期語

クピペピポ ポピプペプポプ プピポピポ クペピポプポプ 翻訳ガッちゃん
これは、僕が最近考えた句である。
ところでご存知の方も多いだろうが、「季語」というものが存在する。
川柳だったが、俳句だったか、あるいは両方だろうか。
とにかく限られた文字数「五七五」「五七五七七」の中に季節を感じさせる言葉を盛り込め、というルールである。
さきほどのガッちゃんの句だと、翻訳部分のどこかに夏とでも言っているだろうからこのルールには反さないのだが、もちろん堅苦しくない、有名な「サラリーマン川柳」などでは厳密にこの規律を守る必要はない。
さて、季語というものを考えた時、それはもちろん日本では四季になるのだろうが、以下の点が気になってきた。

季節が日本と違う国での季語はどうなるのだろうか。

季節ではなく時代を表現する言葉で作ったら面白くないだろうか。
まず1だが、そもそも季節というものをどう定義付けすればいいか分からないため、あくまで私感的な話になる。
例えば「雨季」と「乾季」の二つの季節があるとしよう。
このとき、季語は2種類だけになるのだろうか。
確か、乾季では池の水がなくなるから、「肺魚」というきもい形の魚は冬眠ならぬ「夏眠」を行い、水が満たされるまでじっとしている。
夢も見ぬ 肺魚に届きし 雨音の 乾き愛でたき 夏眠の終わりに
これは、ただただ雨季を待つために夏眠していたが、乾季が終わり雨季が来る事を知り、これまでの乾燥も懐かしくなるのだなという喜びと感慨を、肺魚が書いた句である。
この場合の季語は「夏眠」であろうか。
日本にも「夏眠」する生き物はいるかもしれないが、ちょっと季語とは考えにくいが、「雨季」「乾季」がある国ではむしろ定石の季語だろう。
また、これは季語とは違うだろうが、カナダ北部に住むイヌイットには、「雪」を表現する言葉がたくさんあるという。
我々からしたら「冬」以上の何物でもない季節に見えるが、彼らにとって、その「冬」はさらに細分化されているかもしれない。
明日へ続く。

日も何時

「呪う」という字のネガティブなイメージにも負けず、秘密のアッコちゃんの変身呪文「テクマクマヤコン」はかなりポップな感じで大変良い。
どういう意味なのかは分からないが、この呪文界の異端児に、仲間はいないのかが気になってきた。
ところで今、「秘密」を「ひもいつ」と打ち間違えてしまった。
「himitsu」と「himoitsu」で、どうもmiのときにiのとなりのoを余計に打ってしまったのだろう。
どうであれ「ひもいつ」というのは何か不穏な響きだ。
「ひもいつのアッコちゃん」
ちょっ、おま、「アッコさん」だろ!。
と誰かが焦り怒りそうだ。
いや、そもそもニックネームっぽい「アッコ」も恐れ多いだろう。
「ひもいつのあきこさん」
いや、そもそも「アッコちゃん」の本名は「あきこ」なのだろうか。
「日も何時の明子さん」
突然日の光を奪われた街で、光を取り戻すために異形の者達と一人戦う盲目の少女明子さんなのだろうか。
修学旅行のときに優しくしてくれた同級生の男子生徒、翔を探すためのその華奢な体に似合わぬ大刀を振るうのだろうか。
闇を見つめる瞳から流れる涙でいつも濡れている包帯が乾く時、異形の者となってしまった翔とはどのような結末を迎えるのだろうか。
僕は「呪う」のくだりからここまでの10分くらい、何を言っているのだろうか。

過冷却

250mlのサイダーを30分くらい冷凍庫の中に入れておくと、よく冷えた上に過冷却だからシャーベット状になったりしておいしい。
なのでよく入れるのだが、案の定よく忘れる。
ちょうど今、目の前によく忘れていた状態のサイダーがある。
開けるべきかどうか悩ましいところ。
「僧侶の前に、俺だって男だよ」
ブログ記入画面の広告バナーにそう書いてある。
どういうことだろうか。
もしここで僕が僧侶なら、この暴発するような感じのするサイダーを「俺だって男だよ!」と言いながら開けるのだろうが、しかし僕は僧侶ではない。
広告バナーを読むなど、現実逃避も甚だしい。
そういえば、最近僕はPS3で「サムライスピリッツ天下一なんとか伝」みたいなのを買って遊んでいる。
格ゲーなのだが、一番簡単なレベルに設定してもクリアできない。
最後のボスが強すぎて泣けてくるのである。
しかし、ずっとやっていたら効果的な対処方法を発見した。
使用キャラに歌舞伎役者がいるのだが、そいつが出す「がまがえる」がすごく使える。
がまがえるを出しまくると勝てるのである。
もし誰か、「サムライスピリッツ天下一〜〜〜」で困っている人が近くにいるのなら、是非「歌舞伎役者のがま」を教えてあげてもらいたい。
とかなんとか言っているうちに、サイダーは溶けて、いないか。。。

付喪神

いろいろ忙しくしていると、ふと何かその時は思い浮かばなくていいものが頭の中に現れて、困るときがある。
こないだ、「ASIMO in 付喪神」というのが浮かんだが、「ASIMO」はいわずと知れた本田技工の人型ロボットで、付喪神は日本古来から伝承されている、物が長い時を経て魂を得たもの、あるいは物に宿る魂、みたいなことだった気がする。
このキーワードを普通に考えると「ASIMOにはもう付喪神入っちゃってる」となるわけだが、もちろんこれは「AIBO in 付喪神」でも大丈夫で、「ファービー in 付喪神」も問題ない。
やはりASIMOやAIBOなどは先見的な存在として卑怯ながらも「いじりやすく」、色々考えると面白い。
ぱっと思いつくのは「餃子の餡 in ASIMO」だろうか。
一方、「ダイソンの扇風機 in 付喪神」はなんか怖い。
「ダイソンの扇風機が、いくら位置を変えてもある一カ所にだけ風を送るんです」
そこに霊がいるという案配である。
また、先見的ではないが「エレベーター in 付喪神」なんてのは、B級ホラー映画みたいだ。
やはり「付喪神」が入ってもらいたいのは生き物の形をした物であってほしい。
ところで、そもそも「付喪神」というのは「in」で表現できるものなのだろうか。
前置詞的な観点の話になりそうだが、となると「付喪神」というのは一体何なのか、というのも定義付けが必要そう。
どちらも手に余る内容だが、とりあえず「付喪神」のことを英語で喋らなくてはならなそうなシチュエーションは、避けて生きていきたい。

横顔

冗談ではなく、「おじゃる丸の横顔」には目を見張った。
知っている人も多いだろうが、なかなか神秘的だ。
とりあえず、輪郭を描いたらできた、という状態ではない。
甘食みたい。
しかし、僕はその奇怪な形状に驚いたというよりは、「そうなっていましたか」と妙に納得してしまった。
本来、こね途中の生地のようなあの形にはびっくりした方がいいような気がする。
目の前におじゃる丸が現れても、アニメのキャラクタというブランドよりも、その顔の形に恐怖すると思うから。
着ぐるみ。
着ぐるみも心配だ。
あるのかは分からないが、どうなっているんだ。
子供を守らなくていいのか、あの形状から。
しかし納得してしまった。
そういうことなら仕方ないと。
こうやって、あきらめながら人は成長するのかもしれない。
だがこの場合、僕があきらめたのは一体何なのか。
それを思い出す事もあきらめなければならなそう。

毒りんごについて

なんとなく気になったのが「なぜ毒ケーキではなく、毒りんごなのか」であって、それは白雪姫の話。
何か毒が仕込みにくそうじゃないだろうか、りんごは。
表皮に毒を付けるのは、白雪姫が「りんご丸かじり派」であることをちゃんと知っていなくてはできないことだ。
一方、中に仕込むのだとしたら切って皿に盛りつけるパターンもあるから、少なくとも色が付いていてはまずい。
もちろん、「いただいもので何ですが、ご一緒にどうですか」も考えられるから、その点を含めてもりんごは良くない。
ケーキなら、臭いや色もごまかせそうだし、いいんじゃないだろうか。
と、ここで気付いた。
悪い魔法使いの悪さっぷりを。
要は、魔法使いは毒を口にして息絶えるところを目の当たりにしたかったのではないだろうかということだ。
りんごなら「目の前で食べる」可能性が、少なくともケーキよりはある。
姫が「ケーキ丸かじり派」でないことは魔法で判明したのだろう。
さらに「りんご丸かじり派」であることも把握できれば、あとはりんごを渡して、ちゃんと死亡するところを見届ければね、というかなり悪い企みがあることに気付く。
この考えが正解であるなら、確かにケーキよりもりんごのほうがいい。
だが、よりいいものは「おはぎ」だろう。
りんごはずっと手に持っていられるが、おはぎはそのべとべとさが気になって、「ちょっと先食べていい?」という感じになりやすそうだ。
そして、この流れの終着点はおそらく「ソフトクリーム」だろう。
毒ソフトを渡した後、少しだけ世間話。
向井理のかっこよさの話でもすればいいのである。
そうすればたちどころに相手の口の中に毒が入るであろう。
まあ、当時としてはりんごが適切なのだろうが。
となると気になるのが、「姫はりんごをもらってからどこで食べたか」である。
もらってすぐ食ったのか、小人達が帰ってくる前に少しだけ口にしたのか。
こないだのロバの耳の件もあったが、童話は何か、細かいところがもう忘れてしまっていていけない。
そもそも細かすぎるのかもしれない。

故意なら激怒、それ自然。

疲れて帰ってくると、ねこがテーブルの上に乗って僕の夕食らしきものを拝借している。
このやろう。
これが、ねこと夕食の鳥の唐揚げが僕を落胆させようとして画策したことなら、僕は寝る間も惜しんで激怒し、ねこには足払いを、鳥の唐揚げには舌鼓を与えてやる。
とりあえずレンジで温めて殺菌を期待し、侵されていない箇所を食す。
ふとキッチンに目をやると、ねこが鍋を探ろうとしている。
このやろう。
これが、ねことIHが相談して行った愚行なら、僕は寝る間も惜しんで激怒し、ねこにはガムテーブの芯を頭にかぶせ、IHにはIH非対応の鍋をあてがってやる。
シャワーを浴びようと風呂場へ向かうと、床に水たまりができている。
ねこのおしっこだ。
このやろう。
これが、ねこと床の共犯なら、僕は寝る間も惜しんで激怒し、ねこにはぎりぎり届かないところへシールを貼り、床には軽石の細かいのをこすりつけてやる。
おしっこをトイレットペーパーで拭いて流し、シャワーを浴びる。
風呂場から出てくると、トイレが詰まっている。
このやろう。
これが、ねこと下水道の画策なら、ねこにはえさを与えるフリをしておびき寄せ、捕まえていじりまわしてやり、下水道にはマンホールから砂利を入れてやる。
でも、どれも故意ではなさそうなので、僕は安心して寝る事ができるのです。

2565年

「すいません、これ何ですか?」
「ああ、これ?。ここ、天橋立でしょ?」
「あの、有名なのあるじゃない?」
「日本三大名所、みたいな?」
「まあそうなんだけど、ほら、股から景色見るやつ、あるじゃない?」
「ああ、股からのぞくやつですね」
「そうそれ。これ、股のぞきの補助器具なんだ」
「補助器具?」
「そう。ほら、普段股から物を見るなんてしないよね。」
「ええまあ。」
「姿勢も不自然で、体勢を崩す。けが人が出るくらいだったから、補助器具を設置したんだよ。」
「確かに変な体勢ですからね。ところで100円入れるところがあるんですけど。」
「そりゃあるだろ、どこの展望台の双眼鏡にも付いてる。」
「でもこれ、別に100円入れなくても、なんか、出ちゃってるでしょ機能。」
「別に、寄りかかるだけでもう股開きが楽にできちゃう、と。」
「股のぞき、ね。ええ、そうだと思うんです。」
「確かに。例えば双眼鏡の方は、100円入れないと見せてくれない。こいつはただ、利用した人の自発的な支払いを期待しているのか、あるいは何か100円を入れる事で特別な機能を発揮するのか。」
「股のぞきの特別な機能・・・。景色がよりきれいに見える、くらいしか思いつかない。」
「何なら、見比べてみたらどうかな?。普通に見て、それから補助器具の方から見て。」
「お金かける分、きれいに見られる気もしますしね、試してみますか。」
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それから550年後
レポーター「ここが京都州で有名なスポット、天橋立跡地です。」
「今はもうその姿を見る事はできませんが、愛されていた景色を見るための儀式が残っています。」
「股から顔を出しながら50mほど離れたお賽銭箱に100ポン(※)を入れるというものです。」
「今日も大勢の観光客が、股から顔を出しながらお賽銭箱に向かっています。」
「慣れたものですね。」
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※ポン
2565年の日本における通貨の単位。
「ニッポン」の「ポン」にかかっている。

ジャカジャン

できた人間ではないのだが、やはり「感動的なバックグラウンド後でも偽物をぶっこんでくる「なんでも鑑定団」はつらい気持ちになる。
「困っていた人を助けたら、そのお礼にもらいました。」
これなら、困ってるんだからそんなに高価な物を渡せるはずもないと考える事もできる。
しかしあるのが「依頼人が人良さそうで、どうもだまされたっぽい」鑑定のくだり。
もちろん鑑定で嘘をつく訳にも行かないだろうが、他人ですら「本物であってくれ」「高値で売れたら夫婦で箱根に行ってくれ」という気持ちになるときに限って印刷物だったりするのである。
スタッフもつらいだろう。
あの番組がどのタイミングで依頼人に結果を伝えるものなのかわからないが、誰が伝えるにしてもつらい。
3000円である事を伝えねばならない。
テレ東全員つらい。
もし現代に宮沢賢治が生きていたら、この番組を見る度にあまりにかわいそう過ぎて、3000円の依頼者に何か物を送ってしまうのではないだろうか。
僕の予想だと「石坂浩二のカレンダーに宮沢賢治のサイン」あるいは「川で拾った石」である。
したがってその世界では「宮沢賢治のサインが入った石坂浩二のカレンダー」は数が多く、もちろん宮沢賢治からとは言え、川の石も数が多く、それぞれ希少価値はあまりなさそうなので、今挙げた人のほとんどは、やっぱりつらい。

タイマー

タイマーを5分おき、3回も鳴らしているはずなのに、いつも3回目のところで起きる。
なぜ前の2回に気付かないのか不思議に思っていたら、アラーム音が2回とも「ツァラトゥストラはかく語りき」の導入部だった。
静かっちゃあ静かだが、でんでん言うところは大きいはず。
なぜ起きないのか。
あるいは起きない方が普通なのか。
「2001年宇宙の旅」のことを考えると、起きたいよねー。