一時期「紅の豚」の主人公ポルコ・ロッソのものまねをしていたことがあった。
「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」
しかし、このセリフに重大なポイントがあることに気づいた。
豚が喋らなければ意味がないのである。
例えば豚が「飛ばねぇ・・・」を喋れば、必然的に話題は「じゃあお前は飛ぶ方なのか、飛ばない方なのか」という方向になる。
そして実際飛ぶ方だったりするわけで、人々はこう口にする。
「カッコイイとは、こういうことか?」
「カッコイイとは、こういうことか?」
一方、人間がこれを喋るとどうなるか。
「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」
「そうですね」
スポーツ選手へのインタビューだったか。
いいともだったのか。
そうではない。
カッコイイ豚についてのことであるはずだ。
しかし当然の「そうですね」である。
そうとしか言いようがない。
要は豚でもないのに何を言っているんだおまえ、ということである。
それがあーた、「紅の豚」とか、だと!!。
そんなこんなで、なんとなくこのものまねは切羽詰ったときくらいにしかやらないようにしたのであった。
「紅の豚」では、最後にポルコ、豚じゃなくなっちゃったかもと思わせるシーンがある。
もし彼がそうなってしまったとき、そしてさらに「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」 とか言っていたとしたら。
おい、お前はもう豚ちゃうやんけ。
うそつくなうそ。
人々は、ちょうど表題にあるようなものを感じずにはいられなかったかもしれない。