おっさんがコーンポタージュを飲んでいることほど、不快なことはそうない。
何いいにおいを、その口から出してんだ。
どんな人でも、缶を片手に窓から車外をのぞき見るおっさんを見たら、そう感じることうけあいである。
さて、実はこの話、ここから広げようとは思っていない。
現在、花粉症の薬が効いているのか、気分がほわほわしているため、続きもしない話をそのままに書いてみてしまったのだ。
今、この話をどうこうするかと考えたとき、一番無難なのが「つぶつぶ入りコーンポタージュ」の方面だろう。
誰でも缶入りコーンポタージュのつぶつぶコーンについては、一家言あるはず。
その事柄に触れることで、面白くなかったとしても、いくらかのシンパシーは得られるに違いない。
一方、むしろ話をすぼめてみる、というのはどうだろう。
「おっさんがコーンポタージュを飲んでいることは、不快だ。」
↓
「おっさんが何か飲んでいることは、不快だ。」
↓
「おっさんは、不快だ。」
↓
「おっさんだ。」
やった。
おっさんが見つかった。
この話をすぼめてみたら、おっさんが見つかった。
今、電車のドアから外をうかがう、缶を手にした人物は、おっさんだったのだ。
うすうす、気付いていた。おっさんだって。
でも、本当にそうだなんて。
あ、おっさんの持ってる、缶。
コーンポタージュじゃないか。
なんだよ、今コーンポタージュのこと、書こうと思ってたんだよ、おっさん。
やさしいな、おっさんは。
やや、しかもつぶつぶ入りじゃあないか。
本当にやさしいな、おっさんは。