休日

いまのところ、ギャンブルに興味がない。
と言うと、人生は日々ギャンブルだからそんな言い草はないだとか、そういう人に限ってハマるのだとか、とののしられそうだ。
ただ一つはっきりしているのは、興味のないことが、健全性や自己管理どうこうに紐づいているのではない、ということだ。
どうもめんどくさそうに見える。
競馬新聞のデータ量は、手練風の老人とすれ違っただけでも十分にわかる。
恐ろしい量だ。
しかもそれが、意味を持つ。
今後起こりうる結果を表すものとしても、直接的な損得を自分に与える情報としても。
それに比べて理科年表、辞書や格闘ゲームのフレーム表は情報は多いが、そういった職業でもない限り、上記のような息詰まるようなものはない。
気楽だ。
そういう理由で、ちょっとギャンブルは敷居が高い。
とか思っていたら、難しいことは省いて、お手軽に馬券の買えるシステムがあるという。
買ったことはないが、うまくいけば手間をかけずにお金が増えたり、かけひきを楽しめたりする点で、いいかもしれない。
しかし何となくこれには賛成できない。
休日に競馬新聞を持つ老人とすれ違えないのは、休日ではないからだ。

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