やる気スイッチ、ジャンプ。青春。

幼児向けの玩具として「電車の模型」がスーパーのレジ横スペースに売られていた。
模型とはいっても、細部にこだわったようなものではなくディフォルメされた、ちょうど「プラレールの電車」のようなそれは、JR中央線のものだった。
今では銀色の、なんか冴えない電車色になってしまったが、3年ほど前は軽快なオレンジ色で、その模型はそのときの色をしている。
そして厳かも大胆に「中央特快」をうたっていた。
ある種の人々にとって、中央線の「中央特快」の存在は日々の生活において最重要キャラクターのひとつであり、それは意味合い的にも用途的にもちょうど「マリオのBダッシュジャンプ」くらいの重要度。
違うのは「日々の生活においては「Bダッシュジャンプ」で超せない穴はまず空いていない」ことくらいで、そういう点では僕が知らないだけで案外空いているのかも知れないし、空いていてもすぐ誰かが埋めてくれるので日本のインフラは非常によく整っているのかもしれないし、やはりまず空いていないもので、人間にBボタンがないのはそういう穴が空いておらずBダッシュの必要がなかったからだとも言えそう。
それはさておき、「中央特快」のあの速度。
あれは多少寝坊してもそれをカバーできるという魅力を、主に大人達に秘めさせている。
しかし、なぜ幼児向けの玩具で「中央特快」なのだろうか。
幼児にはその最たる部分である「寝坊をカバー」のことは、少し難しいのではないだろうか。
そこがセールスポイントにはならないのではないか。
ともかく、僕はひとつまた、気づかされる事になった。
「中央特快」
なんとなく、強そうなのである。

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