ミッシングリンク

新宿の眼科医に軽症を負わせたとして逮捕された、自称マングローブの徳光容疑者は調べに対し、「ランドルド環をつなげようとした事を咎められたから」と容疑を認めています。
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「いつになったらファウゼン域(※)がなくなって、ちゃんとした環になるのかな、って」
「ずっと考えていたんです」
警察:だからって医者を叩くなんてだめでしょう?
「ちょっと本気になってしまって」
警察:まあ、こんな事件を起こしちゃったんだから、少し自粛してもらわないと。
警察:その間は、ちょうどあの環の隙間のような期間になるんでしょうね。
警察:あなたの人生において。
「いや、それはそもそもないですよ」
警察:というと?
「輪廻じゃあるまいし。人生は環じゃない」
「もし間違ってたら、来世であなたに土下座しますよ」
「来世に足があるならね」
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数十年後
占い師:あなたの前世はマングローブです。
「まずい!。どっちの!?」
※ファウゼン域
ランドルド環の隙間の部分のことで、うそ。

夕焼け

夕立のあとの夕焼けは一種の天災のようなもので、誰もが目を奪われる。
そのときの交通事故発生率は少し上がるくらいらしいから、と嘘を言ってみても実は嘘ではないかも。
というのも、夕焼けで信号が潰されるという話は多い。
夕焼けがまぶし過ぎて、信号機の赤がよく見えない事があるのである。
車に装備されている日よけや、そこそこのサングラス程度ではあの強烈な光は遮れないだろう。
場合によってはクロスしている側の信号や、他車の挙動から判断しなければならないくらいで、これは怖い。
そしてこれはあまり関係ないが、以下「まぶしいと困るもの」を挙げてみる。
・ひよこの肛門付近
・ランドルト環
・ゲームボーイライト
・アンパイア
・ホタル
なお、ホタルがなぜ「まぶしいと困る」のかというと、多分害虫扱いになるだろうからである。

我が家には柿の木があって、手入れをしていないからか。
見かけは半分枯れかかっているように見え、幹も細い。
しかし秋には、柿の木を通して空を見上げれば茜色の夕焼けを思い出させるくらい、実がなる。
ただ、kiroroが待たせていたくらいの長い間、柿の実をほったらかしにしてきた。
せいぜい、人に迷惑をかけないようにくらいは切り取っていたが。
それは家族のものがあまり柿を好かなかったからで、なぜそんな家に柿が植わっているのだと、甚だ疑問なのである。
そもそも、渋柿だし。
しかし、試しに干し柿にしてみたところ、それを振る舞った人たちにはなかなか好評で、やっと柿も活きてきた。
柿も自身の活躍の場ができて、満足だろう。
また妖怪の話で恐縮だが、「たんころりん」という妖怪がいる。
こいつは確か、柿の妖怪で、秋。
せっかく実をつけたのに誰も取らないような柿の木があると、おじさんの姿で化けて出る。
やることは、このおじさんはうろうろ歩きながら、柿を落としていくこと。
要は、誰も柿を取らないものだから、柿としては実が重くて仕方がない。
実を落としていく事で身軽になろう、あるいは誰か実を取ってくれよ、ということなのだろうか。
この話で感慨深いのは、何よりも「昔から柿、持て余していました」という点だろう。
程度の差はあれど、今も昔も、特に商品として実を扱うような環境ではないところでは、それは持て余すものなのである。
ともかく、その点では、我が家は柿の活路を見出した点で、たんころりんに感謝されなければならない。
ただ、うちに訪問されたらどうするか。
そこで柿を落とされても困るし、そもそもひからびたようなおじさんが来られても困るのである。

面倒

料理というのはその家庭独特の要素が入り込みやすい分野といえる。
有名なのはカレーで、何を具として入れるか。
その話題だけで、数時間は持つ。
最近、「ポテトサラダ」もなかなかなものだ、と気づいた。
ジャガイモが入っているのはもちろんなのだが、まずは「ゆでたまご」。
入っているのが普通の人にとって、ゆでたまごが入っていないポテトサラダはかなり何か足りない。
そう感じるようだ。
次に「コショウ」。
具とは少し違うが、これも結構、入れる派と入れない派で分かれる。
僕は粗挽きペッパーがたくさん入っているのが好きだ。
あとは、スライスしたたまねぎとか、ちょっと変わってにんじんなど。
家庭によってかなり派生する。
一方、これまたカレーの話題のようだが、「えーそんなの入れるの?」というやつ。
ポテトサラダにおいてその代表格は「りんご」だろう。
確かに、何度も「りんごの入ったポテトサラダ」を食べた気がする。
しかし、これは例の「酢豚のパイナップル」と同等の、根源的な問題を含有している。
難しい問題だ。
僕が知っている中でなかなかのイレギュラーは「柿」だ。
りんごと同じカテゴリだが、ここは入れた人を誉めてみたい。
というように、なんとなく「当たり障りのない話題」として重宝。
馬鹿の一つ覚えみたいに人にポテトサラダの話をするものだから、少し周りは面倒そうだ。
そんな俺の名前はミスター・ポテトヘッド。
どうですかディズニーさん、トイストーリーの4出だし辺りで。

開閉ドアに寄っかかってしまう酔っぱらい

終電で開閉ドアに寄っかかってしまう酔っぱらいは、困る。
酔っているし知らない人だし、面倒なわけなのだが、やはり「次の駅ではそっちのドアが開くのに!」というシチュエーション。
油断していると、酔っていなくてもびっくりすることのある「電車のドアの開閉」だ。
酔っているとなると、開いたらごろんと車外に転がってしまうのではないかと心配になる。
ただ、心配だがなかなか声はかけづらい。
やはり、「酔っている人の相手はけっこう面倒」という経験則が誰しもあるわけでして。
小さい頃田舎に遊びに行った時、そこのおじさんが昼間から酒を飲み、真っ赤な顔して喋りまくるのだが、なかなかの方言。
ただでさえ何言っているのかわからないのに、酔っているものだから、もう人外の様相。
恐怖を感じながらも、相手の喋りのリズムやイントネーションから「ここ笑うところだ」などを一生懸命に感じ取ろうとしていた僕は、なかなか偉い。
ともかく、酔っている人は面倒くさい。
寝てしまわれても困るし、喋りまくるパターンも困る。
徘徊されても困るし、妙にじっとされても困る。
ということで、最近僕も人を困らせてばかりだなあとため息をついた徹夜明け。

引き出し

「開かない引き出し」というのは、確かに「開かない金庫」、「開かない脱出口」。
「開かない心の扉」や「開かないまぶた」などの切実なやつに比べたら、まだ開かなくていい。
しかし、それにしても人類は「引き出しを閉じたときに中のものが突起したため、次回開かなくなる」という事象によく出会う。
中央線終電で開閉ドアに寄っかかってしまう酔っぱらいくらい、よく出会う。
開かなくなった引き出しの件については、多くの人が悩まされてきたはずなのに、今でも完全な解決には至っていない。
机メーカーは、あれを突けばかなり良いセールスになるのではないか。
幼少の頃、僕はこんな経験をした。
例によって開かなくなった引き出し。
長いものを入れたわけではなかったのだが、中が整頓されていないので、まあ何か位置が変わって突起してしまったのだろう。
と、原因が分かってもたいがいは「思い切り開ける」しか解決法がない事は誰しも経験則として知っているだろう。
僕も小さいながらにそれを体得していたため、それに習った。
するとどうだろう。
開けた引き出しが、ちょうどサランラップで包まれたようになっていた。
これはどういう事かと言うと、引き出しに入っていた「ポリバルーン」が、引き出しのつっかえとなっていた突起と作用を起こしたらしく、すごい力で押し出されたらしい。
それが引き出しと机の隙間一面に、引き出しを開いた分だけ一面に貼られた、ということらしい。
机の中のものひとつひとつが、取り出そうとするときに淡い虹色の膜でコーティングされるわけで、なかなかの損害だった。
まあ上記、うそなのだが、せっかくなのだからもう少しリアリティのある嘘、あるいはよりうそっぽい嘘をつくべきだった。
リアリティのある、といえばやはり鉛筆か。
引き出しの中で鉛筆が突起し、思い切り開けたら折れた。
これは非常にシンプルで、嘘とはいえ、ただ忘れているだけで本当はしでかしていました、とも言えるくらい、誰しもやっていそう。
絵の具なんかもいけそうだ。
「歯磨き粉探して机開けたら、ちょうど白と赤と青の絵の具が引っかかってたらしくてさ。机の中アクアフレッシュみたいになっちゃったよ」
なお、絵の具の例は以下の観点で嘘っぽさが強い。
・3つの絵の具が引っかかっている点
・歯磨き粉を探すために机を開けた点
一方、よりうそっぽい嘘となると、ドラえもんか。
中でドラえもんがひっかかったため、開かない引き出し。
開けないとドラえもんとは出会えず、思い切り開けようとするとドラえもんが壊れてしまうかもしれない。
机と引き出しの隙間の厚さのドラえもん。
かつで、これほどドラえもんの厚さが気になったことがあっただろうか。
なんというパラドクス。
まあ、この嘘でひとつだけ言えるとすれば、その引き出しがタイムマシンのあるところのやつだったとすると、ドラえもんどうひっかかっちゃって
ちょ、ちょっと待って!!。
アクアフレッシュもドラえもんも「白と赤と青」なんだけど!!。
何このシンクロニシティ!!。
宝くじとか買えばいいの!?。

ハードル

「ハードルが高い」

「くぐればいいじゃん」
これは、もう大丈夫だ。
そんなにぎょうさん、入らない。
十分堪能した。
「ハードルが高い」

「と思っていたら、天橋立を見る人だったよ」
これは、新しい。
今のところ、聞いた事がない。
そうでしたかー、って気になる。
「ハードルが高い」

「そこがかわいいところでもあるんだけれどね」
これは、うらやましい。
いろんな引き出しがあるんだなー、と思う。
「ハードルが高い」

「誰だっ!!」
これは、殺人。
体育倉庫連続殺人事件の2人目被害者回想かな、と感じる。

コロッケ

じゃがいもが好きだ。
団塊の世代は「幼い頃食い過ぎた」という理由で、あまり好かない人も多いと聞く。
だからじゃがいもが好きなこともあり、僕は団塊の世代じゃない。
コロッケや肉じゃがもいいのだが、何となく好きなのは「ただ茹でたもの」だ。
あの、砂を食んでいるかのようなでんぷん粒。
口の中がぱっさぱさになる感じ。
ちょっと古いジャガイモだろうか。
誉めているようには聞こえないかも知れないが、なんかあれがいいのだ。
考えてみれば「口の中の水分を取られるもの」が好きな気がする。
甘食やオールドファッション、バームクーヘンを口一杯のほおばって、「ぶふっ」ってやりたい気がする。
そして紅茶で流し込みたい。
この欲求はおそらく、ビールにおける「夜までずっと我慢していてやっとこ飲める」というシチュエーションと似ている。
「窒息しかけていて、やっとこ流し込める」
一点違うのは、ビールが要求の対象であるが、じゃがいも他は欲求達成の快感を高めるためのハードルだという事である。

ウスターソース

僕はかなりウスターソースが嫌いで、コロッケがあるのにソースはウスターしかないなんて状況だと、多少の破壊衝動すら覚える。
コロッケに。
やはりとろみだ。
ソースにとろみがないと、付けた気分にならない。
ウスターソースだと流動性が高すぎて、かけた全量がコロッケを通過して皿に溜まる気すらする。
ただこれはコロッケ主体に見た意見であって、ウスターソースにしてみればこう思っているかも知れない。
「コロッケのほうが、付けられる努力をしていない」
ということでコロッケ側でどうにかウスターソースをとどまらせたいと思う。
・衣に活性炭を混ぜておく
・底の深い皿にウスターソースを満たし、そこにコロッケダイブ
・ペトリ皿をコロッケにする
どれもウスターソース納得のとどまり度だと思う。
で、それにしてもペトリ皿のペトリってなに?。

頼みすぎないようにする方

「そこのソース取って。僕のハムカツがなくなる前でいいから」
これは少し謙遜している。
無理に言えば「頼みすぎないようにする方」である。
「そこのソース取って。僕のハムカツがなくなっても、必ずな」
頼みすぎているわけではないが、ちょっと高圧的なところが気にかかる。
似たところでは「ソースを取ってくれなくていい。ただ俺は追う。どこまでもな」がある。
「そこのソース取って、10分後くらいにティッシュ取って、あと洗濯物たたむのが次に来るから」
これは頼みすぎである。
しかも先見の明すぎでもある。
「うまいっ。このハムカツ、ソースなくてもなんか味付いてるっ」
謙遜を通り過ぎて、無理をしている。
ソースのないハムカツなんて、朱肉のないハンコのようなものだ。
「そこのソース取ってほしいけど、難しいようならウスターソース取って」
これは議論になることうけあい。