バックアタック

ガラスのコップに、急にお湯を入れると割れることがある。
だから先に水を入れてからお湯を入れる。
すると言われるのだ。
「それは死んだ人だから、だめ」と。
小さい頃にそう言われたため、今でもそうすることに何となく罪悪感を感じる。
それにしても「死んだ人だから」というのは、なんだ。
何か、仏壇まわりでの作法なのだろうか。
それともお葬式での決まりなのだろうか。
「さかさみず」というらしいが。
まあよくわからないが「何らかの形で、死者にぬるま湯は必要」ということは確かなのだろう。
それにしても「それは死んだ人だから」というのは、なかなか武力のある言葉だ。
それは特に子供に対してはてきめんで、相応の悪い環境がないかぎりは、子供は死を恐れるものである。
せっかく生まれたのだから、もうちょい生をエンジョイしたい。
それを終わらす死はかんべんね、そういう本能のようなものがあるのかもしれない。
だから、何か分からないが「それは死んだ人だから」という行為にすら、極力避けたいという気持ちがはたらくのだ。
「こないだ亡くなったお隣のおばあちゃん、こんぺいとうが好物でね」
このことを聞いた子供は、こんぺいとうを口にしなくなるだろう。
「そういえば、くしゃみを我慢すると体に悪いと言っていたわね」
このことを聞いた子供は、すこし考える。
おばあちゃんは「くしゃみを我慢すると体に悪い」と思っていたから、我慢していなかったはずだ。
しかし、我慢していなかったのに、亡くなった・・・?。
「くしゃみを我慢すると体に悪い」というおばあちゃんの知恵を信じるか、おばあちゃんの現在状態を信じるか。
子供には難しい問題だ。
「部屋で片付けをしていたら、昔のなつかしいレコードが出てきたらしくて。それを聴こうとプレーヤーを探していたら発作が起きて・・・」
子供はレコードに触れないだろうし、探し物をすることもしないだろう。
しかし探し物をするなんて、無意識のうちにすらやってしまうものだから、それが困ったところ。
何か別のこと、ちょうど日常生活ではしないような、逆さのことをして、それをごまかそうとするかもしれない。
なにか、「ムーたち」を思い出した。

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