浸透と劣化・2

昨日から。
【あらすじ】
最近、ブログに書いてる文章が長くなってきた。
原因の一つは「明確に書くことがないから、だらだらしてしまう」から。
もうひとつは何かね・・・。
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もうひとつは「明確な意図に基づき、書きたいことがある」からだと思う。
例えば日記に「ゾウミジンコが、自分が大きいのか小さいのかわからなくなってきたって、言ってきた。」と書くとする。
ポイントなのは、内容がどうであれ、書き手が「こいつはイケる!!」という確信を持っているということ。
本当は「ゾウミジンコ」だけで村の一揆くらいは決起させる自信がある。
読み手1「ゾウミジンコ?。あぁ、あの小さいやつね。でも、ゾウって名前なんだよな。そりゃ、自分の大きさ、わからなくなるよね。で、君にどう言ってきたの?。」
でも、読み手2はゾウミジンコを知らなかった。
読み手2「ゾウミジンコ?。なにそれ、新キャラ?。」
ということで自信作は「ゾウミジンコ(ミジンコの仲間)が、自分が大きいのか小さいのかわからなくなってきたらしいよ。」と改変される必要が出た。
長くなった。
読み手2「ゾウって名前がついてるくらいなら、大きいんじゃない?。あ、でもミジンコだから小さいのか。ふーん。それで、どうやってそれをキミに伝えてきたの?。」
でも読み手3は脱線してしまった。
読み手3「やはりそういう哲学的な考え方を、ミジンコも持っていたのだな?。」
ということで自信作は「ゾウミジンコ(ミジンコの仲間)が、自分が大きいのか小さいのかわからなくなってきたことを、この私に面と向かって伝えてきた。」と改変される必要が出た。
長くなった。
読み手3「おや、待ってくれ。なかなか哲学的な考え方をするミジンコにも興味がわくが、そもそもあなたにどうやって伝えてきたのですか?。」
このように、自信作は文章量が増えたが、本文章中、一番意図していた「ミジンコとの対話」のことを読み手全員に気付かせることができた。
ここから先は、あなたしだい。
ジェスチャーだろうが、人文字ならぬミジンコ文字だろうが、「ミジンコが大勢で文字を作っても結局顕微鏡でしか確認できなかった」だろうが、「ゾウミジンコといっても、何か鼻っぽいところが長いからそういう名前で、一般的なミジンコに対して特別大きいわけじゃない」だろうが、思う存分やってくれい。
このブログではゾウミジンコについて問いたいのではないので、長い文になっちゃう件に話を戻す。
まぁ、このように、相手の考え方に関わらずに書き伝えたいことがあるのなら、それには情報量の増加を認めなくてはならないのだ。
「こいつはイケる!!」という内容に、汎用性を持たせようとするため、長文化する。
もちろん、読み手の幾人かがゾウミジンコのことを知らなかった点などは、全く問題ではない。
それは「ゾウミジンコ」を「近所の床屋さん」に置き換えることが可能だから。
まぁなんだ。
長くなるのは、しょうがないんだな。
そして、ついでに例題がイマイチなのを、ここで謝っておくんだな・・・。
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こういうことを考えるとき、僕は「ワイングラスのタワー」を思い出す。
あの、ピラミッド状にグラスが積んであるヤツ。
下のほうまでワインを届かせるには、ワインはたくさん必要なのだ。
もちろん上のほうのグラス、下のほうのグラス自体になんら差異は見られない。
それにしても僕は、最近の自分が書く、長い文が嫌いなことに変わりはない。
なんとなくだが、読み手に「ワイングラスのタワー」土台部分のグラスを渡しているような錯覚を覚えるのだ。

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