いいゲリラ

ゲリラホワイトデーというのはつまり、「下心とかなく、ただおごりたいだけだがちょっと恥ずかしい。あるいは相手が妙なところでそういうのにキビシイ」というときに発動するもので、「残念だったな、今日はゲリラホワイトデーだ。すでに払われてしまった我が身を呪うがいい」というふうに使う。

ゲリラというとずいぶん自己中心的な、ひとりよがりな感じのするところだが、ゲリラホワイトデーはだいぶ相手の力量も問われるものとなっている。

「えっ、何言ってんの?」
これだけで言霊は死に、気分は消沈し、改札は予想外のタイミングで閉じ、おちゃめはそのなりをひそめる。

「ゲリラという言葉とホワイトデーという言葉の意味を、その落差を。よきにはからって。そしてもし面白かったら、楽しんでくれよこのやろう!!」

ただ彼が、来年2月あたりに発生するかもしれないゲリラのことを思うことは、けっこうおつである。

たてよこ

どちらかというと精神的にひどく忙しい合間、久しぶりに昔のメモ帳を眺めていると、「たてリスカ」とあった。
たしかに、いまけっこう疲れているが、そこまでは行っていない。

いやいや、そういうことではなく、こりゃ昔の僕もなかなかやるもんだね。

誰か一人でも「たてリスカ」をしたならば、それまでのリスカは「よこリスカ」と改められなければならず、ここに「たてリスカ」のパイオニアと、最後の「リスカ」が誕生するわけであり、色々と派生ストーリーが頭の中に思いついてきて、大変よろしいのである。

これ、久しぶりに書く内容ですかね。

RV

資格を奪われたら人間、何もできないのではないか。

間違えた。
視覚を奪われたら。

ということで数年前からある、目につけるやつ。
仮想現実とそれを実現しているVR機器というのはほぼ、視覚表現に特化している、と勝手に思っている。

となると気になるのは他の感覚で、では「海の映像をVR機器で見るとき、潮の香りもする」というのはどこまで行けるものなのだろうか。
この場合、聴覚はかなり簡単に実現できそうだ。

「波の音がする」

残りの3つは難しそうで、上記の香りに加え、波に触れた時の感触や吐き出したくなる塩っ気。
こう考えると五感を満たすVR機器は大変そうだ。

でも気になっているのは、実はこれらではなく「逆VRはどうだろう」ということだ。

即ち、どんな映像を見ていてもいいが、現実に風が吹いたらVR機器で表示している映像に風が吹く演出が加わる。
西部劇で見る、こんがらがった木の根っこみたいなやつが転がっていく。
そんな仮想現実は可能なのだろうか。

なんていうことはもう古そうで、例えばポケモンGOでは雨が降っていると映像でも降っていた気がする(違ったらごめん)。

例によって五感は偏るかもしれないが、実現可能かどうかというよりは、もう使い方どうするか、という段階な気がする、逆VRは。

ただ、結果的に逆VRはすぐ2つの到達点をむかえる気がしており、それは「エロ」と「広告」ではないか。

エロはおそらく二次元の何かとの接点や、映像は別の人などという仮想不倫などの話に終始するだろう。

広告は、もうあるだろう。
例えば、VR機器を通した映像にあるものを、そのままネットショップで買えたり、詳細がわかるような導線のようなものなどが。

と、ここまで来てやっと一番言いたいことが言える。

どうか、カレーのにおいがしたときに、勝手にハウス食品の広告を表示しないでもらいたいのである。
別にカレーが嫌いとか、滅ハウス食品というわけではないのだが、なんか恥ずかしいのだ。

カレーのにおいがした時点で、もうハウスだかSBだか、頭には浮かぶのである。
そこにきてメーカーのCMなんか、何の念押しなんだと思ってしまう。

そして近くを通り過ぎる人はこう思うのだ。

「あの人、カレーのにおいしてるからハウス食品のCMが流れているな」

どこか「あの人、前に女子高生が歩いているからエロいこと考えてるな」と似て、何か人にばれたくないことのような気がする。

そして、情報の拡張、連携は時としてよくない結果を生み出す可能性もある。

上記のようなシンプルな「カレーのにおいだけでなく、そのメーカーの情報も伝わる」ことであっても、どうだ。
その時、前に女子高生が歩いていたら。

逆VR以前。
「カレーのにおい」だけの時においての、「前を歩く女子高生」では、情報の連携は以下のパターンがあるだろう。

「カレーのにおい→女子高生を連想」
「カレーのにおい→エロいことを連想」
「女子高生を見かける→カレー食べたい」
「エロい気分→カレー食べたい」

一方、カレーのにおいに付いてメーカー情報も手に入ってしまうと、情報の連携が複雑化する。

面倒なので列挙はしないが、上記の例に加え、「女子高生を見かけるとハウス食品のことを思い出す」「ハウス食品で欲情する」など、「ハウス食品のことを考える→カレー食べたい」の健全な連携も霞むほどのとんだクリーチャーが生み出される可能性があるのだ。
こんなん、街歩くだけでどれほど「琴線に触れる」ものか、わかったものではない。

まあ、どうであれ「あの人、カレーのにおいしてるから欲情しているな」と思われるのは、是非もさることながらそもそも、ちょっと赤裸々すぎる。

傾きとしての孝雄

小学生向けの、理科の図鑑だったか。
表面張力と界面活性剤説明のくだりを、今でも思い出すことがある。

それはアメンボが沈んでいる水槽の写真だ。
「せっけん水を入れたことで溺れたアメンボ」とでも書いてあっただろうか。

あのアンガールズのどちらかのようなシルエットを見た時、もうこのアメンボは死ぬしかないのではないかと、子供ながらに心を痛めた。

それとも別の水槽に移せば、またおなじみの。
水面に浮かぶエックス、アメンボに戻れるのだろうか。
いや、アメンボがおぼれた理由は表面張力を産む、足の先の毛むくじゃらに水が浸入してしまったからのはずで、それは水槽を移しても変わらないだろう。
ああかわいそう。

しかし今となっては、足先の表面張力を奪おうが何しようが図鑑のアメンボは既に死去して久しく、かわいそうという一方で「アメンボにも、沈むくらいには体重がある」ということにいまさら気づきもしている。

アメンボは質量ゼロでも誰も文句言わないと思うのだが。
その沈むさまは、妙に律儀なものを感じさせ、こうなると「かわいそうで律儀」ってもう白虎隊しか思い浮かばず、久しぶりに堀内孝雄を聞きたくもなってくるのである。

ましまし

ラーメンを注文すると、にんにくとねぎはどうするかと尋ねられた。

息が臭くなるだけでおいしいのはわかっているが、その臭くなるのが苦手なため、にんにくは無しにしてもらう。
ところが、一緒に頼んだチャーシューごはんに、大量ににんにくが乗っかっているのである。
なぜなんだ。

チャーシューごはんににんにくが乗っかっているのは、議論の余地なく当たり前、常識なのだろうか。

僕はそれは論じたくなく、なぜかというとチャーシューごはんとにんにくのことが常識どうこう言う前に、もっと優先度の高い常識認定事象がこの世の中にはあるような気がするからで、それがチャーシューごはんとにんにくのことで論じられるのが遅くなることに耐えられない。

ということで常識かどうかは存在させず、チャーシューごはんを食べるんである。

チャーシューなんか冷えてるな。
吐息がにんにく臭くなってきたぞ。
この、自分の汗にアレルギーを持ってしまうような、猫アレルギーの猫のような、防犯ブザーが胸元を演出している犯罪者のような、もっとも部品の少ない自己嫌悪のような。

賄賂

羽生くんとプーさんのぬいぐるみ、というとちょっと話題としては古いか。

とにかく、スケートリンクに投げ込まれるプーさんについてだ。

あれは、おそらく登場人物の中に悪い人はいない。
ぬいぐるみ会社が羽生くんに「プーさんが好きだと言ってくれ」と賄賂(プーさんのぬいぐるみ)を渡したでもないだろうし、投げ込んでいるほうはよかれと思っているし、拾う方も悪気はないことはわかっているだろうし。

ただ、結構な量が投げ込まれていた、こないだ見たやつでは。
彼もこうなるとは思っていなかっただろう。

ところで、よかったなと思うのはやはり「羽生くんは忍者が好き」とかでなかったことだ。
リンクに散らばるまきびしで、次の演者は大変だったろうから。

「羽生くんは相撲が好き」でもなくて、よかった。
リンクに積もる座布団が、「この競技はいったい何だったっけ」と思わせるから。

一方、「羽生くんはこんぺいとうが好き」だと、結構いい。
かわいらしいからなんとなく今の彼には合うし、たぶんあれはプーさんより投げやすい。
また、拾いながら食べられるという点が、リンクのメンテナンスに負荷を与えないだろう。

そうなると、歌舞伎揚げもかなり好印象だ。
おいしいし、個別に包装されているから食べられないくらいの量でも困らない。
回収した後に、みんなでもぐもぐタイムすればいいのだ。

ということで、天乃屋は羽生くんに賄賂(歌舞伎揚げ)を渡して「ぼく、歌舞伎揚げが好きなんです」と言ってもらえばいいのではないだろうか。

そして、今回一番書きたかったことがここでやっと書ける。

「どのくらいの量の歌舞伎揚げが、賄賂に相当しうるのか」

地獄

アリジゴクというのは、よく神社の縁側下の砂地に穴を掘っただけの巣を作る、ウスバカゲロウの幼虫である。
彼らがアリにとっての地獄であるならば、人間はあらゆる生物に対しての地獄である、というのは少々卑下しすぎだろうか。

どこかの港町に行って、水槽に沈められたたくさんのカニを見ると、ああ人間というのはヒト科ヒト属のカニジゴクという種なのだな。

そしてそのカニジゴクっぷりをカニに見せてくるわけだが、アリジゴクの(アリに対しての)地獄っぷりに対して、この港町で見られたカニジゴクの(カニに対しての)地獄っぷりというのは、結構様相が違う。
即ち、カニジゴクはアリジゴクに対して比較にならないくらいの積極性をもってカニを地獄に落としている。
待ちではなく、狩りに出ているのだ。

地獄にはかなりの種類があると聞くが、このカニにとっての地獄は、だいぶ深いほうの地獄だろう。

先日、鉄腕DASHでカニを食べているのを見て、あれだけ大きくなるのにはだいぶ年を経たはずだ、かわいそうだな。
と思ったり、さて今度久しぶりにカニに地獄を見せてやろう、と思ったり。

継ぎ足し

うちのはね、もう20年も継ぎ足し継ぎ足しでやっているから。
コクが違うと思うよ。

っていうバーニャカウダーがおいしいお店が阿佐ヶ谷にある。
うそなわけだが、あの料理はそういったことでうまみが増すものなのだろうか。
ニンニクが苦手なので、あまりあのタレを味わったことがないので、なんでこの話題にしたのか、後悔がはなはだしい。

ちなみに気を付けたいのは、冒頭のセリフが「バーニャカウダーのたれ」のこと、と指定しているのではない可能性があるところで、それはもう端的に言うと「毎回、前の人の食べ残しのパプリカの切れ端が付いてくる」ということで、ちょっとあれだね。

食材を捨てる量が多いという不名誉な事実が日本にはあるわけだが、ちょっといやだ。

ということで、ここはひとつその余ってしまったパプリカは煮詰めてタレのほうへ転生させればいいんじゃないか。
それなら「継ぎ足し継ぎ足しで」ってのはあまり間違ったことじゃないし。

体温計

「一息つきたいんだったら、猫の肛門がいい」
「あいつ、確実な数値を叩き出すからな」

どうしても休みたかった私は、何かのハードボイルド小説でそんなフレーズがあったのを思い出した。

ちょうど懐いていた野良猫を見た私は、検便キットでそれをひとなでし、保健所に向かったのである。