いつも説明。

血液型に限らず、取扱説明書というのはその意義が面白い。
いろいろ思いつく。
過剰な注意書きも面白いし、以前触れたがその書物の厚さも気になる。
しかし単純に、正常な使用方法のところも捨てがたいものがある。
例えば、オセロ(リバーシ)はどうだろう。
「最終的に色の多い側が勝ちです」
これはいい。
ごもっともだ。
しかし、次にこう来たらどうだろう。
「この他にも、自分で新しい使い方を見つけてみましょう」
昔のファミコンソフトの取扱説明書によく見られた記述である。
オセロの新しい使い方とはなんだろうか。
これも以前触れたが、例えば新規ルールを作ってしまうだとか、黒と白を0と1に見立ててビット計算ができるかもしれない。
64マスを利用して、いかに細かい絵が描けるかに挑戦するのもいいし、角が取れそうなゲーム状態のものを路上に放置し、通りがかる人がどれほどそれに興味を持つのかを観察してもいい。
オセロの駒?の裏表に、それぞれ黒字と白字で一文字書き、ゲームを進行。
終了時にどんな言葉ができているかを見てみるのもいい。
しかし、これらは新しい使い方と言えるのだろうか。
僕には分からない。
では、以前流行ったことのある「血液型の取扱説明書」はどうだろう。
あなたは人見知りですね。
でも、正義感がありますね。
自己主張は激しくないですね。
よく知らないのだが、おそらくこんな感じだろう。
しかし、最後にはやはりこう来る。
「この他にも、自分で新しい使い方を見つけてみましょう」
この場合、その新しい使い方とは自分の血液型の事で、ある意味「自分の使い方」と捉える事もできる。
自分の使い方とは何だろうか。
僕はちゃんと正しい使用方法をとっているだろうか。

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