リンケージ、手の乾く事がなかった男。

手の乾く事がなかった男。
昨日のブログにて適当に登場したセンテンスだが、こう一歩下がってみてみると、なかなか想像力をかき立てる男ではないか。
その想像は、8割方は下ネタに収束する。
そして1割は苦労せず大量のお金を得た男の話。
最後に1割は苦労せず大量の粟を得た男の話。
・・・僕に人一倍才能があったなら、さらに11割目から20割目までをご披露できたのだが。
ざんねん。

リンケージ、ウェットティッシュ。

時として、円柱状のウェットティッシュのとりづらさは家庭内問題にすら発達してしまう一大事であることは多くの人が経験則から否定できないだろう。
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①ウェットティッシュ、一枚とる度に次のやつが顔を出してくれないため、毎度ふたを開ける必要がある。
②なんだよ、また顔出さないよ!!
③またそんなことで怒ってんの?
④なんだと!そういえばお前、この間俺の荷物勝手に開けやがって!!
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こんな感じ。
これをウェットティッシュメーカーはないがしろにしている訳ではないだろうが、それにしても出てこない。
あるいは最後の方のだといっぺんに固まりが出てきてしまう。
ウェットティッシュは、中身だけが売ってたりするため、数世代古い入れ物のせいでそうなってしまうのだろうか。
それともメーカーが推奨しているウェットティッシュの出し方が、僕のものと違うのだろうか。
ともかく万人が納得する「ウェットティッシュの出口」が開発されれば、プロジェクトXでその過程を取り上げられることだろう。
プロジェクトX
「光り輝く出口へ 〜手の乾く事がなかった男〜」

リンケージ、タイムカプセル。

実録!!
これタイムカプセルから出てきたら、入れたそいつを誉めてやりたい!!
ベスト10!!
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1位
芳香剤
2位
介護用パンツ
3位
春画
4位
ウェットティッシュ
5位

6位
生分解性プラスチックでできたものばかり
7位
活性炭
8位
ピエロの上半身にバネ装置が付いたもの
9位
実印
10位
レンタルDVD
まあこんな感じでしょうか。

リンケージ、スコップ。

誰しも人生で何度か、スコップで穴を掘る事があるだろう。
芋を見つけるためだったり、タイムカプセルを埋めるときだったり。
以前も書いたが、人を呪ったときなどは相手と自分用、二カ所掘ったりもする。
そんなとき、「ちょうどそこにみみずがいたら、大変なことになる」ということを考えない想像力の欠如した輩を僕は好かない。
そんな輩について考えてみると母がそうで、とにかく恐れる事なく土にスコップを突き刺すのである。
確かにモグラは大丈夫だ。
そうそう突き刺した場所にモグラがいる事なんてないだろう。
一突き刺しはせいぜい10センチメートルくらいしか刺さらない。
モグラがどのくらいのところでうろうろしているかは知らないが、日常生活においてあまり見かけないところをみると、結構深いのではないか。
それに、例えば工事現場にて「今日はモグラが出て仕事がはかどらない」ということを聞いた事がない。
数もそんなに多くないのではないか。
それらを考えるとモグラをスコップで突き刺す事はありえず、もしそうなってしまったとしても、それはモグラに非があると言わざるを得ない。
しかしみみずはどうだ。
絶対たくさんいるわ、あいつら。
だが母は球根を植えるために、スコップで花壇を荒れ地に変える。
どれだけのみみず、イモムシ様の生物を蹂躙したのだろうか。
というか、もしかしたら肥料って、そういうことなのだろうか。
・・・自分で言ってて怖くなってきた。

リンケージ、うんこを入れるための袋。

※「うんこ」が頻出します。注意してください。
多少下世話に思われるタイトルかも知れないが、犬を飼っている、飼っていたことのある人にとってそれは極めて一般的な。
ちょうど自分がトイレに行くという行為くらい一般的な「あることがら」を担う重要ワードなのである。
すなわちうんこを入れるための袋なくしては散歩には行けず、それを忘れてきたもんなら、うんこを一時的に放置して帰らなければならない。
僕も何度か経験があるが、あれは単に一旦家に戻るのもめんどうで、さらに周りの散歩人から「うんこそのままにしてくんだ・・・」と勘違いされそう。
よくスコップも放置して「ここにちゃんと戻ってきますよ」アピールもするが、「もううんこの付いたスコップは捨てるんだ。ブルジョア」などと思われてもいやだ。
何度、犬を置いていこうかと思ったことか。
とはいえ、もちろん犬は自由だから、うんこのそばでじっとしていることなく、うろうろしてしまうだろう。
さらに、犬を置いていくと「もううんこをした犬はうんこそのものなんだ。犬もうんことして捨てるんだ」などと思われてしまうかも知れない。
もう超重要、うんこを入れるための袋。
犬はもう死んでしまったのだが、上記のことが原因なのだろう。
コンビニの袋を「何かのときに便利だから」と、小さくまとめてためているが、これは我が家にとっては「うんこを入れるときに便利」以外の何物でもないのである。

リンケージ、はだかでカバン。

サラリーマンたるもの、風呂に入っているときに災害に見舞われたときでも、何より先に重要書類の入ったカバンを死守。
我が身の容姿どうこうよりも、カバンを避難させねばならぬ。
などと戦時中の何かを持ち出さなくなってしまうくらいに、「はだかでカバン」というシチュエーションは難しい。
あとはレディガガがモノホンで「はだかでカバン」をやってくれるかどうか。
あるいは「お父さんが来ちゃった!!。はやくベランダから脱出して!!」みたいなやつ。
心臓音が個人識別に使われているカバンで、そのマイクが弱くなってしまったため、はだかでカバンを抱くしか鍵を開ける方法がないというのもあるかもしれないいやないか。
上着を脱がさずにYシャツのみを脱がす隠し芸を持っている後輩がいたらどうなるか。
おしい。
上着とネクタイは残るので、はだかとは言いにくい。
「あっ、ネクタイピンが胸毛にからめられている!!」
これは、はだかどうこうよりも後輩の仕事へ対する態度を誉めるべきだ。
「なんか、散歩中の犬がリュックを背負わされている」
これはかなり「はだかでカバン」だ。
ただ、自分のうんこを入れるための袋が入ったリュックを背負わされる犬というのは、少し悲しい。
せめて遊ぶためのボールとかであってほしい。
まあ、何がいいたいかというと、そもそも重要書類をあんま持ち出さないほうがいいのではないかという、超社会人志向な今回。

リンケージ、財布。

ポケットから長財布が出ているのを見ると心配になる。
どう考えても、出てない場合よりも財布を落とす可能性が高い気がする。
となると、もし財布が落ちたらどうしよう。
そして相手がそれに気づかず行ってしまったらどうしよう。
財布を拾って声をかけたときの「誰お前?」的な顔、どうしよう。
あるいはちょうど財布を拾ってあげたときに相手が振り向いたらどうしよう。
そして財布から少しだけ秘密結社の秘密カードみたいなものが見えていたらどうしよう。
「知ってはいけないことを知ってしまったね」と相手が近づいてきたらどうしよう。
黒い革手袋をはめながら近づいてきたらどうしよう。
と、そこまでではないにしても心配だし、そうなったら面倒くさいな、とも感じる。
ということで、僕は基本的には小銭入れのような財布を持ち歩いている。
お札は四つ折りにするか、はだかでカバンに入れておくか、そもそも持たない。
ただ、これにも問題はあって、まずお札を四つ折りにするのはなんか窮屈というか、かわいそうな気分になる。
また、はだかでカバンに入れておくのは、なんだか粗暴。
それぞれよくない。
もちろん、持っていないと困る事もあるので、そのへん、僕にはいつも葛藤があるわけだ。
これはもう、どうしようもないのではないかと考えていたが今、カードというものを思い出した。
考えてみれば、Suicaカードでよく買い物をする。
携帯電話も確か、電子マネーが使えるんじゃなかったっけか。
素晴らしい。
おし、この調子でクレジットカードも使いまくるか!!。
・・・誰かが黒い革手袋をはめながら近づいてきたらどうしよう。
というのは、多少偏見がありましょうや?。

リンケージ 、デザート。

お酒を飲む人は甘い者が苦手というが、僕はその限りではなく、両方楽しんでしまうため、結果肥える。
馬は隠語で、それは僕を指しているんじゃないかというくらい秋は肥えたため、これはよくない。
なら周りを肥えさせて、相対的に肥えてない状況にでもしようかと、おごってみせるが肥えるのは領収書の束ばかり。
皮肉にも財布は痩せこけていく。
ということで、今日も絶好調!!。

リンケージ、どんぐり。

住んでいる場所がどんぐり豊富ということもあってか。
いつでもどんぐりに飢えた事はないが、それでもあの宝石のような大きさとフォルム、光沢。
何となく拾っては帽子つきのやつ、穴があいていないやつを選別して遊んだりしたものである。
さて、このどんぐり。
上記のような遊び以外に僕が彼について何かを語れるとすれば、それは「ムッ」のことだろう。
確か昔、どこぞの料理番組でやっていた。
どこかの国ではどんぐりのデンプンを抽出したものを「ムッ」と呼ぶことを。
番組ではその「ムッ」をくずもちのようにしてデザートかなにかにしていたと思う。
ただ、普通この話の中で人の注目を集めるのはどんぐりでもそのデンプンを利用したデザートではなく、「ムッ」という発音だ。
日本ではこういった促音で終わる言葉は珍しい。
我が家では結構長い間、「ムッ」が流行った。
「ほら、どんぐり」
「あ、ほんとだ」
「ムッ」
「ムッ」
実は、今でも流行り続けている。
「懐かしくない?。緑色のどんぐり」
「あ、でもちょっと傷ついてるね」
「ムッ」
「ムッ」

リンケージ、トトロ。

わざわざ書く事もないがトトロは良く、それについて書く事は、どうせまとめると「良い」で終わってしまうため、ただ良い良い言っていれば良いことになる。
だから「良くない」とはいかないまでも「良いかどうか分からない」ことを書かないとまとめられてしまうため、では何を書こうかというと「トトロがあくびをしたとき、歯が見えた」ことくらいしか今は思いつかない。
最近見てないのだが、何となく覚えている「トトロの歯」。
すごくどんぐりをすりつぶしやすそうな大臼歯がとにかく目を引く。
子供ながらに「すごくどんぐりをすりつぶしやすそうな大臼歯」であることに納得したものだった。
もちろん、そのころは「大臼歯」という言葉を知らなかったから、その納得を表現するときも、上記のような発言はしなかっただろう。
「すごくどんぐりをすりつぶしやすそうな歯だよ」
この程度だ。
しかし、この曖昧な表現に僕の方が納得していたとは言いがたい。
僕には前にも奥にも歯があるが、トトロのそれはどうも奥歯の方の形に似ている。
「すごくどんぐりをすりつぶしやすそうな奥歯だよ」
いや、もしかしたらトトロの前歯は、僕の奥歯のような形ではなくて、むしろ僕の前歯と同じかも知れない。
そうなると、トトロの歯は前歯、奥歯ともに人間と同じになるから、結局はこうの方がいいのではないか。
「すごくどんぐりをすりつぶしやすそうな歯だよ」
どちらがいいんだ。
そんなことを、幼少の僕は歯がゆい思いをしながら考えていたに違いない。
もう一度言おうか?
歯がゆい思いをしながら考えていたに違いない。