【実録!! 邪教の誤った使い方】
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「すいません」
「あれ、お隣の。どうしました」
「申し訳ないんですけど、ちょっと雄鶏を切らしてしまいまして。1羽わけていただけませんか」
「そうでしたか。いいですよ」
「ありがとうございます」
「いやーそれにしても、ここらへんもずいぶん人が少なくなってしまいましたね」
「ええ、本当に。こうやってご近所付き合いができる機会もなくなりましたね」
「でもまあ、こうやってお話できるんですから」
「そうですけどね・・・。ただ、最近は思いふける事も多くなりましたよ」
「というと?」
「一生懸命こうやって仕事をがんばってきていますが、なんというか、やりがいみたいなものがねえ」
「何かあったんですか!?」
「いえ、そういうわけではないんですけど、もう時代遅れというか、何気にご近所が少なくなった原因とも言うか」
「何言ってんですか。私たちは今までずっと、邪教一筋でがんばってきたじゃないですか。もう少しですよ」
「・・・そう、ですよね。もう少しですよね」
「そうですよ。そのいきです」
「いやあ、何だか元気になりました。そのもう少しが達成したら何になるのか気になりますが。ともかくありがとうございます」
「またきらしたら、いつでもいらっしゃってくださいよ」
カテゴリー: 楽したい
風の怒濤
【なんとなく意味ありそうな1文で、テキトーな文章を締めてみるコーナー】
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なんかもう、ミカが離してくれないわけよ、俺を。
こないだもメシ行くでしょ?。
それからカラオケ行くじゃん。
そないだもずっと腕を掴んでくんの、ほんと。
いやーもうまいっちゃうよ、ほんと。
で、どうなのそっちは。
え、うん。
あーそう。
まあいろいろあるよねほんと。
こないだもミカが、あれでしょ?。
そうあれ。
あそこのモール行こうよって言って。
そりゃ行くよってなるけど。
そしたらあれだ。
もう着いたらすぐ「飽きたー」、だってさ。
「モールとお前の顔、飽きたー」って。
もうほんと。
すごいよね、僕への安定感が。
いやーマイッタ。
で、お前んとこはどうなんだっけ?。
え、ああそうだっけ。
それなんか聞いた事あるな、デジャヴかな。
ああさっき聞いたのか。
まあ、そりゃあいろいろあるよね。
うん、うん。
でも、あれだよね。
風の強い日に舞うものが木の葉なのか蝶なのかなんて、誰も気にしないんだよね。
尾を追う人
昨今の凶悪犯罪、詐欺事件を鑑みてみると、どうやったら防ぐ事ができるのか、わからなくなる。
というのも、だいたいの人間は同じくらいの能力なので、誰か悪いやつが凄まじい時間をかけてある悪事を練り上げれば、それは少なくとも、多少の期間は成功してしまうわけである。
こうなるともう、そういう人たちのターゲットにならぬよう、関わっても得なさそうな雰囲気を時々出した方がいいのではないかとすら感じる。
ただ、それは随時ではなく時々。
随時だと普通の生活が困る。
そんな事を考えると、とにかく人間に尾がないのが悔やまれる。
あれさえあれば、要所要所で尾を追いかけるという「あらら行動」ができるというのに。
だめか。
そんな人はむしろ目立つか。
じゃあメガネをかけて、賢そうにするか。
これは一体いつの時代の発想なんだ。
ピーポくんのコスプレするか。
あれ、ピーポくんなら、着ぐるみじゃないと表現しきれないか。
もっと念仏はって!!
終電間際の電車内には、空也上人がたくさんいる。
しかも、上人よりも念仏大きく唱えちゃってる感じだ。
などといいながらも、僕もよく大口を開けて眠っているかもしれない。
気をつけたい。
なにせ、僕ごときは、あんな崇高な物を出せるとしてもせいぜい1.5体くらいだから、座席に残るのは1体の仏さまと半身の何か。
そして体は消え、ただ衣類が残されることになってしまうからだ。
こんなギャグ、いりませんでしたか。
すれちがい、こんにちは。 その2
昨日、3DSの「すれちがい通信」について記したのだが、なんとなく「自分しかいない部屋で突然すれちがい通信が始まる」というのは怖いな、と思えてきた。
確か、「すれちがい通信」が発生すると3DSのどこかが明滅。
通信している事がわかるのだが、それが全く誰ともすれ違わないシーン。
自分の部屋や、深夜で誰も歩いていないアパートなど。
突然ランプが明滅するのだ。
これは怖い。
完全に霊である。
しかし、考えようによってはこう捕らえることができる。
「霊とすれちがい通信の電波?は同じである」
霊がすれちがい通信で「ひっかかってしまう」のなら、もはや3DSがすれちがい通信で出すもの自体が霊のようなもので、3DSは霊ですれちがい通信をしているわけである。
これは3DSの付喪神的な面を想像させるもので、あんがい興味深いが、一方で私たちは次の事に気づかねばならない。
「3DSからは、よく霊が出ている」
3DSこわっ。
すれちがい、こんにちは。 その1
ドラゴンクエストモンスターズというゲームをやっていると、なんとなく「人とすれちがう」ことが気になってしまう。
というのも、3DSには「すれちがい通信」みたいなものがあり、近くで3DSを持っている人がいると、その人と情報がやり取りされる。
ドラゴンクエストモンスターズの場合は、お互いが作ったキャラクターがやり取りされ、それらと対戦できるというシステムになっている。
家に帰ってきて3DSを見た時、こんだけの3DSを持っている人と今日、すれちがったのだなあと感慨深くもなるのだ。
ところで、このやり取りには「相手の作ったキャラクターを仲間に入れる事ができる」というメリットもあるため、気分的にはどんどん「すれちがい」あいたい。
となるとどんな方法が最も良いかという考えが生じてくる。
まずは大規模な駅、空港などが思いつく。
人がたくさんいるところ。
それは「3DSをすれちがいをするために持ってきました」という人もたくさんいるのである。
あとは効果があるか分からないが、以下のような方法もあるだろう。
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すれ違う人すれ違う人それぞれに対して一人ずつ、1回周りをまわる
存在しない、しかし大都市が関わっていそうな住所へ、3DSを送付
ゼッケンのように、3DSを衣類表面に貼っておく
岸和田だんじり祭りのおみこしに3DSを隠しておく
東北に暮らす友人に向けて、3DSをぶんなげる
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それぞれ、「すれちがい通信」の機会をより逃さない方法、多くの人に接するようにする方法、いろいろある。
ただ、ものによってはすれ違いではなくクリーンヒットの場合もあるためか、すべてニンテンドー非公認だと思う。
カラフル
初めて入るラーメン店では、一番オーソドックスなものを注文するに限る。
そう考えているのだが、そんな場面のとき、僕はいつも「ぜんぶのせ」みたいなものを頼んでしまう。
こないだもそうだった。
評判らしいエビ抽出のつけめん。
しかし僕はその日、久しぶりだったからか大量の朝マックを食べており、しかもラーメン前にサイダーを飲んでしまった。
その上で「ぜんぶのせ」的なやつを注文したのである。
そうなると、あたりまえ。
もちろんおいしいのだがそれ以上の「もう食えない」感情が発生する。
それは、結果おいしさが薄れるのを意味している。
これだけなら自分で閉じている話でまだましなのだが、重要な「おいしさ感情」が薄れてしまった事で、例えば誰かにその店のコメントを求められた時。
「まあ普通だったよ」となってしまうのである。
これはいけない。
おいしかったのだから。
「あそこのラーメン、どうだった?」
本来はこう言うべきだ。
「お腹いっぱいだったよ」
相手が「あれ、量が多いの?」と勘違いしたとしてもかまうものか。
「いや、それはお前の腹のさじ加減で、それは俺には関係ないから」と冷えていてもかまうものか。
今、気に入っていた白い帽子が、カラフルになって洗濯機から出てきた。
「あそこのラーメン、どうたっだ?」
「カラフルになって帰ってきたよ」
ざんねんである。
コード
僕は「ミセスロイド」という言葉はかなりエロいのではないかと常日頃より考えているが、じゃあ何がエロいのかと問われると困る。
それは回答できないというよりは「回答するものがない、あるいはありすぎる」のどちらかになってしまうから。
であって、要は「回答に最適なひとつ」が用意できない。
誰しも「ミセスロイド」で何かしらエロファクターを見出せと言われれば、いくらかは出てくるだろう。
僕も同じくらいだが、人は人生というものを歩んできた。
そのなかで、他の人には見出せないエロファクターを探し出せる経験もそれぞれ積んでいるだろう。
それゆえに、「回答がありすぎる」というのは十分に考えら得る事なのである。
ただそれを全て示す事。
例えば誰かに詳細に理由を話すのは、「回答がありすぎる」故にかなり個人の濃密な部分にも触れなければならないだろう。
それは自分のQRコードを渡すようなもので、あまりゾッとしない。
どうしてもっていう場合だけ、ささっとすませる程度にとどめておきたいものだ。
「え、何がエロいかだって?」
「いやあ、特に理由は、ねえ」
「でもどうしてもって言うんなら、じゃあ今夜、雀荘予約しておこうか」
僕は麻雀ができないのである。
虫盛り
毎年書いているかも知れないのだが、近くに森林を利用した公園があり、そこに沿う形の小道をよく通る。
秋から冬にかけてあたり、この小道に「お椀一杯くらいの毛虫が山盛りになっている」ことがあるのだ。
少ない年は数回、多い年だと週に一度くらいは新しい「盛り」を見つける。
できたての「盛り」だと毛虫がみんなもぞもぞしていて、戦々恐々とする。
今年は多い。
昨日も、それまでなかった「盛り」ができていて、散り散りばらばらになっていた。
そう、彼らは越冬というよりは自殺行為。
たいがい「盛り」は自然にあるいは雨にうたれて毛虫が散乱。
誰一人助からない「盛り」行為なのであるのと同時に、僕が「虫盛り」と呼ぶそれは我が家の冬の季語にもなっているのである。
あれは一体何なのだろうか。
図鑑でも調べてみたがよくわからず、ごめんそれほどちゃんと調べてない。
ともかく「盛っている」。
翌日「死んで散らばっている」。
理由としてありそうなのは、やはり越冬だ。
何か、その小道には越冬に最適な何かがあったのだ。
それを何らかの形で知っている毛虫達は、それを利用とする。
しかしその「越冬に最適なもの」はもう利用する事ができなくなっており、ただ死ぬのを待つばかり。
それがこの惨劇の背景としてあるのではないか。
惜しむらくは、この繰り返される現象に生き証人に値する登場人物が現れない点である。
例えば、毛虫間で何かしらのコミュニケーションができたとしても。
毛虫達はみんな死んでしまうものだから、誰かが「あそこで盛ってみても越冬できないよ」と伝えることはできない。
虫盛りは自殺行為。
「越冬に最適なもの」は知っているが、虫盛りの惨劇を知らない毛虫達は、毎年小道に大挙するのだろう。
先日も、虫盛りのあとの惨状の上に、新しい虫盛りができていた。
惜しむらくは生き証人がいないこと。
本当に毛虫間コミュニケーションはないようだ。
気さく吹きすさぶ。
僕の家族はそろいもそろって優柔不断なので、誰かが生け贄になる必要がある。
それはたいがい「どこに食べにいくか」というもので、そのなかでたいがい僕が「なんか分からない、行った事のないとこにしよう」と提案するわけである。
その日は誰かの誕生日で、そうケーキを買ってこようかというとき、またそれが発生した。
どこのケーキ屋がいいのか。
最近我が家で評判のあそこにするか。
あそこはいつぞやのイベントで食べたぞ。
なんてことになりながらも決まらず、結局僕が「なんか分からない、行った事のないとこにしよう」と提案。
目的なく車を走らせたのである。
人間には、どれほどの「よく通るが入った事のない店」があるのだろうか。
それが「よく通るが入った事のないケーキ屋」になると少しはしぼられるだろうが、どちらにせよ多数。
多摩川の河川敷にあるグラウンド数よりも多いだろう。
そんななかの一店にてケーキを所望しようと思ったのである。
僕らが思いついたのはそう、まさに「よく通るが入った事のない店」で、とにかく「よく通るが入った事のない」ことで我が家で有名だった。
喫茶店らしきそこは、ケーキも売っているらしく、とにかくらしいことしか分からない。
今回のようなケースにはうってつけの分からなさだった。
台風の中、我々はケーキが買えるのかはわからないそこへ向かっていった。
道路は水浸しで、なんとなくケーキを買いにいくような天気ではない。
それでもそこに到着した。
そして妙にそこが混んでいることに気づいた。
駐車場が満車なのである。
案外有名なのかもしれない、台風なのにこんなに混んでいるなんて。
搭乗者が雨の中、喫茶店の中へ入っていく。
そしてすぐ出て来た。
なんと、ケーキは先ほどの客で売り切れてしまったのだという。
なんだ、「よく通るが入った事のない店」は「よく通るが入った事のない、ケーキがうまいらしい店」だったのだ。
仕方ないと車を発進させようとすると、店内からマスターらしき人がずぶぬれになりながら走ってきた。
ケーキの買えなかった我々に申し訳ないと思い、売り物ではないがケーキの切れ端をロールしたものを持ってきてくれたのだ。
それは甘さ控えめで、しかも「ケーキの切れ端」という、それだけでおいしさが見出せそうなもの。
実際、非常にうまい。
よって、この店は「よく通るが入った事のない、ケーキがうまくマスターが気さくな店」と、けっこう希有な存在となった。
台風に誕生日の人が家族にいて、よかった。