らせん

DNAというのは、ほぼ刑事ドラマによって広められた、身元判明や犯人探しのための物質である。
誰しも幼い頃、「おもちゃを取ったの取らないだのといった他愛のないいざこざ」の最中に「DNAとったら分かるんだぞ」と脅すのが、妙な有効性を持っていたことだろう。
持っていないか。
ともかくDNAで気になるのが、遺伝子としての機能の一面とも言える「構造」。
いわゆる「二重らせん」である。
もちろん構造自体も何十年も前から現在でも研究されており、それはえらく興味深い。
そもそも「らせん」という構造は均整が取れていて、美しい。
しかしDNAのくだりに関しては、何より「らせんのひらがな感」に注目せざるを得ない。
あるのだ、「螺旋」という漢字は。
だが、たいていDNAの構造については「二重らせん」。
ひらがなである。
なぜなのか。
もう「螺旋」という漢字は、ライトノベルでしか見た事がない。
ごめんうそ。
ただ、あんまし見ないのはほんと。
何か「二重螺旋」だと、「かっこいいだろ?」と言われているような気がして、恥ずかしい。
そうだ、たぶん「漢字の形」が異質で格好よすぎ、鋭すぎなのだ、「螺旋」というのは。
「螺旋鳴門」
ほらかっこいい。
ラーメンのスープがすごい勢いで吸い込まれそうだろう?。
「螺旋とっくり」
ほら怖い。
首が超伸びてそうだろう?。
「螺旋ライトサーベル」
ほら悪い。
フォース真っ黒だろう?。
「螺旋万華鏡」
ほら横溝正史。
なんか横溝正史だろう?。
とか調べていたら、かなり怖い「螺旋」がある事を知った。
「螺旋骨折」
怖いなこれ!。

出瀬潔

ついこないだ、「似ていると言われたら嫌な芸能人ランキング」みたいなやつがやっていたようだ。
タイトルしか見ていないため、どのようなメンツがランクインしているのかは分からないが、芸能という世界は世知辛いものである。
あるいはそんなランキング聞かないでもいいじゃないかと思うが一方、ランクインした人はほぼ人気があることでもランクインしているのはよく知られていることだから、まあいいか。
僕が「似ているね」と言われたら絶対いやなのが「ハイスクール奇面組の出瀬潔」だ。
知らない人もいるかもしれないので補足すると、漫画で非常に特徴的な、絵に描きやすそうな、定規で描くと良さそうな、あたりめを食べたら全歯の隙間に挟まっている、そんなキャラクタ。
性格もあまり良くなく、ただエロへの姿勢が尖っていることだけ覚えている。
正直、幼少の頃に見かけてからずっと恐ろしい風貌であると認識していた。
だから彼に似ているなんて言われたら、全てを否定されているような気分になるだろう。
自分では似ていないと思っているが、他人がどう思っているか分からない。
心配だ。
ついでにもう一つ、これは言われたくないことを思いついた。
僕の顔を見ながら「あれ、奇面組って6人組だっけ」である。

期語2

久しくブログを書いていなかったら、前回「続く」で終わっていた事をすっかり忘れていた。
「期語」とか書いている。
思い出したのは、俳句における「季語」に相当するような、ある期間を表す「期語」というものを新しく考えてみよう、ということだ。
僕が覚えているのは「ボディコン」。
この、バブリーな懐かしい言葉を使って俳句を作れば、「季語」で季節を感じるように、「ボディコンという期語」を用いる事で土地高騰、お札を燃やして暗闇の玄関を照らすような時代を感じることができるのではないか。
そう展開しようとした訳だ。
しかし近頃動いたり歩いたりで、すっかりブログ更新を忘れていた。
故にもうこの「期語」「ボディコン」に熱を上げる事ができなくなってしまった。
では何を書こうかと考えると、「亀をぶん投げる」イメージが出てきた。
これはもうずいぶん昔にやっていたある特番だったか。
干ばつ甚だしいアマゾンだかナイルだかの地域で、ボランティアの人があとは死を待つばかりの魚や両生類、そして亀などの爬虫類を保護。
水豊かな場所へ運ぶというナイスを放送していたものである。
もうお分かりだと思うが、魚や他の生物は川岸から放流されていたのだが、なぜか亀だけがボートからぶんぶん投げられていたのである。
もちろん川に投げているのだから亀にダメージはないのかもしれないが、あんなに亀をぶん投げている映像はスーパーマリオブラザーズ3くらいでしか見た事がない。
普通に放流すればいいのに。
その亀はガメラのように、あるいは水切りの石のように、ギューン回りながら落水していった。
ところで「亀をぶん投げる」が季語であるとすると、それはどの季節だろう。
おそらく「夏」であるが、前回のブログも考えると、最適なのは「乾季」に違いない。
恐ろしい事である。
「乾季」を「亀をぶん投げる」で詠うためには、五七五七七の7文字くらいは固定値なのである。
できれば「投げ亀」とかで少なめにしておきたいが、それを決めるのはあなただ!!。

期語

クピペピポ ポピプペプポプ プピポピポ クペピポプポプ 翻訳ガッちゃん
これは、僕が最近考えた句である。
ところでご存知の方も多いだろうが、「季語」というものが存在する。
川柳だったが、俳句だったか、あるいは両方だろうか。
とにかく限られた文字数「五七五」「五七五七七」の中に季節を感じさせる言葉を盛り込め、というルールである。
さきほどのガッちゃんの句だと、翻訳部分のどこかに夏とでも言っているだろうからこのルールには反さないのだが、もちろん堅苦しくない、有名な「サラリーマン川柳」などでは厳密にこの規律を守る必要はない。
さて、季語というものを考えた時、それはもちろん日本では四季になるのだろうが、以下の点が気になってきた。

季節が日本と違う国での季語はどうなるのだろうか。

季節ではなく時代を表現する言葉で作ったら面白くないだろうか。
まず1だが、そもそも季節というものをどう定義付けすればいいか分からないため、あくまで私感的な話になる。
例えば「雨季」と「乾季」の二つの季節があるとしよう。
このとき、季語は2種類だけになるのだろうか。
確か、乾季では池の水がなくなるから、「肺魚」というきもい形の魚は冬眠ならぬ「夏眠」を行い、水が満たされるまでじっとしている。
夢も見ぬ 肺魚に届きし 雨音の 乾き愛でたき 夏眠の終わりに
これは、ただただ雨季を待つために夏眠していたが、乾季が終わり雨季が来る事を知り、これまでの乾燥も懐かしくなるのだなという喜びと感慨を、肺魚が書いた句である。
この場合の季語は「夏眠」であろうか。
日本にも「夏眠」する生き物はいるかもしれないが、ちょっと季語とは考えにくいが、「雨季」「乾季」がある国ではむしろ定石の季語だろう。
また、これは季語とは違うだろうが、カナダ北部に住むイヌイットには、「雪」を表現する言葉がたくさんあるという。
我々からしたら「冬」以上の何物でもない季節に見えるが、彼らにとって、その「冬」はさらに細分化されているかもしれない。
明日へ続く。

日も何時

「呪う」という字のネガティブなイメージにも負けず、秘密のアッコちゃんの変身呪文「テクマクマヤコン」はかなりポップな感じで大変良い。
どういう意味なのかは分からないが、この呪文界の異端児に、仲間はいないのかが気になってきた。
ところで今、「秘密」を「ひもいつ」と打ち間違えてしまった。
「himitsu」と「himoitsu」で、どうもmiのときにiのとなりのoを余計に打ってしまったのだろう。
どうであれ「ひもいつ」というのは何か不穏な響きだ。
「ひもいつのアッコちゃん」
ちょっ、おま、「アッコさん」だろ!。
と誰かが焦り怒りそうだ。
いや、そもそもニックネームっぽい「アッコ」も恐れ多いだろう。
「ひもいつのあきこさん」
いや、そもそも「アッコちゃん」の本名は「あきこ」なのだろうか。
「日も何時の明子さん」
突然日の光を奪われた街で、光を取り戻すために異形の者達と一人戦う盲目の少女明子さんなのだろうか。
修学旅行のときに優しくしてくれた同級生の男子生徒、翔を探すためのその華奢な体に似合わぬ大刀を振るうのだろうか。
闇を見つめる瞳から流れる涙でいつも濡れている包帯が乾く時、異形の者となってしまった翔とはどのような結末を迎えるのだろうか。
僕は「呪う」のくだりからここまでの10分くらい、何を言っているのだろうか。

過冷却

250mlのサイダーを30分くらい冷凍庫の中に入れておくと、よく冷えた上に過冷却だからシャーベット状になったりしておいしい。
なのでよく入れるのだが、案の定よく忘れる。
ちょうど今、目の前によく忘れていた状態のサイダーがある。
開けるべきかどうか悩ましいところ。
「僧侶の前に、俺だって男だよ」
ブログ記入画面の広告バナーにそう書いてある。
どういうことだろうか。
もしここで僕が僧侶なら、この暴発するような感じのするサイダーを「俺だって男だよ!」と言いながら開けるのだろうが、しかし僕は僧侶ではない。
広告バナーを読むなど、現実逃避も甚だしい。
そういえば、最近僕はPS3で「サムライスピリッツ天下一なんとか伝」みたいなのを買って遊んでいる。
格ゲーなのだが、一番簡単なレベルに設定してもクリアできない。
最後のボスが強すぎて泣けてくるのである。
しかし、ずっとやっていたら効果的な対処方法を発見した。
使用キャラに歌舞伎役者がいるのだが、そいつが出す「がまがえる」がすごく使える。
がまがえるを出しまくると勝てるのである。
もし誰か、「サムライスピリッツ天下一〜〜〜」で困っている人が近くにいるのなら、是非「歌舞伎役者のがま」を教えてあげてもらいたい。
とかなんとか言っているうちに、サイダーは溶けて、いないか。。。

付喪神

いろいろ忙しくしていると、ふと何かその時は思い浮かばなくていいものが頭の中に現れて、困るときがある。
こないだ、「ASIMO in 付喪神」というのが浮かんだが、「ASIMO」はいわずと知れた本田技工の人型ロボットで、付喪神は日本古来から伝承されている、物が長い時を経て魂を得たもの、あるいは物に宿る魂、みたいなことだった気がする。
このキーワードを普通に考えると「ASIMOにはもう付喪神入っちゃってる」となるわけだが、もちろんこれは「AIBO in 付喪神」でも大丈夫で、「ファービー in 付喪神」も問題ない。
やはりASIMOやAIBOなどは先見的な存在として卑怯ながらも「いじりやすく」、色々考えると面白い。
ぱっと思いつくのは「餃子の餡 in ASIMO」だろうか。
一方、「ダイソンの扇風機 in 付喪神」はなんか怖い。
「ダイソンの扇風機が、いくら位置を変えてもある一カ所にだけ風を送るんです」
そこに霊がいるという案配である。
また、先見的ではないが「エレベーター in 付喪神」なんてのは、B級ホラー映画みたいだ。
やはり「付喪神」が入ってもらいたいのは生き物の形をした物であってほしい。
ところで、そもそも「付喪神」というのは「in」で表現できるものなのだろうか。
前置詞的な観点の話になりそうだが、となると「付喪神」というのは一体何なのか、というのも定義付けが必要そう。
どちらも手に余る内容だが、とりあえず「付喪神」のことを英語で喋らなくてはならなそうなシチュエーションは、避けて生きていきたい。

十一戒

何だか朝が寒い。
寝るときは半裸なので、まずそれをどうにかしろという向きもある。
しかし何かに負けてはならないという人間の根源的な本能のため、毎朝布団から出られなくなっている日々である。
ここで気になるのが僕の布団事情なのだが、3枚である。
内訳は羽毛布団的なやつの下に、毛布が2枚。
これがオーソドックスなパターンなのか、国民の支持を得られるスタイルなのか。
よく分からないが、とにかくそうである。
ところで、実は朝寒いのには理由がある。
半裸の件は既に触れたが、それ以外に「毛布が左右にきれいに寄せられている」のである。
状況としては左にふんわりタイプの毛布、右に薄いアシストタイプの毛布。
それぞれが寄ってしまって、体に掛かっていない。
最近の寒さに羽毛布団一枚では太刀打ちできない。
羽毛布団は暖かいが、隙間ができやすい。
大きく暖かい羽毛布団。
その隙間を埋める毛布。
誠に理にかなった連携である。
連携の話は置いておいて、毎朝この残念な毛布配置転換が起きている。
僕はこの現象を、例の海割りから連想して「モーセ」と呼ぶ事にしている。
今朝もモーセが起きた。
なぜなんだ。
十戒に「寝相を良くする」など、何か寝相を律する何かが書いてあっただろうか。
半裸か。
半裸が肉欲的な、何かか。
ともかく、朝のモーセはなぜ起きてしまうのか。
ついでに、「モーセ」なのか「モーゼ」なのか、あるいは日本語だと発音しづらい「セ」なのか。
分からない事が多すぎる。

侵入2

【あらすじ】
サンタの格好をした人がこそこそしていると違和感。
こそこそとした挙動をするとマズい人たちがいるのではないか。
=====
まず思いつくのが新郎新婦や歌舞伎役者などである。
ウェディングドレスを着た新婦が「あ、ちょっと通ります」みたいな感じでカメラを横切ってはいけない。
いやお前、お前を撮るんだよ。
そう突っ込まれる事うけあいである。
と、ここでもう判明したように、結局「派手な目立つ服装の者はこそこそしてはいけない」のである。
派手な格好しているならこそこそせず、派手に立ち回るべきである。
一方、こそこそしたいのなら、派手な格好をすべきではない。
実は、この「こそこそした挙動をするとマズい人たち」を考えた時、まず思ったのが「SEKAI NO OWARI」のピエロであった。
もうピエロというだけでこそこそしてはだめだし、まずなんか怖い。
そして「SEKAI NO OWARI」と自ら名乗っている。
垣間見える終末思想の断片が、1999年7月に来る予定だったのはこいつなんじゃないかと思わせ、恐ろしい。
「サンタの格好をしたスタッフ」にそんな恐怖を覚えることはないと思っている方もいるだろうが、考えてみてほしい。
「クリスマス→サンタの格好」という構図は、ちょっとありふれすぎている。
ピザの配達員はコスプレしてバイクを運転しているし、コンビニのおばちゃん店員は帽子でさりげなくサンタを演出。
カインズホームのペットコーナーには、ブルドック用サンタ衣装が売られているわけである。
この一辺倒な「クリスマス→サンタの格好」志向は、本来のサンタの重要性を希薄なものにさせてはいないだろうか。
あるいは「サンタが本来やること」以外のことをしすぎてはいないだろうか。
ピザを販売し、男の目を狂わせ、犬。
これでは「サンタ本人」は自分の格好の恥ずかしさに、それこそ「こそこそ」しなければプレゼントも配れないことになってしまう。
恐怖ではないが、何か悲しみを感じさせる。
そしてこの悲しみは増大する。
こそこそすることになったサンタはまず服装を変えるだろう。
空き巣を生業にするものの多くは普通の背広姿でターゲットを物色するそうだ。
それが一番「まぎれる」のだという。
それを考慮すると、現代のサンタは背広姿の可能性が高いという事になり、ほらたかし、お前の身近にいるだろう背広姿のやつが!!という感じで子供の夢が壊れる。
と、いろいろと思った次第でございます。