唐突に「竹馬の友」という言葉が浮かんだ。
小さい頃に遊んだ友達という意味だったと思う。
しかし気になったのは「竹馬」が複数人で遊ぶものかどうかという点だった。
けんか竹馬や、競争という遊びもできるだろうか。
しかしそれらの考えをもってしても、基本的に竹馬は一人一台だ。
竹馬一台に何人乗れるか。
バンブーダンス。
竹馬一台でもイケる遊びもありそうだが、もはや竹馬ではない。
「竹馬の友」
一台の竹馬を奪い合った仲というのも、大人になったらいい思い出だろう。
「お前んとこの吽形、ちゃんと高枝切りばさみと一緒に角に置いてあるよ」
ちゃんととはなんだ、ちゃんととは。
投稿者: nimbus7942
10002時間
【昨日からの続き】
人は10000時間費やすと、なんでもプロになれるとか。
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先日は「神社に住んでいれば初詣が10000時間達成できる」「アキレス腱をゆっっっっくり伸ばせばプロになれる」だの言っていたが、腑に落ちない気持ちで数日を過ごしてしまった。
なぜか。
それは単純に「本当に10000時間やれば、プロなのか」という点が気になり、何か足らない。
おそらく10000時間というのは必要だが十分ではない。
あともうひと観点くらいの目安が必要なのではないか。
例えば回数だ。
「初詣プロは100回訪問かつ10000時間を費やすこと」
一気にハクがつき、かつ1回あたりの時間も自ずと判明し、神社に住む、だののずるはできなくなる。
かなり計算してやらないと、寿命を迎えてしまうところが、プロたる難しいところだろう。
速度はどうか。
「アキレス腱伸ばしプロは10000時間かつ伸ばしたあとの徒競走で3位以内」
光度は?
「乾拭きプロは10000時間かつ床がピッカピカ」
どれも、より濃密に時間を費やした感が出て、いいじゃないか。
やや、プロというよりはギネスな感じがするが。
となると次は「ギネスはプロか」を考えねばならず、実は結構飽きて久しい。
10001時間
【昨日からの続き】
人は10000時間費やすと、なんでもプロになれるとか。
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前回は寝るプロのこととかを書いたが、一方でこんなことも気になった。
「人はあくびプロになれない」
あくびにかなり自信がある人がいるかもしれないが、冒頭の理屈からすると、どうしてもプロ級にはなれない気がする。
すなわち、人生において、あくび総計時間が1200日になる人はいないのではないかということだ。
ちゃんと計算はしていないが、もしいるのだとしたら、それはどちらかというと病気。
先天的な何かが怪しく、言い換えれば「天才」。
あくびの天才である。
「人はアキレス腱伸ばしプロになれない」
これは多少説明が必要だろうが、例えば例のポーズで腰に手をかけ、アキレス腱を伸ばしたとする。
これをずっとやっていれば、1200日でプロになれそうだが、残念。
最初の数分でアキレス腱はちゃんと伸びてしまうため、その後の1日の大部分と1199日は「それがいつもの姿勢」となり、アキレス腱伸ばしではない。
同様の考えでは「初詣プロ」があり、これは吉田戦車の漫画にもあった「2回目以降はただのもうで」。
人は1年に1回しか「初詣」ができず、だいたい80日だけだ。
さらに、1日ずっと初詣ということもないだろうから、その時間はさらに減り、結果プロにはなれない。
ただし、これには考えるところがあり、それは「初詣は日をまたげるか」という点。
もしできるのなら神社境内にかなり長く滞在する人。
例えば住んでいる人は、1月1日から出かける時まで、初詣が持続している。
これなら、人によっては1200日以上、初詣を嗜んでいると考えても良さそうで、初詣のプロ。
なんか縁起良さそう。
ところがこれがOKならば、先ほどのアキレス腱伸ばしも、ひどく時間をかけないと伸びないくらい硬い腱。
あるいは「本当に伸ばしてんの?」というくらい直立だが、少しだけ伸ばしているのを持続。
外科的な手術でひどく伸びるようにした。
これらのプロ根性が発動してしまうと、まさかの「アキレス腱伸ばしプロ」も誕生しうる。
ふくろはぎに「アンメルツヨコヨコ」のラベル。
スポンサーに小林製薬がついたのだ。
やるなあ、小林製薬。
10000時間
先日、飲んでいると隣のお客さんとぽろぽろ話すようになり、こんなことを聞くことになった。
「なにごとも、10000時間やればプロ級になれる」
手練れになるにはそのくらい覚悟を持ってやるとよい、などの比喩的表現なのかもしれないが、さてそれは何日くらいだろうと24で割り、400日くらい。
1年と少しでプロになれるのかーとつぶやくと「さすがに1日全部を費やせないでしょう」。
そうだ、確かに寝なくてはいけないし「生活的事務作業」もある。
せいぜい1日の1/3、8時間がいいところなのかもしれない。
よって、プロになるには1200日超、必要なことがわかった。
それにしても気になるのは「寝プロ」のことで、上記のとおりだと我々は生後1200日超にして、寝ることに関してはプロになれている。
いや、もっと長く寝ている期間も多いだろうから、その期間はさらに短いはず。
しかし、承知のように、例えば成人間の話題の1割くらいは「寝不足だわ」であり、プロだったはずの彼らはどこかで道を外れてしまった。
どうやら「寝プロ」には数種類あり、大きく「育つための寝」と「休息のための寝」と分かれるのだろう。
「呼吸プロ」「生きプロ」などの不変的なものと違い、片方ばかりを洗練してしまうと、もう片方が未熟になってしまうのだ。
寝不足の人は、おそらくまだ「育つための寝」をしてしまっていて、本来は休息したいのに、その寝ができていないのだ。
そして「休息のための寝」が総計1200日になったとき、そこが人の寿命なのだろう。
などと言うつもりは毛頭ないが、次回もちょい続ける。
献身
今ちょうどテレビを見ていると、カツオが捌かれていた。
レポーターさんは「これ、何人前くらいになるんですか」と質問。
50人前くらい、刺身がとれるそうだ。
この情報は、もっぱら人間側の都合として有用だが、カツオとしてはどうとらえればいいのか。
「俺からは50人前の刺身がとれるのか」
このカツオが体格自慢だったり、宮沢賢治だったなら、心配の余地はないが、ともかく50人前のことがカツオの成仏に働いてくれたら、と思う。
残り物
もし既にどこかで触れていたら申し訳ないのだが、「キメラの余った方」で何ができるかを考えていたことがあった。
こないだ、数分。
というのも、どうしても胴体ばかりなのである。
確か、キメラは顔がライオンとヤギと竜で、胴体がライオンか何か、尻尾が蛇の頭の方というのがそこそこ有名な姿。
それに対しての余りとなると、ヤギの胴体と竜の胴体、ライオンと蛇の尻尾。
ケパブはどうにかできそうだ。
とにかく考えた人がいけないのは、「とりあえず強くしてみました」精神。
オールレンジに対応できるよう、前後左右に顔を配置したい気もわかる。
確かに混ぜれば強いのだろうが、しかしちょっと節操ない。
今回のように、残り物の悲しさを考えれば、一つくらいはそちらに顔を残しておいて欲しかった。
そうすれば、それでも難しいが「蛇の顔にヤギと竜の胴体」がぎりぎりできたのに。
と、ここで気づいたのが「ライオンは尻尾以外、ほぼ全部入っていそう」という点と「余り物キメラにおいて、ライオンの尻尾はヤギと竜、どちらにつけた方がいいのか」ということだ。
前者は簡単。
ライオンが、強いことには外せないことを示しているから、褒められるべきだ。
特に、伝説の竜を差し置いての胴体採用は特筆に値するじゃないか。
後者の「残り物キメラ」のほうは難しい。
手に持って鞭にすることを考えたが、少なくともヤギの手で鞭は持てなさそうだ。
「蛇の頭」が残っていなかった場合、もう頭の部分にライオンの尻尾を持ってくるしかないが、それでは弱そうだ。
いや、少し怖いか。
確かに混沌とした感じが怖いだろうが、それでも大概考えるのは、彼にとって頭隠して尻隠さずという諺はどう振る舞うべきものなのか、ということだろう。
かまくら
「いざかまくら」と聞いて、外出していた人が早く暖をとりたい事であると言われても、それをそのまま信じるほど夢見がちではないが、実はその意味。
特に由来や背景はほとんど知らない。
知らないといえば、ただいまボケたかまくらについてもよく知らず、入った事もなく、ちゃんと暖がとれるのかという事もわからず。
こうわからない事だらけでは、もうなんでかまくらの話題を持ってきたのかと考えてみると、理由はなくただメモに「いざかまくら」と書いてあっただけで、これは考えてみるとブログのネタにすることではなく、何か急ぎの用のメモだったのではないかと余計な心配をも生み出させるかまくらというのは、そういえば大仏でおなじみなんでしたっけ。
モーションキャプチャニアン
まだ、初音ミクのPVを見る機会が多い。
よくできているから、何かどこかで聞いたような「東京オリンピックでミクが出る」という話は、ぱっと聞きのイロモノ的な感じだけではなく、例えば各国の衣装、言語を操ってもらったりすると、思いのほかすごいインパクトを与える。
そんな気もする。
ところで、PVを遠目で見ていたとき、ふと考えたのは「ビジーフォーは日本における初のモーションキャプチャニアン」だったのではないか、ということだ。
ここで「何のことを言っているのか」「モーションキャプチャニアンという言葉はあるのか」。
そして「いや、もっと前にあれをやったことある人、いるでしょ」とも思う方。
今回のブログをこれ以上読む必要はない。
なんたって、今日はもう終わりですから。
浅こより その2
【あらすじ】
くしゃみって、嫌われがち。
=====
昔読んだ本に、こんな一節があった。
「生まれたばかりの雛はか弱く、例えば巣のある木の下にいる人がくしゃみをしただけで、そのショックで死んでしまうこともある」
口の周りがびちゃびちゃになる。
あるいはびちゃびちゃを周りに飛ばす。
適度な湿度は必要だが、あまりにびちゃびちゃだと悪い菌が繁殖しやすくなるという前前前世からの経験則。
もちろんびちゃびちゃの中に、すでにウイルスがいたりする。
あるいはいるかどうかの判断が難しい、他人のびちゃびちゃ。
その辺が、くしゃみが嫌われる理由の最たるもののような気がする。
そして、冒頭の話。
故意ではないにしても、その無差別な破壊力には、子供の残酷さ的なものを感じずにはいられない。
「出ることを制御できない、生理現象」という点も、嫌われる要因にあるそうだ。
一方、「くしゃみのとき、すごい表情になる」という点も見逃せない。
言い換えると、ぶさいくになる。
もちろん本来は「ぶさいくって、嫌われがち」を考えなければならないのだが、めんどうくさく、例外も多そうなのでここでは割愛。
ぶさいくにトランスフォームするのも嫌なのだ、くしゃみによって。
飽きて20分くらい経つので、見方を変えてみよう。
くしゃみ 闇属性 威力20
くしゃみ 聖属性 威力20
あるゲームでこういうやつがあったら、どうなるだろう。
「くしゃみ 闇属性 威力20」は間違いなく巨大な魔王の序盤の攻撃で、正しく表記するとこうなる。
「くしゃみ 闇属性 威力20 毒付与」
一方、「くしゃみ 聖属性 威力20」の方は、これまた間違いなく女性神官の使用回数制限のない体力回復能力で、正しく表記するとこうなる。
「くしゃみ 聖属性 威力20 射程1」
こう考えると、少なくとも他人に対してだけは、くしゃみというのは場合によってはいいことに扱われる可能性があることが分かる。
そして、この詳細を考える場合、先ほど割愛したところが重要だろう。
しかし残念、割愛してしまった。
覆水盆に返らず。
なんとかmilkなんとか。
一事不再理。
うーん残念。
浅こより その1
安すぎたのだろうか。
現在使用している使い捨てマスクの片面が、使用していると「起毛」する。
効果や保温性はともかく、鼻側の面が起毛してもらえると、刺激がすごい。
くしゃみを誘発してしまう。
最近はどちらの面が起毛するか、わかってきたので大丈夫だが、当初は大変だった。
1/2の確率で内側が起毛し、くしゃみが出るのでもう片面を内側にするのだが、以下の点でよくなかった。
1
いままで外側だった面なので、避けたかった菌やウイルスがいっぱいいるのではないか。
2
素晴らしく起毛しているので、他の人から見ると「なんであの人のマスク、外側がフリース素材なんだろう」と思われる。
1は「ウイルスいけす」、2は「ユニクロ」と命名。
また、起毛で鼻が刺激を受けていることを「浅こより」と命名、様々な言葉がこの「起毛マスク」より、僕の中で誕生した。
ところで、「こより」とはそもそも何なのだろうか。
あまり考えたことがなく、一生を通じてもガキ使でしかみたことがない気すらする。
しかし「こより」の知名度はなかなか高いのではないか。
wikipediaによると、とにかく紙をよったりひねったりで、細くしたものらしい。
それで髪を結ったりするらしいのだが、現在の「こより」の用途は主にくしゃみ発生具が有名。
プロパガンダは甚だ恐ろしいものと痛感する。
それにしてもなぜ「こより」を使って、こうも人はくしゃみを誘発したがるのだろうか。
いや、どちらかというと「誘発させたがる」のだが、どうもそれは「くしゃみ」がどちらかというと負のイメージ、罰であるところに起因するような気がしてきた。
なぜくしゃみは闇属性なのだろうか。
次回にでも考えてみるが、あんまし面白くなさそう。