水生昆虫

ここ数日、水生昆虫への想いが募ってきていた。

小さい頃好きだった「タガメ」という水生昆虫は、今見ると結構気持ち悪いことになってはいるが、それでも一度も手にしたことがない。

その無念さが、唐突に思い出されたのだった。

それでも、近所でそれを望むのは難しく、もう少しいそうな奴ら。

例えばコオイムシ。
タガメを小さくしたような虫だが、これも捕まえたことがない。
動画でわちゃわちゃ動いているさまをみると、捕まえたくて仕方がなくなってくる。

名の由来は「子を背負う」という、オスの背中に卵が産みつけられる生態からだが、どうもタイプしてみると「行為無視」となり、へー「こうい」「こおい」は同じことを示したいと「思われているんだな」と感心したり、俺は行為を無視したことなんてない、大概の行為はやってきたし、受け入れてきた。
なんて憤ったりした。

それらを求めて網を購入、いそうな場所をガサガサ、しようと思っているのだが、実際してみたのが一箇所。
とにかくいそうにない。

それでも自転車に網と虫かごを入れ、長い坂を下っていると、ずいぶん幼稚な、年相応ではない自分の姿を想像して赤面しそうになる。
が、下り終えた時、思ったのが「帰る時、この坂をあがるのはつらそう」ということだった。

これがもう少し若かったら「次にも同じような坂が現れたら、あがるのはつらそう」になるし、さらに若かったら「次に同じような坂があったら気持ちいい!」だろうし、さらにさらに若かったら「コオイムシ!コオイムシ!」になる。

帰路の上り坂と自転車の網は、僕を歳相応にしてくれるだろう。

睡蓮

やっぱりこう、性別柄のせいか、エロいことに換算できることは勝手に頭の中でしてしまう、というわけでして。
これってもう、仕方のないことなんですよね。
もう生まれてn回目の性徴期が過ぎる頃から。

そういうことを、あなたのような人になんでいきなり言っているのかもどうかと思うんですが、最近はそう。

板ずり、ですね。

もう、最初からそういった方面の言葉だと思いましたよ、ほんとに。
料理番組で最初に聞いたときも、なんでいきなりそんなことを言うのか、と思ったくらいですから。

ただ、それが調理の言葉だってことを知っても、やはり第一印象というのは怖いですね。
最初がエロいと思っちゃったから、治らなくて。

いやむしろ、あれでしょ。
たいがいがきゅうりだもの。
板ずりやるの。
収まりませんわ、エロが。

そもそも食材の下ごしらえっていうのが、その本来の意味も、語感も。

広がっていくわ、板ずりから。
パンデミックですわ。

確かエロテロリストがインリンだったから、その仲間みたいなもんですわ。

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こんなことを日曜日の夜に考えるのは、明日に良くない。
そういえば、春から仕込んでいる睡蓮鉢の花も咲かない。
たぶん、こう言った不純なことを考えるのは睡蓮の花にも良くないのだろう。

ユニフォーム

世界陸上なのだろうか。

最近テレビでアスリートの映像を見ることが多いが、彼らはたいそうタイトなユニフォームを着ており、かっこいい。

それにしても、体にぴったりしてる。

陸上競技に限らず、大概のスポーツはスピードを要求されるものが多く、人間本来の身体機能を阻害するような衣類は適さない。
というのはわかるのだが、そうなると当然気になるのが「全裸のほうがいいのではないか」ということだ。
もちろん倫理的な理由もあるだろうが、他にユニフォームが全裸より優れている点はないのだろうか。

まず思いつくのが「体毛」だ。
人間には要所に限らず、全体的にちょいちょい毛が生えている。
これが空気の抵抗を受け、結果スピードを損ねる。
そこでつるつるのユニフォーム、というわけだ。

ただし、それだと「体毛を全てそり落とせばいい」のでは、ということになる。

となると次は「でっぱった部分」の話に、どうしてもなる。
何かとは言わないが、人間には器官としてでっぱった部分が数多くある。
それも空気の抵抗を受ける、あるいはぶるぶるぶらぶらしてしまうため、それをユニフォームで抑えるのだ。

そこは外科的なやつでどうにか、という向きもあるだろう。

しかし、それはもう本気すぎ。
主催者側のルールで存在するかどうかは知らず、では義足はどうか鼻の高さを100mにしてもいいかなども考えなければならないかもしれないが、動機がただ「競技に勝ちたい」だけの外科的なやつになると、ちょっと引く本気である。
あんまし良くない気がする。
規制前、規制を回避するスタイルのドーピングや、アマゾネスの件のように良くない気がする。
時代や根源的な部分にそぐわないきがする。
となると、ぶるぶらはユニフォームで抑えるくらいがちょうどなのかもしれない。

また、ユニフォームを着ることでひどい怪我をする機会が少なくなるのも見逃せないだろう。
例えば全裸でサッカーをやると、ちょっと危ない気がする。
スパイクがないにしても、芝との擦り傷や転んだときの衝撃など、ユニフォームが防いでくれている怪我の要素は結構ありそうだ。
したがって、ある種の企画ものは性欲というよりは視聴者に「転んだら痛そう」と思わせるものである。

最後に、スポーツ医学的な、整形外科的な、ツボ的な。
難しい理論で身体能力を向上させる、というのもあったりするかもしれない。
例えば、太もものある部分を圧迫すると、違うところの筋肉がより効果的に使える、とか。

あとは、ゼッケンにより誰かがわかり、アナウンサーの人が助かる。
スポンサーの広告をボディペインティングで表現しなくて済むなど、細かい「ユニフォームの利点」が幾つかあることが、勝手にわかった。

そうなるとまた気になるのが「ユニフォームに適さないもの」ということで、今日は余った時間を振袖について考えることに振ることにした。

暑い夏

どうなのかは異論あると思うが「世界で一番暑い夏」というのは、それを言ったのが北半球ならその範疇で「一番」ということなのだろうか。

本当に一番かは、半年後の南半球の調子を待たなければならないのではないか。

いや、それとも半年前の南半球の気温を鑑みての「世界で一番暑い夏」発言だったのだろうか。

そうなると考えないといけないのが「季節は北半球が先か、南半球が先か」という点で、おそらく後の方が「世界で一番暑い夏(です!)」と言え、先の方は「世界で一番暑い夏(の可能性がある。あと半年後に判明します)」になるわけだ。

と、いつも不思議なのが「日本が夏のとき、オーストラリアは冬です」というやつで、あれは「日本もオーストラリアも夏ですが、オーストラリアの夏は寒い」ということではいけないのか。

一律「太陽に対しての地球の位置」でそれを決めたらいいんじゃないだろうか。
と思ったりもしたが、よくよく考えてみると、季節というのはふわふわしていてよいわけで、冬が夏だろうが暑かろうがあまり問題ではない。

何かしらのアニメのキャラクターの名前の「冬」のところを「夏」にしてしまったら、だいぶ印象変わるかもしれないが、明日の気温はたぶん、平年と変わらない。
そこで変わるのだとしたら気候というものは何かしら意識を有しており、しかもそのアニメに感慨を抱く。
誠に人間的な意識を有していることを示しており、これは気候の新たな研究の余地、あるいは気候が擬人化されることが先か。

ともかくその後の気候がどうなるか。
気にならないこともないが、そうか。
せっかく意識を有しているというのなら聞いてみたい。

気候として、北半球と南半球のこと、どう思ってる?

鳥肌

1番とまでは行かないまでも、繁栄っぷりや天敵のなさを鑑みて、かなり生物として成功。
世界を席巻している人類においても、まだまだ進化途中。

そう思わせる要因の一つはやはり「鳥肌」だろうか。

すなわち、鳥肌ごときでフバーハ唱えたつもりになっているわけだ。

ただ気を付けたいのは「鳥肌」が何か、もっと重要な「対寒さ」対策の副産物であるという可能性。

例えば、我々が鳥肌に対してフバーハかけたつもりになってんじゃないよと憤っている時、体の中ではもっと効果的な「対氷結」反応が進んでいる。
これは目に見えるものではないが、たまたまなんらかの理由で、あるいは過去の仕組みで、鳥肌が立つという可能性だ。

それならば、鳥肌の効果をすべて否定するのは少し乱暴な気もする。

しかし見方を変えると、それは「対氷結」反応に対してのブラフのようにも見える。
誰に対してのブラフかはともかく、そうなると鳥肌というのは効果がないどころか少しマイナスのイメージすら抱かせるものである。

よって、たぶん昔のアイドルとかは鍛えて、鳥肌立てないようにしていたんだろう。
一方で鳥肌実は、それは見事は、攻撃力も付与されそうなやつを立てることができるのだろう。

ところで、フバーハってなんでしたっけ。