超高速!万物流転

早口言葉や回文の、ちょっと無理した感じが好きだ。
それは本来、自分の考えや意図を主張するべきものが、二の次。
言いにくいことだったり、反対から読んでも同じであることが最優先なのだから、無理はしょうがないかもしれない。
ところで、無理が好きなゆえに、どちらかというと反対側。
「心に響く早口言葉」や「泣ける回文」というものがないか、気になる。
巻紙のことを言われても、そもそもそれが何かもわからないから心には響かない。
新聞紙と言われても、取ってほしいのかくらいしか思わない。
以前、だまし絵のことを書いたが、それと似ている。
だまし絵の悲劇
最優先されるものが、その本来の存在意義と違う時点で、一挙両得が難しいのは仕方がないのだ。
一方、二の次であった主張の方を気にしてみたら、こんな気分になった。
「隣の客が柿を持っていないので、渡すべきか」
「えっ、まだ竹やぶ焼けてないの?」
これはこれで面白いのだが、お気づきになられただろうか。
これらは、考えようによっては「心に響く」「泣ける」条件を満たしているのである。
「ところで隣の客、節子に似ているな」
「子どもの頃、竹やぶで火遊びしてたらボヤ騒ぎになりかけて、死んだばあちゃんに叱られたっけ」
結局のところ、相手の感情に訴えかけることというのは人によって千差万別であるから、すべての事柄は誰かの喜怒哀楽の琴線に引っかかってしまうわけだ。
そして、そうしたくない場合というものが人間にはひどく生じたことから「沈黙は金」という言葉が生まれたのだろう。
ということを言いたかったわけではないのだが、となると次に気になるのは「早口回文」の存在で、ここまでくるとロジカルに考えるべきだろう。
とりあえず日本語に限らなくてはならないだろうが、早口言葉を科学的に解析。
ちゃんと早口言葉の属性を帯びた回文というものがありえるものなのか。
ぜひ開発、アナウンサーの発生練習の一環に組み込んでもらいたい。

あけましておめでおとうございます。

僕はよくゲームをやるのだが、ゲームと言えど衝撃を受けるような物事が、今までも幾つかあった。
「すべてをしるもの」の登場である。
彼はファイナルファンタジー5の中ボスのような感じで、ストーリー途中で出てきた。
調べれば詳細もわかるだろう。
登場当時、幼かっただろう僕でも畏怖したことを覚えている。
「ついに出ちゃったよ、すべてをしるものが」
何せ全てを知っているのだから、こちらの戦力も、この戦いの行方も、ゲームの中と言えどこの世界がどうなっていたのか、どうなってゆくのか、全て知っているやつだ。
それと対峙する結果になるのは心苦しいと同時に、勝ち目なさすぎるとスクウェアブランドの攻略本を開いたものだった。
そういえば、フリーメーソンの三角の目(ちょっと怖い)のやつも全知を示す意味があったと思う。
すごいことだ、何でも知ってますっていうのは。
ただ、ここで全知の悲哀というものもあるかもしれないことに気づく。
全知全能という言葉がある。
それは紀元前、後なんてカテゴリどころか、あらゆる権力者、男女、年齢、専攻、業種、身長、趣味、性癖、出家非出家問わずに誰しも手に入れたいと願うものだろう。
その能力はお金儲けや覇権はもちろん、神と相応するくらいの価値があると考えられているから。
少なくともその名前だけを考えると、「すべてをしるもの」は「全知」らしいが「全能」のほうは触れられていない。
もちろん「全知」と大変威厳のある資格を有しているおじいさんであるため、かなり有能ではありそう。
ただ、「全知」と「全能」は必ず比例関係にあります、と言われるとそうかな?という気もする。
触れられていない以上、「全知だが能力的にちょっと」と、残念な属性がつく、余地があるわけだ。
全てを知っているが、焼きそばソースの粉末をいつもばらまいてしまう。
全てを知っているが、バーベキューの準備に参加しない。
全てを知っているが、球技が全般的に苦手。
「全知」を知識、「全能」を行動と置き換えると、何か啓発本かな?という感じにもなるが、とりあえずFF5のエンディングを、僕は見た。
僕は彼を倒したのだ。
ゆえに、おそらく「全能」ではなかったのだろう。
彼はしかし「全知」であるがゆえ、どうにもならない未来に対して、諦めにも似た感情を持っていたかもしれない。
全てを知っているが、バーサクが効く。
もしかしたら、そんな悲しい感情を持たせることなく戦えていたのかもしれない。
が、どちらにせよ、そんなすごい存在と戦う経験をしたというのに、僕はそこから何ら得ていない。
すべてをしるものと対峙し、勝利しているのにもかかわらず、おじいさんであったことくらいしか覚えていないのである。
知識というものが悪しくないものであるとするなら、全知じゃないものが全知なものに勝利するすることは悪ではないか。
FF5の頃の僕が抱いたのは、もっとシンプルではあるだろうが、もしかしたらそんなことだったのかもしれない。
今でもカートリッジを差し込めば、どこかで彼と敵対することができるだろう。
ゲーム上、仕方がないのだ。
しかしそのときは、せめて知っておきたい。
「なんで僕ら、あなたと戦うことになったんでしたっけ」を。
ということで、あけましておめでとうございます。

フルメタル蝉丸

全く興味のなかった百人一首で、唯一に近い救いは蝉丸だった。
弾丸に字面が似ている点のみを考えると、ファイナルファンタジー7のバレット、ヴァンパイアハンターのバレッタ。
彼らも蝉丸の気質を少なからず持っていると思うが、やはり蝉だ。
親しみがある。
何言っているのかよくわからない句の中で、ただ一つ親しみのある蝉。
「蝉丸」と、2文字なのも好印象だった。
亀にあげた干しエビが、水槽の中でたゆたうのを見て、蝉丸のことを思い出したので書いてみた。

大きいことはいいことだ

とにかく「なんか煮詰められた毛玉を飲まされて死んだ竜」のことを調べる必要がある。
このブログでもちょい出る「幻の動物たち」という本のどこかに載っていたはずだ。
そして、ついでに煮詰めたというのが松ヤニを用いていたのかも気になる。
詳細は省くが、とにかくその詳細が必要なんだ。
しかし本はどこかに行ってしまい、電子書籍にもない。
理由は違うのだが、「竜にとっての毛繕い」というものがあるのかどうかも気になってきた。
竜にはたぶん毛は生えていないと考えているが、少なくとも「毛繕い」に相当する行動。
あるはずだ。
たぶんダニが鱗の間にいる。
ハリネズミやアルマジロは、その針や甲の隙間にダニがつきやすいと聞く。
たぶん同じで、大きさだけでかい。
そんなダニがいるはずだ。
ダニはいいや。
竜の毛繕いはやはり、逆鱗には触れない形で行われるだろう。
毛繕いのたびに逆鱗を刺激してしまい、ぎゅーんなっても困るだろうから。
いや、竜には逆鱗はないのか。
逆鱗があるのは龍の方で、確か西洋と東洋で「リュウ」の扱いは違ってはいなかったか。
西洋ではどちらかというと悪いやつ、東洋では喜ばしいものだった気もするが、おそらく西洋でもいい竜もいて、東洋でも悪い龍がいるにちがいない。
いや、竜も龍も今のところ認められていない生き物だ。
いいも悪いもあったものではない。
でも、そうなるとさっきのダニもいないことになる。
さっき、邪険にしてしまったあのダニが、いないことになる。
ダニには申し訳ないことをした。
いないダニなのだからどうすることもできないのだが、それにしてももう少しやさしくしていればよかった。
ダニは、いないのだがでかかった。
いないダニは生物の頂点に君臨する竜か龍(いない)の鱗の根に潜み、いい血か悪い血を吸って生きていた。
結構寄生な感じなのだが、とにかくでかかったんである。

損するアウトプット

なんだか乗車中のカーナビで、とにかくミクパが流れるんである。
結果、僕も単純接触に逆らうことはできず、なんとなく聴きたくなる歌ができた。
今、どのくらい流行っていて、廃れていては知らないが、よくできている。
ハロープラネットというやつは、まだまだ機械をふと感じさせるその音声が、むしろすごい効果を生み出しているんじゃないか。
そんな気がする。
それにしてもミクパの映像で流れるCGの初音ミクはよくできている。
ただ一方で、素早く動かれると、何か怖い。
そして特に、表情が時々怖い。
これは最近よく聞かれる「不気味の谷」というやつなのだろうか。
これもいつか、気にならなくなるときが来るのだろうか。
ところで、僕が気になったのは「このままでは、初音ミクは怒られるとき、損をする」という点だ。
実際の人間ですら、怒られているときはどんな表情をすればいいのか、難しいところだ。
さらに初音ミクはアイドルなのだろうから、彼女に表情を「教える」場合、それはかなり優先度は低いはず。
「怒られているのに、なんだその顔は!」
もう絶対言われるわ。
ロボット差別やわ。
と、この心配が生まれると、教える表情の優先度が気になってきた。
<優先度低そうなもの>
にがむし
つるピカハゲ丸の舌の感じ
おでこに乗せたビスケットを手を使わずに食べる
クシャおじさん
悔しいです!!
(^O^)/
不安の種系
歌舞伎の見得
ごめんあんま気になってないや。

鋭い言葉が必要だった

よく言っていることなのだが「ドッペルゲンガーに会ったら、思いっきり罵倒する」ことが必要だ。
ドッペルゲンガーは妖怪というか幽霊というか。
ともかく「自分そっくりなやつ」であるらしい。
日本では「ともあるき」という、妙に怖い感じの似たやつがいる。
というか結構全世界に出会ったという話がある。
で、こいつに出会うと、その人は近々死んでしまう。
恐ろしいことこの上ないのだが、どこかの誰かが発見した。
出会ったときにぼろくそに罵倒すれば、その死から逃れられるということを。
そんな話をどこかで知ってから、もしものことを考えいろんなに人に教えているのだが、ある人からこう聞いた。
「その人は脳内出血とか、視覚に影響する病気、障害を発病していて、それが致命的なものである場合」
「そんなとき、幻覚で自分の幻影を見て、誰かに話して。そして近々に死んでしまう」
「そういった現象なのかもしれない」
実は聞いたことないわけではない話なのだが、やはり人から聞くという過程は素晴らしい。
自分ではちょっと味気ないと思ってしまっていたこの論が、僕のドッペルゲンガー対策法をより強固なものにした。
ドッペルゲンガーに出会ったら、罵倒して病院に行く。
フェールセーフです。

スカウトキャラバン ピオリムの部

カメレオンというのは「動くものしか認識できない」というのを、どこかで聞いたことがある。
確か、彼らの食べ物は虫とかで、それは大概素早いだろうから、理にかなっている気もする。
ところが、同様の理由で「水も動いてなければならない」のだそう。
飼育の際は水を流したり、水面を揺らしたりするのか。
水をぶくぶくするのなら、せっかくだからそこに魚でも飼おうか。
何か得した気分にもなりそうだが、それにしても「水まで動かなくてはそれとわからない」というのはちょっと度が過ぎている。
水くらいはそれがどうであれ、ひょいっと飲みたいところ。
ただ、「目を奪われること」が生きる上で必須で徹底しているその姿勢は、妙に人間くさい、そういえば手足の細さや付け根の感じがちょっと人間くさい。
ところで、人間にとって「目を奪われる」ことのいくつかは「美人」が関係しているが、彼らとしては、その美人が動いてなくては気づくことができないということになる。
おそらく、俊敏であればあるほどよい。
「俊敏な美人」。
彼らにとっては、気づきやすいという点で、より美人であることだろう。
そして、そこに貪欲に食欲を含めようとすると「美人なコオロギ」よりは、「俊敏な美人のコオロギ」がより美人で、しかも食欲で、となる。
カメレオンの世界がいったい何大欲あるのかは分からないが、2つばかりは欲を満たせられるはず。
「俊敏な美人のコオロギ」は、カメレオンにとって「見返れておいしい」、このブログでもちょい出てくるダリの「美とは可食性のもの」というやつにぴったりなことが、これ書いてたら思いついた。

他意なく

no good
ワターシノー
メノ クローイウチーハー
ソンナコト サセマーセン!!
good
It shall not be done as long as I live!!
so good
ワターシノー
メノ アオーイウチーハー
ソンナコト サセマーセン!!
追記
英語、あっていてくれ!

老人

先日のエビのくだんで思い出したのだが、エビは「海老」と書き、それは「長い髭と曲がった腰が、老人を彷彿とさせる」から「老」という字が使われるのだそうだ。
確かに、エビを人間の「かた」に無理やりはめ込んでみると、どうにか髭と腰に、あの部位はあてがわれそうである。
ただ以前、「カブトムシの幼虫を、蛹になる直前に「クワガタの鋳型」に入れたら、クワガタ型のカブトムシがいけるんじゃないか」と書いたことがあるが、それよりは難易度が高いだろう。
やはり、人間とエビは結構離れている。
そう考えると、人間の「何かにあてはめる力」というのはすごい反面、多少無理をしている能力なのかもしれない。
有名な話だと「点が3つあると、もう人間の顔に見える」という心霊写真関連でよく聞かれるやつがある。
これはそれほど無理してない気がする。
一方、幾人かの風貌を真似たものまね芸人に対して、その能力に無理を生じる可能性は、昨今のテレビ番組をみるからには十分にあると言わざるを得ない。
もちろん、先ほどのエビやカブトムシの話などよりは、無理はないだろう。
ゲノムの差異もゴリラやチンパンジーよりも少ないことを考えると、ある意味全人類は全人類のものまねを完全にこなしていると考えてもおかしくない。
しかも、少なくとも挙動や衣装を真似、おそらく表情も似ているのだから、全人類の中でも、その芸人さんは「生粋の工藤静香(※1)」である。
だが、違う。
マイゲシュタルトを総動員しても、静香枠で彼女らをくくることはできず、結果無理をすることになる(※2)。
ただ、この無理が面白いところでもあることは明白で、例えばバカリズムが昔やっていた「なんとか県は持ちやすい」みたいなやつが面白いのも、こういった人間の能力をうまくあてはめ、あるいは受け流した結果なのだろう。
ところで、一つ明示しておく必要があるとすると、ここでの「何かにあてはめる力」というものの「何か」は、既知のものでなければならない点だろうか。
「エビをシジミオルニチンモドキに例えると、あの伸びた糸はパブリッシャー、曲がった尻尾はスニフ器に相当する」とか言われても、ただ人間性を疑われるだけである。
※1
ものまねされやすさというと一番に「工藤静香」を思い出した。
ある特定の工藤静香を指したものではない。
※2
ゲシュタルト心理学をこう使えるかどうかは、知りません。

なまきず

近くのホームセンターにて。
猫の爪研ぎ(ディズニー ミニー)
ただ存在すること、と生きることは違う。
生きることは大変だなとその場を後にしてうろついていると、亀にあげる干しエビがないことに気づいた。
売り場に行くと、いつも買っているものとは違う干しエビが、かなり高価で売られていた。
いつものはない。
確かに、このままお好み焼き生地の上に乗っかっていても遜色ない感じだが、すごく高い。
あいつらには、こんな高価なものを与えていたのか。
生きることに加え、生かすのも大変なのである。