先日、「拳銃の形にくり抜かれた聖書」というタイトルをつけたのだが、何か臭う。
とても臭う。
何かの映画で見たような気がする。
拳銃を隠し持つための方法だっただろうか。
どうにせよ「拳銃の形にくり抜かれた聖書」が示唆するイメージは、個人的には耳をパテで塗り固めたくなるくらい饒舌に、こちらに何かを訴えてくる。
だから、聖書にはもっといいものを隠そうか。
そう考えるとへそくりというのは、その物質的な意味以上に価値があることがわかった。
観音像はどうだろうか。
逆マリア観音か。
しかしキリスト教は仏教を弾圧していたかどうかはよくわからない。
たぶん、聖書に隠さなくてもいいはずだ。
手に聖書。
もう片方の手には観音像。
なんかインターナショナルだ。
左右の優劣もないし。
へそくり、観音様とくれば、次は実印だろうか。
だろうか、ってのもないですが。
耳栓を隠しているってのもなかなかいい。
集中しようってことなのか。
となるとアイマスクだ。
時には目を休めようということなのか。
あるいは目に見えるものだけにとらわれないようにという、何かのお世話だろうか。
あーたしか、耳栓に比べてアイマスクは弾圧されていたっけな。