7回

どうも人間というのは7回転ぶというのが相場のようだ。
もちろんこれは「七転八倒」と「七転び八起き」のことを言っていて、調べてみると意味の違いや漢字の由来など、知名度の高い言葉の割には知らないことも多い。
しかしわからなかった。
転んだ回数として7回が採用された理由が。
そのシンクロニシティーが。
一番ありそうなのは七転八倒と七転び八起き、どちらかから、もう一方が生まれたという経緯だ。
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「あいつ7回も転んだけど、そのあとは転ばなかったよ」
「でも、打ち所が悪くなくてよかったよ」
「もし変なところ打ってたら、まずいもんな」
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これが、かなり最短を攻めている「七転八倒と七転び八起き」の誕生だ。
それにしても7回である。
だいぶ転んだ。
昔の人も、ちょっと多いと思ったのだろう、7回は。
だから後世に伝えようとしたのだ。
転びようによっては致命傷になっていることもあっただろう。
そんなリスクを負った状態でも、彼は7回転んで、しかも起きた。
一つわかった。
七転八倒でも、8回目に倒れるためには起き上がらなくてはならないのだ。
ということで、ここに「七転八倒と七転び八起き」の時系列が判明した。
「7回転んだけど、起き上がった(七転び八起き)。また転んだんだけどね(七転八倒)」
彼はいつか、転ばない日が来るのだろうか。
それとも転びすぎて、肉塊に成り果ててしまったのだろうか。

おつまみ

なんと言うのか。
バーで出てくる棒状の、パスタを揚げたようなやつが好きだ。
あれはおつまみとしての位置付けなのだろう。
塩をあてて酒を飲むような感じを目指しているのか、やたら塩辛い。
あれが入っていたコップの中を見ると、いかに塩がぶっかけられていたかがよく分かる。
そして夕食を終え、かなり腹一杯でも食べられる、質量ゼロ感。
もちろん、あれがいくらか細いかといっても、こねてまとめるとチョコボールくらいの「塩玉」になるだろうが、逆を言えばその塩玉を30本に分けました。
ということで、晴れて人間の感覚ではほぼ認識できない質量になるのである。
仙人があれを食っても、仙人の資格を害さない。
ところで、あれは結局なんて名前なのだろうか。
このままだと、ヴォルデモートと同義だ。

区別

ルシフェリンを組み込むことができるのなら、もっと細かい情報を出す、例えばICタグのような効果を出すものを組み込むことはできないだろうかと思ったが、そうなるとそもそもタンパク質でICタグ的な、電波を受け取れるようなやつが必要で、そういうのはないのかと調べようとしたら猫が僕を見てきゃきゃきゃと鳴き、ああ僕は今狙われているんだなと猫じゃらしを投げる。
猫じゃらしは普通、猫の前でぺろぺろと動かすのが定石だが、こいつは投げられるのを好む。
うちの猫の中では珍しいやつだ。
ICタグを生体内で作ってしまうということには、どのようなメリットがあるのかと考える。
一番の効果は「物理的なICタグの挿入をしなくて済む」な気がするが、そもそもそうだ。
個体によって全部違う情報を提供するものでなくては意味がないことに気づいた。
指紋のような、マイナンバーのような。
それは不動であるべきだし、実現すれば母子健康手帳のフォーマットが変わる。
そんなものが「できていたら嬉しい生体ICタグ」でできるのだろうか。
「人間です」
みんなこの情報しか持っていないようなICタグ、いらないのではないか。
いや待てよ。
犬という生き物がいるが、あれはチワワからセントバーナードなど、だいぶ範疇が広い。
ある生物学者は「化石としてチワワとセントバーナードが出てきたとき、同じ種類であるとは判断しないだろう」と話したことがあった気がする。
この観点を持って来れば、上記の生体ICタグも意味が出てくる。
すなわち、短い期間で爆発的に増加した人類が今後絶滅したとき(それは有用な示準化石になると、なんかの本にあった)、後世の進化学者がより助かる。
タグリーダーさえあれば、どんなに骨格が似ていない人たちであっても、ああこれはかの有名な人間だね、と判断できるわけだ。
有用。
猫は戻ってこない。
あいつは投げられた猫じゃらしをどこかに持って行ってしまうので、しまうのが大変なのだ。
あいつのタグは「猫です」となるか。
しかしそれだけでは少し惜しいことを考えると、やはり生体ICタグはユニークでなくてはならない。

ぬりかべについて

この間ふと思い出したことに「ぬりかべは1つ目の時がある」というのがあった。
ぬりかべはゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪で、コンクリートのかべに華奢な手足が付いている、ほぼかべ。
手には大工さんがぬりぬりする時に使うペラペラアイロンみたいなものを持っていることがあり、そして大概、眠たげな目が2つ、ついている。
ところが、以前見た妖怪大辞典的な、あるいは漫画では、ぬりかべの目は中央に1つなのだった。
それはあまり見たことのないぬりかべだった。
ぬりかべは1つ目と2つ目、二種類存在するのだろうか。
それとも、1つ目の方はキュビズムによる画法を用いれば2つ目になる、言い換えれば角度的に1つ目に見えてしまった結果なのだろうか。
ぬりかべほどのシンプルさでは、角度どうこうでそうなるとも思えないが、それよりも「1つ目のぬりかべ」は気持ち悪い。
そもそも妖怪なのだが、鬼太郎影響か、どちらかというとぬりかべは優しいカテゴリに入る気がする。
しかし1つ目だとやはり怖い感じが出る。
また、1つ目のぬりかべは、人間主観的には「2つ目の方よりも属性が多い」と言える。
めがねと三つ編みコンボの委員長に、さらに博多弁が加わるように、ぬりかべでさらに1つ目。
ここで僕が心配になったのは、1つ目のぬりかべは、妖怪としてどう呼ばれるべきか、ということである。
もちろん普通に考えれば「1つ目ぬりかべ」なのだろうが、どちらの属性が強いのだろうか。
「いやーこないだ夜の道歩いていたら、1つ目の妖怪が出たんだよ。しかもそいつ、かべに手足が付いたような感じでさー」
「いやーこないだ夜の道歩いていたら、かべみたいな妖怪が出たんだよ。しかもそいつ、1つ目だったんだ」
よかった。
どちらかというの後者の方が一般的な気がして、先にかべの容姿に触れる。
すなわち、1つ目とはいえぬりかべはかべ属性の方が強い。
心配だった、1つ目のぬりかべが「1つ目」という名前になることが。
そんなことを聞いたら「いや1つ目も特徴的だけと、まずかべだろ」と文句が出てしまいそうだったから。
あくまで、1つ目はサブ属性だった。
しかし一方で気をつけねばならないのは、こう言った人もいるのではないかという点だ。
「いやーこないだ夜の道歩いていたら、アイロン持った妖怪が出たんだよ。」
かべ容姿も1つ目も超えるアイロン属性。
アイロニストって最近聞かないですよね。

4脚

最近は出ているのかは知らないが、アーマードコアというゲームが結構好きだった。
特に4脚というタイプで、その通り足が4本、かにみたいにある。
その見た目が、虫みたいでよろしい。
我が家に4脚がお客さんとして来るとしたら、どうスリッパを配置すればいいのか。
あるいは「ダーリンは70歳」みたいな語感の「お客さんは4脚」。
確か最近の漫画であったはず、ダーリンは70歳。
そういえば「お父さんは心配性」という漫画もあった。
この辺を混ぜてみると、こうなる。
<ありえそう>
お父さんは70歳
お客さんは70歳
ダーリンは心配性
お父さんは心配性
お客さんは心配性
ダーリンは70歳
お客さんは4脚
ダーリンは4脚
お父さんは4脚
<ありえなさそう>
ゴリラが握りこぶしを地面につけながら歩くさまを「ナックルウォーク」というらしい。
そうなると、お父さんがゴリラだとするとぎりぎり「お父さんは4脚」はそう突飛なことを言っている感じもしないのだが、一方で70歳のゴリラとなると、せっかく「ありえそう」上位だったのに厳しい。
4脚はゲームでも話のネタとしても一長一短だな、病んでいる私は思うのです。

ブックカバー

今読んでいる本が中途半端な大きさで、合うブックカバーがない。
ということで買いに行こうと思う。
手元にあるやつは文庫本サイズのものばかりで、それにしてもなぜ僕は読んでいる本を人に知られたくないのだろうか。
いや、ブックカバーというものがある以上、それはそういう秘密志向の人は多いことを示している。
以前も書いた気がするが、確かに変な挿絵があったりすると、恥ずかしい。
そのページは見られないように読み飛ばしがちなので結果、内容を全然知らない。
そこが歴史小説のクライマックスページなら、その結果を知らないことになるし、自己啓発本の太字ページだったら、その本の要約を逃していることになる。
名探偵コナンの人間のシルエットページなら、ああ何か黒の組織がやりましたかとなるし、方程式の解ページだったら、そもそも挿絵がない。
ただ、恥ずかしさゆえのみのブックカバーと考えると、実はそうではなく「保存や長持ちさせるため」の意味も、それにはありそう。
となると一番「ブックカバーが似合う」本は、「末代まで伝えたいエロい挿絵のある本」となる。
そうだったかー。
と、そんなことを考える前に、まずはブックカバー屋さんを探そうと思うのです。
一週間以内くらいに。

ラッキーパーソン

「ラッキーパーソンは自分自身がなっていいのか」というのは、誰に聞けばいいのだろうか。
ラッキーパーソンとは、テレビの占いで聞かれた言葉で、ラッキーアイテムなどの例を考えると、「会ったらラッキーが舞い込んでくる人」ということなのだろう。
「ラッキーパーソンは語学に長けた人」
ちょうどエスペラント語訳で困ってました、という人はともかく、ただその日の不運が決定した人にとっても、この語学に長けた人は幸せを与える存在なのである。
気になるのはこのとき、たまたま今日不運らしい人が、語学に自信があったらどうなのかという点。
「いやー、エスペラント語で書かれたメニューだったんだけど。読めてよかったわー」
これは自身ラッキーパーソンの効力なのだろうか、というと、何か違う気がする。
不幸が足らないのだろうか。
「いやー、落とし穴に落ちちゃって。エスペラント語で脱出方法書いてあってよかったわー」
何か違う。
「ラッキーパーソンは赤い靴の人」
「いやー、返り血浴びちゃったんだけど。靴が赤色でよかったわー」
物騒だ。
ラッキーパーソンが自身で担保できるかはわからないけど、もしラッキーパーソンたる要素を持てたなら、その日に会うおよそ1/12の人たちにラッキーになってもらえる。
そう考えると、自身もおのずと幸せって、なんて言うかこのレシートぱんぱん財布野郎が!!

戦争と平和

以前、「武器を捨てろ 服を着替えろ」というコピーが洋服のメーカーかなんかであって、こいつはかなり美しいなあ。
そんなことを、昨日のおしゃれについて書いていたときに思い出した。
そうなると気になるのが「武器が先か、おしゃれが先か」ということで、とりあえずこの疑問は以下のような捉え方ができる。
1.
人類史にとって、武器の文化とおしゃれの文化、どちらがより早かったか。
2.
双方に差がなく不足な場合、人間は武器とおしゃれ、どちらを選択するか。
1.については「2001年宇宙の旅」に登場する、武器を手に入れた類人猿を考えてみよう。
彼は確か、銀製のネックレスをしていなかったし、メッシュの黒タンクトップも着ていない。
あるいは彼女なのか。
彼女はイヤリングをしていなかったし、まつ毛は長くなっていなかった。
彼女は今の人類に比べ、多少鼻の下が伸びていたかもしれないが、それはマスカラをつけていたからではない。
どちらにせよ、多分武器の方が早かった。
2.については、例えばこれを考えるのはどうだろう。
「魅力的な異性が斬りかかってきたときにどうするか」
これだと、まずおしゃれを選択する人はいない。
「まずは相手を魅了するため、オーデコロンをつけます」
どんな武士道か。
これらの、足らなすぎる事象を踏まえると「武器が先か、おしゃれが先か」の回答は、武器ということになる。
残念なことに人類というのは競い合う生き物であるらしい。
ここはひとつ、デコ石器やデコ矢じりが出土されれば、まだ五分に持っていける気もするのだが。。。

おしゃれについて

最近、ただ頭をよぎる何かがよくあり、こないだは「2001年おしゃれの旅」というものだった。
なんのことはなく、「2001年宇宙の旅」の例の有名な「類人猿っぽいやつが武器を手にいれる」シーン。
何か動物の大腿骨で、暴力的にその頭蓋を砕く場面について「2001年おしゃれの旅」ではどうなるか。
おそらく、花畑か何かでメスが遊んでいて、隠れていた草むらから出てきたとき、たまたまコメカミに花がついていた。
それを見たオス。
スローシーン。
このスローシーンが唐突に浮かんできたのだ。
全然違うことをやっているので迷惑なのだが、一方でおしゃれというのは、案外上記のような背景から生まれたものなのかもしれない。
隠れている

心配

出てくる

良かった

たまたまコメカミに花がついている

良いことにはコメカミに花がついている

コメカミに花がついていることは良い

みんなコメカミに花をつけ始める
そう考えると、メスが隠れているくだりはほぼ事実と言ってもおかしくはなく、むしろ僕がなんの前触れもなくそのシーンを「思い出した」のは人間の種としての譲れない性癖のようなもので、「これは外せないよね」嗜好を垣間見た。
ある意味厳かですらありそうなことだったのかもしれない。
ということを全然関係ないことをやっているわけだから迷惑で、しかし次にはかなり困ったことが起きた。
もう一つの有名なシーン、「空に放った大腿骨が、宙に浮かぶ宇宙船に切り替わる」場面。
これが浮かばない。
少なくとも僕にとっては上記、骨と宇宙船の落差が楽しい場面なのだが、どうだろう。
現在、「コメカミに花をつける」ことに対して、以下の式が成り立つときのXは何になるだろうか。
【コメカミに花をつける】:【X】=【大腿骨】:【宇宙船】
一介の骨が宇宙船に変わることに匹敵する、おしゃれ変化。
おしゃれに疎いせいか、どうしても先見的なファッションショーしか思いつかないが、それでもあの落差があるとは思えない。
Xは何なのか。
言い換えるとまだまだおしゃれにはのびしろがありそうなわけだが、こういうのを考えると、また困る。
大腿骨Xと、コメカミに花をつけた宇宙船。
大腿骨Xはまんま海賊のロゴだし、コメカミに花をつけた宇宙船は、おしゃれやん。