うた占い

「うた占い」というのはないのかと調べてみると、それはあるらしいのである。
しかしいまいちどういうのか、分からない。
僕が「うた占い」というものをイメージしたとき、まず思いつくのは「マル・マル・モリ・モリ!が好きなあなたは、子供っぽい所があるけれどがんばり屋で、周囲を明るくする素質も持っています」というようなやつだった。
一方、例えば「血液型占い」における「A型の人、きちょうめん」のような。
占いは少なくとも見た目では、当人の先天的素質と後天的素質とが結びついてしまっては、ありがたみが半減すると思う。
「A型という血液型と、きちょうめんという性格は、一見何の関係もない。しかし占いによるとそうらしいのだ」
ほんとかどうか、竹内久美子氏に聞いてみるべきか。
その是非はともかく、そうなるとイメージしていた「うた占い」の内容は、他の類似の占いよりも、さらにもう一歩「当人の先天的素質と後天的素質が結びついてしまっている」ような気がする。
「子供っぽい所があるけれどがんばり屋だという性格と、マル・マル・モリ・モリ!が好きなことは、超関係ありそう」
確かにその定義もここでは曖昧ではあるが、これでは占いというよりも「そりゃそうだよね」だ。
厳かに「そりゃそうだよね」を聞きたくはない。
水晶を前に、口元をベールで隠した爪の長いアラビアンレディから「そりゃそうだよね」を聞きたくない。
水晶を前に、口元をベールで隠した爪の長いアラビアンレディから「お父さんはなくなって、いませんね」と聞きたくない。
もちろん本当に「うた占い」というものがあって、それが「マル・マル・モリ・モリ!が好きなあなたは、経済面の才能があるため、事務系の仕事に向いています。また、生物学的に酸性雨に強い」なんてなると、人間だもの。
その意外性が信憑性を高める。
占いが介在することにより、隠された本当が見えてきたのだ、と。
そう考えると「うた占い」の存在価値はどうしても意外な結果というものを要求されがちであり、かなりシビアな所にあると言える。
それは「うた」というものには、占いなど曖昧なものを隠しておけるスペースはない、ということでもある。

ゆり

ユリが3本1050円なんだそうである。
花には詳しくないのだが、ユリは見た目が豪華だからそのくらいするものなのだろう。
しかし気になるのが売り方だ。
店員さんが店前でユリを手に持ち、ちょうど魚屋がやるような「らっしゃい、らっしゃい」な雰囲気。
3本1050円だよと、ずいぶん離れても聞こえる。
生きがいいのは認めるが、花はどうなんだろう。
そういった方法がベストなのだろうか。
壁掛けの一輪挿しに飾るような花でもないわけで、やはりユリを所望する人は最初から客引きなどしないでも買いにくる訳だ。
そしてユリに用のない人は、客引きしたとしても「ちょっとユリでも」と居酒屋に寄るようにその3本を手に取るとは考えにくいのである。
と、これは僕が何か、生きていく上で重要なものを見落とし続けて現在に至る、ことを示している事象なのかもしれない。
店前の店員さんからさっとユリを受け取ると、そのまま目の前の知らない女性へ。
これでうまくいくのかもしれない、何かが。
あるいは外出上想定外だったユリを持って電車へ。
「いい香りですね」とかなるのかもしれない、女性が。
または鼻をつっこんでユリの香りをかぎながら図書館へ。
「花粉がついてますよ」とかなるのかもしれない、鼻が。
総じて女の子は花が好きだなんて考えているわけではないが、上記例で図書館を持ってくるあたりが、我ながら末恐ろしいことになっている。
まあ、花を極端に嫌いという人もあまりいないだろう。
となると、今回のユリは幾分、分がいいように思う。
なんたって3本あるし。
とでも思わないと、花屋のユリ威勢が腑に落ちなさすぎるのである。

サルベージ

カメすくいって一体なんなんだ。
あるらしいんだ、金魚すくいと同じ感じで。
祭りで見たことがない。
というよりも気になるのが、あたかもみんな知ってるでしょという感じでカメすくいを持ち出されることがあるんだ。
想像がつかないわけじゃない。
金魚のときと同じように、すくって持ち帰るシステムだろう。
ただ、カメは衛生的に問題視されていた時期がある。
だから人気ないんじゃないだろうか。
また、カメは呼吸するために浮いている印象がある。
浮きすぎている心配がある。
だからすくいやすいんじゃないだろうか。
むしろ「カメしずめ」とかのほうが難易度高くできるんじゃないだろうか。
ふ菓子か何かでしずめるんだ、カメを。
ああ、ここで「カメを鎮める」ってしたい。
そうすればある人はガメラを思い浮かべるだろうし、ある人は「ふ菓子で鎮まるか」と思うだろう。
ふ菓子で鎮まるんだったら、少々の粗相はやむを得ないな、この神様は。
もちろん金魚ので「しずめる」はだめだ。
それは金魚にとって普段であり、今まさにそうですよ、という心境だ。
しずめるのはカメと動悸だけでいい。
動悸のことは忘れてくれ。
ともかく、カメすくいについてのこのような経営面での問題点もあるが、やはり気になるのはその存在だ。
なんなんだカメすくいって。
ということで、この流れなら「そもそも金魚すくいってなに?」も考えなければならないわけで、ただこれだけ見ると何のために「金魚をすくわなければならないのか」という気分にもある。
我々は祭りだからといって、律儀にも金魚をすくっているのである。
そうでもしないと祭りを楽しめないとでも思っているんだ。
そもそも「金魚すくい」っていうのが妖怪じみてる。
「小豆あらい」と同じじゃないか。
「金魚すくい」が「ゲリデバ」という名前だったら、そのエキセントリックな響きで本来の行動はぼやけ、日常生活においてより一般的なものになったかもしれないのに。
いや、本来の行動をぼやかす必要があるのなら、最初から生き物なんてすくわないほうがいい。
そもそも生き物というのはすくわれないものなのだから。
っていう勧誘の人が来ました。

かじっている。

久しぶりに紀伊国屋へ行ってきた。
新宿のそこは、何か高い所に通路がある。
あそこを一度は通りたいと思いながらも行くときはそのことを忘れ、地上から1階を目指してしまう。
そして頭上の通路を見ながら1階の漫画コーナーを通ることになる。
故あって自然科学コーナーをふらついてみると「シマリスが蛇をかじっている」という旨のタイトルの本があった。
面白そうだ。
しかし、どこかで似たようなことを聞いたことがある。
確かどこかの動物園。
爬虫類館のあるのところだ。
そこではニシキヘビにウサギを与えるのだが、とにかくニシキヘビというのは「食わない」。
一度獲物にありつけたら、1週間とかは全然食べないらしいのだ。
そんな、腹がどのへんかはよくわからないが満腹のヘビのオリに、ウサギを入れておいたらどうなるか。
下手すると、ヘビの背がどのへんかはよくわからないが、翌日背骨が見えちゃったりしているんだそうである。
シマリスの本のタイトルを見てそんな話を思い出した。
ニシキヘビはどちらかというと獲物を待ち伏せして捕らえる狩猟方法をとるらしいし、消化にも悪いから動かない。
腹がなかなか減らないのは分かるのだが、かじらせっぱなしというのはどうだろうか。
新しい物々交換のかたちだろうか。
ウサギもウサギで、捕食されてしまう身なのだとしても、かじらずにはいられない歯を持つところに生命の輝きを感じさせるが、本人は自爆スイッチのひとつだけ紛れ込んだ緩衝剤(ぷちぷち)をつぶしているような行為であることに気づいているのかどうか。
あるいは意図があってかじったのか。
よくわからない。
帰り。
試しに例の通路を通ってみることにした。
天気も良く気持ちよかったが、そんなことをやっている間にもシマリスはヘビをかじっているし、ニシキヘビは獲物を待ち伏せしている。
どこかの海や沼では、恐ろしくでかい声でクジラやワニが鳴き、なんかきれいな蝶がうちの猫のトイレに止まりミネラルを吸う。
そこにきて、高い通路の眺めだ。
困るね。

闘志まる見え

今、目の前にある虫さされ薬「キンカン」のラベルを見ていたら、「火気厳禁」の文字が。
確かに、あの塗ったときの揮発感といい、アンモニア臭といい。
燃えそうだ。
となると実行可能か気になるのが「虫さされフランベ」だ。
かゆみがより早くなくなりそうだ。
一方、キンカンは肩こりにも効用があるという。
「肩こりフランベ」はどうだろう。
スーパーサイヤ人みたいだ。

エネ

確かに、パチンコやゲームセンターと、省エネの相性はよくない。
例えばパチンコ屋さんが省エネになると、まずパチンコの玉が排出孔から5cmくらいしか飛び出ないだろうから、まずは排出孔付近をパチンコ玉で満たす作業が必要になる。
そして開閉するところは閉じたまま。
あの開け閉めにはエネがかかるのだ。
面白くない。
ゲームセンターだって、UFOキャッチャーはアームのにぎる力が弱くなる。
ぬいぐるみをなでるくらいになる。
エアーホッケーは油が塗られることになり、遊んだ後は手のひらがてっかてかになる。
面白くない。
しかし何より「相性がよくない」と言わしめるのが、BGMやゲーム機からの曲が流れなくなることだろう。
ジャラジャラ、あるいはカチャカチャという音のみ。
自分が今、何をやっているかを恐ろしく雄弁に語る「ジャラジャラ」「カチャカチャ」。
二度と行きたくなくなるかも。

ビロードツリアブについて。

虫を見る分には好きだが触れない。
気持ち悪いし。
そんなことを以前書いた。
しかし、見る分には好きと言えども、昆虫図鑑ではまず「ハエ、ハチ」のページは抜かす。
そのページに記載されている昆虫はほとんどハエ様であって、少しがんばればそこらで見られるから、いまいちグッとこない。
ときどきハエっぽくないやつがいると思えばそれは攻撃的な体色のハチなどであって、これはわざわざ見たくない。
このような理由により、ハエ、ハチのページは閑古鳥がそれらをついばんでいるのである。
ところがたまたまハエ、ハチページを流し見したとき、気になるやつを発見した。
ビロードツリアブという、残念ながら話題になっているハエ、ハチではない感じのやつ。
ただ、こいつは他のハエ様とは違った。
口が長いのだ。
体はハエ様だが、口が長いので他のやつとはかなり違う印象を受ける。
調べてみるとその長い口で花の密を吸うらしい。
よかった何かの体液でなくて。
とにかく唯一、このビロードツリアブはハエ、ハチカテゴリで印象に残ったものになったのである。
そしてこないだ。
サイクリング中に見つけた廃れ気味の神社でこのアブを見た。
ビロードツリアブは地面すれすれをホバリングしながら飛行し、ふらふらしていた。
この手のアブには、ホバリングフライと名付けらたものもいたはず。
ちゃんとホバリングして、えらいやつだ。
そしてこのとき、僕はそいつの口の長さよりも気になることがあった。
ホバリングしているアブの下にある枯れ枝のかけらとか落ち葉の破片が、動いていたのだ。
どうもホバリングしている風圧を受けているようす。
要は、ヘリコプターが着陸する際の、周りの人の風を受ける感じのことが、このアブ周辺でも起きているということだ。
当たり前なことなのだが、いかんせんアブのやることである。
枯れ枝や落ち葉は、律儀に風を受けてなびくことなんてない。
でもなびいている。
アブの陰に沿って、風を受けている。
そもそも陰だ。
アブ程度のことで、わざわざ陰もできることないじゃないかと思う。
ここでアブの陰ができていなくたって、誰も太陽をとがめたりはしない。
だけど陰はアブに従って動いている。
僕はこのアブのことを、この神社で恐ろしく自己主張している怪物のように感じてきた。
陰も作るし風圧でものを動かす。
そして何より口が長い。
神社、廃れている。
僕、50段くらいの階段を上ってきたので役に立たなくなっている。
なんか分が悪い。
とにかく口が長いんだ。
陰もうっすらとその長さを表している。
そして何を、陰を作っとんのだ。
羽音もたてないで、下の枯れ枝を動かしとんのだ。
滞空しとんのだ。
ああ、あっついなここ。
ということで、ビロードツリアブはより印象に残るやつになったのである。

フリスク胃にしみるの巻。

忙しかったりすると食欲が失せる。
そのせいで1日をフリスク1箱で過ごしたりすることもあり、よくない。
まず1日でフリスクがなくなるのは、よくない。
食事として数えるにはアレだが、フリスクとしては食べ過ぎだ。
そして1日それだけでも一見、問題なく過ごせているのがよくない。
こういうのはたいてい、どこかががんばっているから「一見問題ない」なのだ。
ともかく4食を抜いている。
プチラマダンである。
そして忙しい分には空腹を感じないので「このまま長い間食事をしなくても大丈夫かもしれない」と変な期待をしたりした。
しかしちゃんと翌日には腹が減ってしかたがなかったので、かったい鳥丼をおいしく食べた。
「尿意を我慢することで膀胱を膨張させ、それにより胃を圧迫、満腹感を得る」
そういう方法はあるのだろうか。
というのも、プチラマダンのときはトイレに行く時間も惜しんでいたりするので、そういう作用もあるのかと考えたのだ。
どちらにせよ、今回の話題は不健康なことばかりで、そうでないものと言ったら「かったい鳥丼」くらい。
噛み合わせ良くなりそう。

失ってこその最良。

「あなたですか、雌雄同体の研究をなされている方というのは」
「はいそうですけど」
「どんな研究なんですか」
「雌雄同体というと、読んだ通りメスであり、オスでもあるということです。カタツムリやミミズがそうです」
「彼らにはオスとメスの区別がないんですか」
「区別というよりも、両方の特徴を持っているんです」
「そして僕の研究というのは、雌雄同体をメスとオスに分けてみようというものなんです」
「といいますと」
「単純にオスの生殖器官、メスの生殖器官だけをそれぞれ発現させるだけではなく、その行動や長期的な繁殖なども視野に入れての雌雄分離計画になります」
「このことで、多くの生物が雌雄に分かれている理由を、様々な観点から見ることができます。また、少し突飛ですが逆の発想で雌雄異体の種を雌雄同体にすることへの応用も可能かもしれません。例えば畜産業にて雌雄同体の牛を開発できたら、クローン技術とはまた違った生産性向上技術となります」
「すごいですね」
「ただ、単純に「性別のなかったものにそれを与える」という行為に何とも言えない魅力を感じている、というのは否めません。確かにすごいですよね」
その後研究は進展し、メスのカタツムリ、オスのカタツムリが誕生した。
彼らは雌雄同体の個体と同じように食べ、成長し、生殖活動を行い、雌雄だいたい同じ割合で増え。
順調に種を保存し続けるように見えた。
しかしなぜかその繁殖能力自体はオリジナルに比べて劣っており、個体数は増えなかった。
「こんにちは先生。また来ましたよ」
「ああどうも。こんにちは」
「その後の研究はどうですか」
「いやあ。いい感じなんですけれど、一方では行き詰まってしまいまして」
「雌雄異体の個体は取得できたんですが、どうも繁殖能力が低い。生殖活動は行うんですが、とにかく増えないんです」
「それは不思議ですね」
「そう。でも、なんとなく理由がわかりましたよ」
「なんですか」
「ベターハーフって知ってます?」
「いやあ知りません」
「今度調べてみてください。で、何となくわかったというのは、彼らはずっと雌雄同体だったから、それはもしかしたら常にベターハーフと一緒だったとも言える訳です。しかし今度の研究で、僕は彼らを引き離してしまった」
「だから雌雄異体となった検体たちは、永遠にベターハーフを失ってしまったようなものなのかもしれない訳ですよ」

ロマンティックが見当たらない。

こんなことを聞いたことがある。
「海外では、うま味という味覚は確立していなかった。一方、日本人はダシなどでうま味を味覚として既に重要視していた」みたいな。
もちろん全てがそんなことないのだろう。
しかし日本人がうま味成分を単離、味蕾にもその受容器官の存在がわかったということで、なんとなく「日本人、うま味のこと知ってましたぜ」的な誇りが私たちにないとは言えない感じではある。
この感じをどこからか受ける度に、僕は「ロマンティック」という言葉を思いだす。
「確かに、俺らの国ではうま味という考え方はなかった。しかし、日本にはロマンティックはあったか?」
今ですら、ロマンティックを日本語に訳すと「ロマンティック」なのではないだろうか。
確かに、当て字や他の言葉で置き換えたりもできるだろうし、しているだろう。
しかしそれも、もしかしたらロマンティック発祥国(フランスとか?)での「ロマンティック」の全てを網羅できてはいないのではないだろうか日本の「ロマンティック」。
「ロマンティックの、あの体温のような心地よさがちゃんとわかっているのかねえ。いや、そもそもこの日本の文章でちゃんと表そうとはしているんだけれどもね」
そう言われたら、僕は今後ロマンティックという言葉を使っていく自信がない。
うま味は分かっているが、ロマンティックのない国。
うま味は分かってないが、ロマンティックのある国。
双方はこういう関係なのだろう。
どちらがいい、いけないということはないが、なんだか原初的な選択ですね。
グラスの底にさらさら光る、MSGの砂浜とワインの残り香。
あー確かに僕にはロマンティックないわ。