【昨日からの続き】
「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」が、あったんですよ。
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で、気になったこと。
椎名林檎の歌で、写真を撮られなくないという旨の歌詞があった気がする。
それは写真としてその場面が残されることで、それと今後の自分が比較できてしまう。
その時の自分は明らかに写真の時より古く年老いており、それが否応なく証明されることがいやだ、という心情。
ということで、くだんの化石は大変なことになっている。
赤裸々である。
埋まっていればまだよかったのだが、発掘されてしまった。
最初から色あせた感じだっただろうが、ともかく何年も公開されてしまっている。
食事というのは、以前触れたこともあるが「見られると恥ずかしい」と感じる人は結構多いらしい。
それは人間の行動決定のかなり根本的な要素であるからで、確かにものを食べるということの構成をかいつまんでアナグラムってみると、もう何かほら、もうって感じのやつに置き換えられそうですらある。
「だえき」
「えんげ」
ほらもう。
そんなことになっちゃったかー、丸呑みし途中の魚。
唯一救いがあるとすれば、彼が年老いてしまったことを気にするものが一人もいないということだろうか。
が、化石のころからだと、だいぶ輪廻転生がはかどっているはずのため、今は人間でいるかもしれない。
その人は本当に、喉に魚の小骨が刺さってしまうことに困る人生であろう。
生まれながらに刺さっているっちゃあ刺さっているからである。