ダック

ある中華屋さんに入ると、目をひくのが「北京ダックまつり」の貼り紙だった。
安いのかおいしいのか、とにかくまつりなのだった。
「まつり」というのを食品に使うことは結構あることだ。
しかしその軽快な雰囲気の一方では「ダックたちは地獄」を感じずにはいられない。
別に菜食主義とか過剰な食物事情とかをどうこうするつもりは全くないのだが、あまりにダックたちのことを忘れている気もする。
「食う側が食われる側のことを考える」
自体がかなり自然的なことではない。
しかし、ちょっと「まつり」と称するのは、あまりにまつりまつりしすぎている。
僕も「まつり」にあてられたのか、今までダックたちのことを忘れていたからか。
北京ダックって食べたことないですし。
次回
「まつりしばり」

幽霊船

幽霊船というものがあったとしたら、そいつは絶対海路がわかってないといけない気がする。
せっかく幽霊になったんだから、誰かに見てもらわないとだめなわけで、一方生きてる船の方は、わざわざ用のない、海路から外れた領域に行くこともないわけで。
幽霊船は海路上に陣取っていないと、いくら待っても船来ませんになってしまうのだ。
その点、幽霊電車というものがあるとして、そいつも「この無念、誰か見て!!」なものだとしたら。
幽霊電車はレール上にいることさえ守っていれば、おそらく大丈夫だ。
レール上を走っていれば駅を通過できるし、同レール上の生きてる電車をびびらせることもできよう。
ただ、これでは幽霊船、幽霊電車の対策として「海路、レールに近づかない」ができてしまうかもしれない。
あるいは新しい海路、レールが作成されてしまうかもしれない。
そのとき、彼らはその決まりきった道を捨て、宙を飛んで来るだろう。
誰かに見て欲しいからね。
しかし残念。
宙に浮かぶ船や電車を見ても、私達は彼らの無念さを汲み取ることはできない。
それを幽霊どうこうとは認識せず、どちらかというとメルヘンを感じてしまうだろうから。

収斂進化

今頃になると、なにかにつけての飲み会が催されるため、食道以下肛門までの間にある養分を吸収する仕組み全体に「そんなに吸収しなくていいぞ」と律したい気分であるが、それはぜいたくでもあり、彼らの仕事を奪うことにもなり、そもそも自律的な動きだろうから、律されるべきなのは他のところにあるな、の心境である。
ところである飲み会では、以下のような流れが見受けられることがある。
「ぞんざいの収斂」
そう名づけてみた。
と、「収斂」などと絶対手書き出来なさそうな言葉を使っては見たものの、内容はいたってシンプル。
「飲み会で、ぞんざいな扱いを受ける者が決まること」だ。
僕が思うに、その扱いを受けるのは以下のような者と思う。
「そこそこ酒もすすみ、「開始時ほどの盛り上げ要素」がそれほど必要ない雰囲気のときに、なおがんばる者」
残念なことに、彼はたいていぞんざいな扱いを受ける。
一生懸命なんかしゃべる彼に対して、ややオーバーに「えぇー」と驚いてみせる場面などを見ることがあるだろう。
ぞんざいである。
なんともあらあらな感じではある。
しかし考えようによっては、彼はその場のぞんざいを一手に引き受けてくれているとも言える。
序盤ですべったやつがいたはず。
最近忙しい、とかばかり言っている。
聞き上手さを出そうとして、ちょっと煙くなってないか。
そんな様々なぞんざい予備軍たちに先んじて過酷な試練を受ける彼彼女。
健気である。
時として、この「ぞんざいな扱いを受ける報い」を他者に押し付けたり返したりする行為(ぞんざいの攻防)もある。
だが大抵はなるべくしてなる人がおり、彼彼女は「なんだよーいいじゃんかよー」とか言ってたりする。
健気である。
まとめ
自分で自分を誉めてみました。

好酒剤

昨日から。
【あらすじ】
嫌酒剤について、なんか書いた。
=====
もちろん好酒剤という薬はないだろう。
適度なお酒は健康によいと聞くが、それを飲ませるための薬なんだったら、その時点で健康によいものを飲めばいいのだし。
そもそもお酒の好きな人は多く、嫌いな人も、そのほとんどは身体的な理由からくるものだろうから。
投与まで行って酒好きへプッシュする必要はいまいちないのだ。
と、昨日は嫌酒がどうこう言っておりましたが、飲む場は案外好きだ。
飲んでる人が喋っているところがおもしろいから。
僕としても飲むのは好きではないが、飲んだらおいしかったというのが多く、結局好きなんじゃないかの様をなしている。
致命的にめんどくさいやつや、致命的にだめなことをのたまうやつがいない限り、飲み場は楽しいことが多い。
一方で、自分が「致命的?」シリーズに属さないよう懸命になる必要もあるが。
最近は花粉症の薬を飲んでいるので、ちょっと飲むだけでふわっふわになるんですけど。
?????
何となく考えた「こりゃお酒、好きになるよね」
・あなたが生まれた年のワインを用意しました
・恋患い
・ビールの缶が汗かいてる
・真剣にどぶろく作りに携わってみた
・尊敬する人が空いたグラスを咎めてくれた
?????
ありゃ、あんまり浮かばない・・・。
こいつは困った。
でも分かった。
各項目の比重、特に2、5あたりの比重がでかいんじゃないかとにらみましたよ、あたし。
「酒が好きになるシチュエーション」
いまさらながら何かおもろい感じになりそうだと分かりました。
でも、これ書いているときに飲んでない時点で、ほんとは出直しですな・・・。
嫌酒、好酒関係おわり。

嫌酒剤

どちらかというとそんなに好きではなく、自分からは飲まない。
しかし勧められるとがんばってかつ案外おいしく飲み、サワーなどでは「ジュースみたい!!」とじゃあジュースを飲んだらええやん、という感想をもらす。
そんなスタンスのため「記憶をなくすほど飲む」というのがわからない。
飲みはじめの時は、自分がどれほど飲めるのかがわからなかったため、飲み過ぎることもあった。
しかしその結果は「記憶をなくすほど酒を吸収」にはならず、「嘔吐」になるさま。それに懲りて、たいていの場は程度をわきまえての飲酒となった。
だって、嘔吐って見た目すごいことになるから。
病気か何かでの嘔吐だったら仕方がないけど、飲酒の場合は「ちょっとお前自分管理してよ」みたいなところあるから。
それに、人間とは思えない嗚咽音を、出すでしょ?。
あれってもう、公然わいせつに値する、とか思うよ。
ということで「記憶をなくすほど飲む」というのは僕にとって「あらあら」という感じであり。
ただ一方では、自失に対する曖昧な羨望にも似た興味がある、というものなのである。
そこにきての「嫌酒剤」。
おもしろい立場のものだ。
深刻度の低い場合くらいにしか使用されないものと思うが、詳しくは知らない。
ただ、この薬の名称から察するに、禁酒を成功させるための手段の一つなのだろう。
ちなみに嫌酒剤は、人にもよるのだろうが、一般的にはお酒を飲んだら悪酔いさせるような働きを持つとか。
禁酒とも言われる「飲まない」というゴールに対する手段としては、少々弱い感じ。
「悪酔いしたから飲まない」という現役酒飲みは多そうだから。
?????
何となく考えた「これでお酒、嫌いになんね?」
・学校の水道水から日本酒、マラソンの給水がワンカップ大関
・何か不幸があるとどこからともなく現れる酒盛り団体の、国レベルでの設置
・給食のとき出るアルコールを残すと居残り
・成人になるころには、たいがいの父親が酒関係で亡くなっている
・「飲まなけりゃいい人なんだけれどもねぇ」がある種のステータス
・日曜、庭の草花に水をやる。太陽に照らされ、小さい虹が見え隠れするが、日本酒
・美術の時間、作品に酒かすを用いる
・国をあげての主食おつまみ運動
・ショートケーキの生クリームが、基本ビール泡
・生地酒かす
・いちごに甘酒をつけて食す
・血だと思ってたらほんとに赤ワイン
・歩行者用信号の歩行者マークが、なにかお土産を持っている
・ホームの白線がちどりあしを考慮したものになっている
・特撮モノで、必ずヒーローと悪幹部が酒を酌みかわすシーンがある
・国数英酒社理
?????
その酒を飲む人たちがいる一方で、酒を嫌いになりたい人もいる。
これら両方が受動的なら、なかなかに現代人は、情緒的に映える要素を持っていそう。
で、その場合の「嫌酒剤」は、どうしても受動的なほうに入ってしまう。
幽閉されていることを「禁酒」とは言わない。
この服用も、それとは別の理由だろうが、結局「禁酒」とは言えないだろうし。
※本ブログ的には「厭よ厭よも・・・」で行ってもいいが、まあ行かんでもいい。
ともかく「嫌酒剤」というのは「禁酒剤」と言えない以上、ゆるい剤なのである。
しかも飲む飲まないのはざまにいるゆるさもある。
そこがおもしろいのかも。
次回、好酒でがんばってみる。
追記
酒は本来そこらで勝手にできてしまうものであって、醗酵という自然現象の産物とか。
それを嫌うとなると、なんとなく東方フハイを思い出すしだい。
さらに「禁酒剤」というのは、時計じかけのオレンジとかで似たのありそうなしだい。

ぐもぐも

「シドニージョウゴグモグモ」
非常に強い毒を持つクモである。
噛まれると嘔吐や筋肉の麻痺を引き起こし、そもそもすごく痛いそうだ。
昔、何かの本でこのクモのことを知った。
そして、その毒性や致死という暗めの記述とこえーの気持ちを同時に記憶した。
しかし、である。
それどころではない。
「シドニージョウゴグモグモ」
どうしたのだろうか。
ぐもぐもである。
どう発音すればよいのだろうか。
「シドニー」
「ジョウゴ」
「グモ」
「グモ」
「シドニー」
「ジョウゴグモ」
「グモ」
いずれかだろう。
しかし、「ジョウゴ」というのもなに?という気もするが、何よりもてあまし、そしてよくわからんのが2回目の「グモ」だ。
どういった要件で登場したのだろう2回目のグモ。
昔から「シドニージョウゴグモ」というのがいて、それと似てるけど違う、という意味なのだろうか。
だがそれなら「シドニージョウゴグモモドキ」などと、なんとなくちょい前流行った「へんないきもの」またはこないだの「タモリ倶楽部」のような雰囲気の命名でいいじゃないか。
・・・とまあこんな感じで、このクモを知ったときは「ぐもぐも」の感じの良さを気に入り何度か口にしてみたりで、図鑑を閉じた。
近頃別の本を入手したところ、コイツの項があった。
今日では、多少なりとも「シドニージョウゴグモグモ」は誤記で、ほんとは「シドニージョウゴグモ」。
すなわち「ぐも」ひとつ少ない方が正解なのではないかと考えていた。
・・・その本、文中に「シドニージョウゴグモグモ」ってありました。
こいつはいい。
昔の夢が破られずに済んだ!!。
さいこーだぜ、ぐもぐも。
命名者、にやりだぜ。
「ぐもぐもですか?」
「いいでしょう、ぐもぐも」
「なぜぐもを2回も?」
「オリジナリティを出してみました」
本人に無断で、命名にオリジナリティ!!。
楽しいね。
=====
正解
シドニージョウゴグモ
上記2冊のシドニージョウゴグモグモは、同一もしくはどちらか由来の誤植かも。
ざんねん。

感謝祭その2

昨日から。
【あらすじ】
献血のとき、血を抜かれると気持ちよかった気がする。
=====
献血で管を流れ抜かれゆく血を眺めながら、僕はあることを思い出していた。
「弟切草」。
スーファミであった、ほぼテキストを読んでいくゲームだ。
基本字を読み、ときどきがこーんと雷が鳴ったりききいとトビラが開いたりの効果音。
そしてまれに選択肢。
分岐点でどのような選択をしたかによりエンディングが変化するこのゲームを、正直他意がありつつもやっていた。
その詳細は省くが、なにやら怪しげな洋館に迷い込んだ男女ふたりが、うまいこと脱出できたり片方死んじゃったり、ピンクになったりする。
思い出したというのは、このゲーム内で語られる一説。
それはなんかまぁこう、いろいろあって主人公が屠殺じみた目、首を切断されそうなことになってしまったときのこと。
こんな旨のフレーズが出てくるのだ。
「首を切断してもそんなに痛くない。むしろ血が抜けていくのが気持ちいいという話もある」
確か怪物くん一家みたいな連中がおり、そのうちのひとりがそんなことを言っていた。
首切りのピンチのときに、何をのんきなことを言っているのだという気もするが、彼らなりの礼儀なのだろう。
さて、気になるのはその真偽。
もちろん試そうとなっても、一世一代の大勝負としてはあまりにざんねんであり、体をはる気にはならない。
昔、斬首刑か何かで死にゆくものに「首が切断されてもどんだけ意識があるか知りたいから、切られたあと、何か合図してくれ」と頼んだ人の話のあったような気がする。
興味がないわけでもないが、ちょっと頼みづらいだろうそれ。
「どんな合図をすればいい?」
「切断面から血をどっぱー出すとか」
「それ調節できなくね?」
「声を出す」
「出るかわかんないよ?」
「だっふんだをするのはどう?」
「それは悔恨の念が残る」
確かまばたきをしたんだっけかな?・・・。
ああ違った。
「首を切断したとき、むしろ気持ちいいかも」という点についてだ。
んなこたないだろう、と考えてみるが、結局それまでだ。
それに屠殺というのは、その「うわー」な見た目とは裏腹に、相手への苦痛が思いのほか少ないと聞いたことがある。
どうなんだろう。
ただ一ついえるのは、まあ死にたくないなということくらいだ。
というのを、献血時に考えていた。
首切られてどうこうは、やはりちょっとダメ話題だな、でももしそれが気持ちいいかどうかってなったとしたら、どう調べればいいんだ。
「恍惚の表情をするのはどう?」
「それは悔恨の念が残る」
悔恨の念が残るそうである。

感謝祭その1

「注射システムでさえなければ、いくらでも献血したるわい」という人もいるのではないだろうか。
大抵の人は注射が痛いので、血管に管を入れる献血の方法がなんとか違うやり方になりさえすれば、もっと献血人口は増えると思う。
話は変わっていないようで変わるが、少々昔の献血の話。
何の因果か献血カーに並んでしまい、うかつにも管を通されてしまったことがある。
要はただの献血のシーンなのだが。
僕はよほど深刻な面持ちをしていたのだろう。
「だいじょうぶよ」と、深刻な面持ちの原因行為を行った看護士のおばさんはにこやかに。
ゆっくりと血が抜かれていく。
頚動脈を切られた羊はこんな気持ちなのかと・・・。
と、そのとき奇妙な感じがした。
少し気持ちいいのだ。
何か、はりつめていたものがやわらいだような。
すっきりとしたような。
僕は血圧が高めで、それが血を抜いてもらったことによりちょうどいい塩梅になったりしたのかしらなどと考えたが、その理由は定まらない。
管を抜いたあとも、瞬間は痛かったが、そのあとはなにやら軽妙な感じ。
なんだ、俺は今までずっと、血が少し多いチームだったのか。
今のでちょうど良くなったのか。
今思えば度を越えた献血への恐怖が和らいだのかもしれないし、血圧が一時的に低下したときの症状なのかもしれない。また、血を抜くとき気持ちいいのは一般常識であり、僕がそれを知らなかっただけかもしれない。
このまま何事もなければ、僕は献血注射大好きになっていただろう。
しかしその後、ちゃんと(?)気持ち悪くなってしまい、いまだに苦手分野だ。
で、そんなとき、「血を抜く」「気持ちいい」のキーワードで、僕はまた別のことを思い出していた。
次回・・・スーファミ「弟切草」の話。

水没

もちろん昨今の災害、天災などは除外してなのだが、「水没した人工物」はえもいわれぬ神秘的なものを感じさせる。
自失への緩やかな傾倒だろうか。
映画で海底に沈んだ建物に日光が射すシーンなんかがあると、見とれてしまう。
(一方で底の見えない海は怖い。
群青の海底からなんかでかく黒いものが出てきそうだからだ)
また、古城かなにかで、石畳の回廊が水深の浅い川のようになっている、というのもサイコーだ。
なんでこれがサイコーになったのか、自分でもわからないのだが。
ポニョはたいがい海であって、それはそれは目を引いた。
日常生活していた風景が全て目下にあって、自分の影が底にうつるなんて、なんて楽しいんだ。
確か主人公の家もぎりぎりな感じで床下浸水だった。
海面はほぼ1階の床ぎりぎりまできていて、家から出たとたんに水深30cmくらいなのである。
・水がきれい
・あらゆる面で、困る人が生じない
・特に害をなす生物もいない
・週1くらい
・家の侵食がない
・ひとはだ
この基準が満たせるようなら、僕は世界ポニョ化オーケーだ。
でも、そんなこと言ったら
・雪がきれい
・あらゆる面で、困る人が生じない
・週1くらい
・家が雪の重さでつぶれない
・ひとはだ
の基準クリアで、僕は世界雪国化オーケーだ。
となると
・砂丘がきれい
・あらゆる面で、困る人が生じない
・週1くらい
・少し甘い
・ひとはだ
の基準クリアで、僕は世界砂漠化オーケーだ。
ということで、困る人が生じないことというのは、聖杯みたいなものなのである。
ざんねん。

劣化手品

「ステッキを花束にしてくれたのだが、そもそも浮いている」
心の中で「劣化手品師」と名づけているそんなマジシャンを、正直探してはいないが、かなりいいのではないかと思う。
披露していく手品が、順に劣化していくのだ。
マジックショーとして考えると、それはおそらく逆の流れだろう。
登場したとき、既に体が切断されている。
その状態で瞬間移動の手品を披露!!。
やや、客席の後ろの方にスポットライトが当たっているぞ。
さっきまで舞台にいたマジシャンが、一瞬で客席後方に、体が切断された状態で!!。
ここでのお客さんの反応が面白そうだ。
僕が思うに、8割は「瞬間移動のとき、何かの作用で体も元に戻って」と期待すると思う。
だから後方でマジシャンが自慢げに瞬間移動のマジックを終えたとき、客席からは拍手半分ためいき半分のはずだ。
「瞬間移動もすごいけどあーた、からだからだ!!」
何事もなく舞台へ瞬間移動して舞い戻ったマジシャンは、今も元気に切断だ。
マジシャンは次に新聞紙を取り出し、それをB5サイズくらいに折りたたんだ。
そしてそこに、なんと牛乳を流しこむ、体が切断された状態で!!。
お客は騒然とする。
忘年会か!!、いやそれよりからだからだ!!。
・・・なんか結構面白いような気がしてきたぞ。
今の体切断の件もなかなかだが、「最初から体が燃えている」というのも劣化させやすそうだ。
燃えてるから、どんなマジックを披露したとしても、何やってんだかよく分からないだろうし。
「トランプを剣で突き刺したらしいが、燃えていてよく分からない」
面白いじゃあないか・・・。
ちなみに冒頭の体切断マジシャン。
ショーの最後を「体切断マジック」にすれば、確実に客は飽きないだろう。