われる)でも、虫歯のうずきは、止められないのだ。
虫歯は、まだまだ我慢しなくてはならないだろう。
ちなみにこの日、何を思ったか、僕は乳首の透けるシャツを着ていた。
よって、先日より続くこの話では、僕はずっと乳首が透けているものとして、読んでもらいたい。
おわり。
カテゴリー: 雑文
9/13 カフェ。
9月13日。
銀座、曇り。
歯が痛む。
ケーキ屋にいるからだ。
何か不審な動きをしようものなら、黒服がわんさと出てきそうなたたずまい。
そのケーキ屋の印象だ。
ここの門を、人生であと一回は、くぐる。
出るときだ。
慇懃そうに見えるが、全くそのとおりな動作で席を案内する、初老の男性。
ここはそういうベクトルの執事カフェか。
慇懃そうに見えるが、全くそのとおりな動作でメニューを持ってきた、初老の男性。
注文を待っている。
全く慇懃な動作を終え、じっと待っていても、彼はどこから見ても慇懃だ。
?????????
「ミスター、ミスターインギン。今日はどちらへ?。」
「いやあ、古い友人に、手紙を出そうと思ってね。」
「そりゃあいいや。インギン、もうすぐ降りそうだから、傘持ってってよ。」
「ありがとう。」
?????????
僕の考えた、彼の日曜日。
ちなみに、最後の「ありがとう」の調子(イントネーション?)は
「あり(↗)がとう(↘)」ではなく、
「ありが(↘)とう(↗)」だ。
メニューには、細工じみたケーキが。
おいしそう。
と、ここでやっとこ「9/13」シリーズの本題に。
僕の、人に誇れるスタンド能力。
「はじめての店で、必ずおいしいものを注文できる」に触れる。
次回。
9/13 銀座。
9月13日。
銀座、曇り。
歯が痛む。
昼食にお好み焼きなんかを食べたからだ。
人が多い。
もし、僕誘導ミサイルが放たれたとしても、ここにいれば安全だろう。
ただ、ここであせったら迷うのは確実だ。
痛くて、迷ったら、悲惨にもほどがある。
慎重に集合場所に向かう。
時間はすこし過ぎてしまったが、そこには友人が待機してくれていた。
なんらかの突然変異的な理由で、病的なまでに色白でアルビノな「ふなむし」君。
立川うどのようだ。
エミューのモノマネが得意な「エミュー」君。
頭がよい→出来杉と命名、のようだ。
Apple Storeを冷やかしつつ、僕らは銀座で、本日のターゲットである土鍋を探すために動き出した。
土鍋はネットで買うことにした僕らは、喫茶店で何か食べようということになった。
ここでついに歯が死ぬほど痛いことを吐露した僕だったが、さほど喫茶店探しに影響することなく、おのおの「ケーキが食べたい」「チーズが食べたい」などの意見を頻出。
30分ばかり、失われたアークを求めるレイアースのようになった(いろいろ間違い)。
道中、エミューが言う。
「和菓子はやめたほうがいい。あんこの、虫歯に対する攻撃力は、目を見張るものがある。」
同感だ。
道中、ふなむしが言う。
「何か、クレープのようなものが食べたい。」
何を言っとるんだ、この子は。
その数分後、僕らはエミューのすすめる、なんだか全て時価です、といった雰囲気のケーキ屋に入る。
9/13 吉祥寺。
9月13日。
吉祥寺、曇り。
歯が痛む。
夜明けまで飲んでいて歯磨きをしなかったツケが、今までの怠慢な歯磨きライフのツケに加わり、それが神経に達した。
歯磨き、前歯に激痛。
ブラシが通過するたびに、声が出る。
今日は知人へのプレゼントを友人とともに選ぶため、銀座で待ち合わせだ。
本来は歯医者へ直行するべきだったが、あいにくどこもやっていない。
じゃあせめてどこの歯医者を選ぶかと、ネットで調べてみたが、口コミはどこまで信じていいものやら。
とりあえず場所優先でアタリをつける。
「院長先生がやさしい」の口コミを、信じる。
院長先生を想像。
SLAM DUNKの安西監督みたいな顔なので、だいじょうぶだろう。
この行動が、本日における僕の歯治療への意気込み結果、最前線となる。
早めに昼食を取る。
ところで、基本的に歯が痛い人は、その日の生活全てが「歯、中心」になる。
「この行動は、この痛んでいる歯には、特に影響しないか?。」
「YESか、NOか。」
僕が昼食にお好み焼きとやきそばを選択したのは、YESと判断されたから。
しかし、それらを目の前にすると、やはり緊張する。
虫歯にとって、卵はYESかNOか。
キャベツは。
豚肉は。
イカは。
ソースは。
お好み焼きだ。
検討する具材が多い。
しかも、近くではやきそばも、うまそうなにおいを立てる。
だが、一度は混乱した僕だったが、すぐに「やきそばに含まれているものは、たいがいお好み焼きに全部入っているだろう」と冷静になり、そのお好み焼きについても「まぁ、YESだろう」となったため、両方をいただく。
ひどく、まずく感じる。
舌で虫歯部分を探り、やはり痛むことを確認しながら、銀座に向かう。
ふなむしとエミューがいるはずだ。
十一日
以前、「僕らは「情報免疫」を打ち破るものを、求めている。」とかいうのを書いた。
予想外
これはなんぞやというと、要は「こちらが予想した内容を超越するような内容の話題が、僕らは大好きだ」ということ。
例えば、おもしろ会話をしている最中に突然「おくち凱旋門!!」と言って両人差し指を相手の口にあてがってくるホリケンは、相手の予想を上回っている。
そして同時に、視聴者の予想も上回っている。
凱旋門の被害者は面白くないだろうが、こちらは楽しい。
僕なんかは「凱旋門となると、なんだかんだ言って口を塞ぐことはできない。あくまで相手がしゃべるのを邪魔するに留まる技なんだ。」とか、
「キン肉マンでサンシャインというほぼゴールドライタンが、地獄の凱旋門という技を使っていたが、あれもちょうど門の、何もないところに被害者がはまる技なので、ノーダメージなのでは?」 」とか、色々な感慨であり、ホリケンはたいした策士だなぁ、とまた感慨である。
もちろん、このおくち凱旋門も、何度もやれば僕らに「免疫」がつき、初見の衝撃を受けることはなくなってしまうだろう。
少し前、姉とくつ下について話していたところ、それは石田純一へ移行していった。
僕らのあいだで、何度もやり取りされる「石田純一」。
会話の途中、僕はおかしさで、家族を心配させるほど震え、声が出せなくなった。
なぜか。
幾度目かの「石田純一」部分が、何を間違ったのか、
姉は「石田じゅういちんち」と言ったのだ。
「石田十一日」。
気持ち、十日増えている。
これは、僕の予想には、致命的に存在していなかった。
十一日に対して、なんら対策を講じていなかった。
「ばきゅーん!!」
「うはー!!」
やられてしまった。
十一日の言い間違いは、一度だけ。
なぜ僕がひっくり返っているのかわからないまま、加害者の姉は不思議そうな顔をしていた。
低姿勢行進、続々。
【あらすじ】
サザエさんエンディングで、一家が家に入ったあとに家がぐいーんぎゅぽーんとなる。
何が起きているんだ。
◆憶測1
家の奥のカベと天井にスイッチがあり、帰宅時に押さないと家が爆発する仕様だった。
◆憶測2
家の中がスポンジで満たされていた。
============
考えてみた。
◆3.サザエさんが玄関先で転んだ。
今、調べるのもめんどいので確認できていないが、確かサザエさんが先頭で家に入っていた気がする。
そして、彼女は家の中に入る間際まで、後ろ向きに歩いて、皆を先導していたように思う。
それで、足が疲れてしまったのだろう。
サザエさんは玄関で転んでしまうのだった。
そこに、あとから続いて家族が入ってくる。
それは、次々と押し寄せるのである。
結果、彼らはサザエにつまづき、続いて転倒。
波に乗った船の上に、鰹や鱈が。
大漁である。
大漁が家の中で起きた結果、あのような家の動きとなるのだ。
◆4.玄関のスリッパが固定されていた。
これは「ガキの使い」罰ゲームでもやられていた、秀逸なイタズラである。
サザエさんが家に入る。
あとから続いて家族が入ってくるのだが、サザエさんは玄関に用意されていた、固定スリッパを履こうとしてしまうのである。
そんなスリッパを履いてしまうと、どうなるか。
人間(サザエさん)はスリッパを履くとき、まさかそいつが動かないとは思わないので、履くのと同時に、歩くために体を前に移行させてしまう。
結果、重心は前に移行したが、足はスリッパストップなので、サザエさんはつんのめってしまう。
大漁である。
大漁が家の中で起きた結果、あのような家の動きとなるのだ。
以上、好きな憶測を心に抱いておいてもらいたい。
正解は、君の心の中にある。
ところで、今回の憶測から、ある問題点がポイントである可能性が出てきた。
それは「どんどん家族が家に入っていってしまう問題点」である。
もう少し様子見つつ家に入っていれば、憶測のほとんどは回避できるのだ。
あくまで憶測なのだが、みんなも家の中に入るときは、玄関前で「そこにいるのはわかってるんだぞ!!」と叫んでからの方がいい。
最後に、
憶測5として「牧歌的な家は、案外ああいう動きをする」
憶測6として「なぜかわからないが、サザエさんが入ってくる者たちを投げ飛ばし続けた」
憶測7として「家獣」
を挙げておくことにする。
おわり。
追記
「つんのめる」と「ノンスメル」が似ていた。
低姿勢行進、続。
【あらすじ】
サザエさんエンディングで、一家が家に入ったあとに家がぐいーんぎゅぽーんとなる。
何が起きているんだ。
============
考えてみた。
◆1.家の奥のカベと天井にスイッチがあり、帰宅時に押さないと家が爆発する仕様だった。
この憶測は、例の家動作が、一家が自発的に行った行為の結果である、という位置づけを重視したものである。
すなわち、スイッチを一刻も早く押すため、家族が全力でそれにあたった結果、家があーなったのだ。
この憶測が有力である証拠に、その後の家はちゃんと爆発していないことが挙げられる。
◆2.家の中がスポンジで満たされていた。
家に帰ったら、これだよ。
誰?、こんなに散らかしたの?。
このような程度でない量のスポンジが、家に詰められていたとする。
玄関を開けたら、面前にスポンジ。
当然、むぎゅーっとなる。
横方向に、むぎゅーっ。
え、まだ家族、入ってくるの?。
縦方向にも、むぎゅーっ。
つづく。
低姿勢行進
今気になることに「サザエさんエンディングで、一家が家に入ったあと、何が起きてあーなって(家が上下左右に大きく揺さぶられる)しまうのか」がある、と言ったら、正直うそになってしまうが、まぁ昨今においても風呂場のかびのように根強く残るトリビア事情に何かしら好影響を与えるのではとの考えにより、考えてみる。
すでに誰か何かしていたら、ごめんなさい。
この問題は、ほぼ「あんなに仲よさそうに行進していた一家だったが、家に入るやいなや、瞬間で動的になった謎」として置き換えられる。
例えば、家に入る前まで、一家の雰囲気が悪く、いがみ合っているようであるなら「家に入った途端、怒りで頭が真っ白になったんです(マスオ談)」というような事態を考慮することにより、この問題、ある程度の憶測を立てることができる。
しかし放送を見る限りは、そんなこともなさそうなのである。
何が起きているんだ、一家に。
ここで、なんとなく思い出されることを記す。
「ビックリハウス」という雑誌、じゃなくて遊園地的アトラクションをご存知だろうか。
一見、普通の家で、入ってみるとイスがある。
そこに座ると、次第に家全体が揺れだし、ラスト間際では家全体がイスを軸に回ってしまう。
そんなだ。
錯覚が引き起こす不思議なアトラクションだが、幼い頃これに乗った僕はそんなことはわからず、回っている最中、子供ながらに「もうここから出られないんだ」と覚悟を決めたものである。
僕の感想はどうでもいい。
もちろん、磯野家がそんな遊具である可能性は皆無で、結局そうだったとしても、家はあれほどぐいーんぎゅぽーんとはならない。
もう一度。
何が起きているんだ、一家に。
家で何が起きているかについては次回考えることにするが、とりあえず明言する。
次回、面白くは転がらなさそうです。
いつもの
ついに、である。
ついに、よく行く喫茶店で「いつものやつですね」と言われたのである。
そこでは、僕は決まったものしか頼まないため、いつかは言われるんじゃないかと思っていた。
しかし、この「いつものやつ」については、羨望的な話が多いのではあるが、考えてみよう。
けっこう、はずかしいぞ。
ということで、僕は店員さんにそう言わせる前に、「ガトーショコラとウィンナーコーヒーで」と、毎回同じことを言っていたのだ。
だが、言われてしまった。
やっぱり、はずかしかった。
おんなじものなんて保守的だなぁ、と思った。
ということで、そう言われて以来も、僕はこの敗北(?)に屈することなく、ずっと「ガトーショコラ・・・」と先手を打ち続けている。
そうしないとはずかしいし、ケーキじゃなくてプリンが食べたいときもあるのだ。
流し
「流すだけで、みるみる上達するCD」と銘打ったものを見かける。
勝手に流れてるだけなのに、ナイスらしい。
何かいい。
「こちとら流すのにちょっと手を出すだけ。それからはほったらかしさ」
そんな雰囲気が出ている。
それで上達。
理屈はよくわからないが、たいしたものだ。
ところで、このようなものは結構他にもある。
「流すだけで、みるみる治る肩こり」
電気治療器。
「流すだけで、みるみる涼しげになるそうめん」
そのまま。
そして、まだまだ。
「流すだけで、みるみる同情を引くことができる涙」
「流すだけで、みるみる同情を引くことができるランバダ」
「流すだけで、みるみる異性への興味が湧いてくる目」
「流すだけで、みるみる玄人っぽくなるヒット」
「流すだけで、みるみる卒業する白線」
「流すだけで、みるみる癒される通販番組」
「流すだけで、みるみる治安が良くなる島」
「流すだけで、みるみる弔える精霊」
「流すだけで、みるみるレコード大賞をとれる精霊」
と、これだけ挙げれば、いろんな精霊がいたものだねという感慨もさることながら、さすがに「流したあとは、ほったらかしさ」じゃまずいのでは、と思う向きもいるかと。
そりゃ、そうだよね。
流される方も、大変かもしれないしね。
ということで、日々に少々のいましめ。