暑い夏

どうなのかは異論あると思うが「世界で一番暑い夏」というのは、それを言ったのが北半球ならその範疇で「一番」ということなのだろうか。

本当に一番かは、半年後の南半球の調子を待たなければならないのではないか。

いや、それとも半年前の南半球の気温を鑑みての「世界で一番暑い夏」発言だったのだろうか。

そうなると考えないといけないのが「季節は北半球が先か、南半球が先か」という点で、おそらく後の方が「世界で一番暑い夏(です!)」と言え、先の方は「世界で一番暑い夏(の可能性がある。あと半年後に判明します)」になるわけだ。

と、いつも不思議なのが「日本が夏のとき、オーストラリアは冬です」というやつで、あれは「日本もオーストラリアも夏ですが、オーストラリアの夏は寒い」ということではいけないのか。

一律「太陽に対しての地球の位置」でそれを決めたらいいんじゃないだろうか。
と思ったりもしたが、よくよく考えてみると、季節というのはふわふわしていてよいわけで、冬が夏だろうが暑かろうがあまり問題ではない。

何かしらのアニメのキャラクターの名前の「冬」のところを「夏」にしてしまったら、だいぶ印象変わるかもしれないが、明日の気温はたぶん、平年と変わらない。
そこで変わるのだとしたら気候というものは何かしら意識を有しており、しかもそのアニメに感慨を抱く。
誠に人間的な意識を有していることを示しており、これは気候の新たな研究の余地、あるいは気候が擬人化されることが先か。

ともかくその後の気候がどうなるか。
気にならないこともないが、そうか。
せっかく意識を有しているというのなら聞いてみたい。

気候として、北半球と南半球のこと、どう思ってる?

鳥肌

1番とまでは行かないまでも、繁栄っぷりや天敵のなさを鑑みて、かなり生物として成功。
世界を席巻している人類においても、まだまだ進化途中。

そう思わせる要因の一つはやはり「鳥肌」だろうか。

すなわち、鳥肌ごときでフバーハ唱えたつもりになっているわけだ。

ただ気を付けたいのは「鳥肌」が何か、もっと重要な「対寒さ」対策の副産物であるという可能性。

例えば、我々が鳥肌に対してフバーハかけたつもりになってんじゃないよと憤っている時、体の中ではもっと効果的な「対氷結」反応が進んでいる。
これは目に見えるものではないが、たまたまなんらかの理由で、あるいは過去の仕組みで、鳥肌が立つという可能性だ。

それならば、鳥肌の効果をすべて否定するのは少し乱暴な気もする。

しかし見方を変えると、それは「対氷結」反応に対してのブラフのようにも見える。
誰に対してのブラフかはともかく、そうなると鳥肌というのは効果がないどころか少しマイナスのイメージすら抱かせるものである。

よって、たぶん昔のアイドルとかは鍛えて、鳥肌立てないようにしていたんだろう。
一方で鳥肌実は、それは見事は、攻撃力も付与されそうなやつを立てることができるのだろう。

ところで、フバーハってなんでしたっけ。

おまえ、まるかじり3

【昨日からの続き】
「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」が、あったんですよ。
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「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」は全身が綺麗に残っており、まるで魚拓のようだった。
しかし、よく分からない点がある。
それは、実は「それで一匹の魚」という可能性はなかったか、というところだ。
骨格の解析などで「ほぼ間違いなく丸呑みで、捕食者と餌の二匹分だ」となるのかもしれないが、実はそう考えるでもなく「丸呑み中」と学者は考えてしまってはいないだろうか(遺伝子が残っていれば断言できるかも)。
おそらく、前後どちらにも泳ぐことのできる、実験的な、ベンチャー企業的な。
確か、カンブリア紀と呼ばれる期間では今日では見られないような、変な外見の生き物がいたらしい。
多分、魚はカンブリア紀よりもだいぶ後に登場しているのでそのときではないだろうが、魚類の誕生の中でもいなかったか、おためしが。
おためしで「前後に泳ぐため、こんなことになりました」というような、現在の人が見たら「丸呑みし途中」と判断してしまう魚類がいたかもしれないじゃないか。
あるいは「タイノエ」的な、一見捕食されているように見える「丸呑みされ側」が帰省中だったのではないか。
ごめん寄生虫。
そんな可能性も、化石の情報だけではあり得そうだ。
そうなるともう、何もかも疑わしくなってくる。
そもそも化石は、本当にその年代のものなのだろうか。
贋作としての陶器は、箔をつける(時代をつける?)ため、地面に埋めたりすることもあったらしい。
スーパーの干物を地面に埋めて、その上にメネデールを刺しておくと放射性炭素の半減期が狂ったりしないか。
実はカンブリア紀では高度な文明がすでに存在していて、我々が「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」だと判断したのは当時としての「ATMとカード」だったりしないか。
どうなんだそこへん。
こりゃあ宇宙人が情報操作のために化石を捏造している説も、ありえますな!!

おまえ、まるかじり2

【昨日からの続き】
「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」が、あったんですよ。
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で、気になったこと。
椎名林檎の歌で、写真を撮られなくないという旨の歌詞があった気がする。
それは写真としてその場面が残されることで、それと今後の自分が比較できてしまう。
その時の自分は明らかに写真の時より古く年老いており、それが否応なく証明されることがいやだ、という心情。
ということで、くだんの化石は大変なことになっている。
赤裸々である。
埋まっていればまだよかったのだが、発掘されてしまった。
最初から色あせた感じだっただろうが、ともかく何年も公開されてしまっている。
食事というのは、以前触れたこともあるが「見られると恥ずかしい」と感じる人は結構多いらしい。
それは人間の行動決定のかなり根本的な要素であるからで、確かにものを食べるということの構成をかいつまんでアナグラムってみると、もう何かほら、もうって感じのやつに置き換えられそうですらある。
「だえき」
「えんげ」
ほらもう。
そんなことになっちゃったかー、丸呑みし途中の魚。
唯一救いがあるとすれば、彼が年老いてしまったことを気にするものが一人もいないということだろうか。
が、化石のころからだと、だいぶ輪廻転生がはかどっているはずのため、今は人間でいるかもしれない。
その人は本当に、喉に魚の小骨が刺さってしまうことに困る人生であろう。
生まれながらに刺さっているっちゃあ刺さっているからである。

おまえ、まるかじり

「魚を頭から丸呑み、し途中の魚の化石」を何かの本で見たことがある。
言い方を変えると「口から魚の尻尾が出ている魚」になるわけだが、何もこんなタイミングで化石まで「持っていかれなくても」と思う。
確か化石というのは、かなり特別な状況でしか生み出されないものらしく、そんなレアケースの中で、丸呑みし途中という、魚の人生において短い時間が採用されてしまうとは。
もちろん僕が魚の生態を知らないだけで、結構な期間、魚を咥え続けているのかもしれないが。
どうであれ魚としても、どうせならもっとピシッとした状態で化石になりたかったことだろう。
丸呑みし側も、され側も。

7回

どうも人間というのは7回転ぶというのが相場のようだ。
もちろんこれは「七転八倒」と「七転び八起き」のことを言っていて、調べてみると意味の違いや漢字の由来など、知名度の高い言葉の割には知らないことも多い。
しかしわからなかった。
転んだ回数として7回が採用された理由が。
そのシンクロニシティーが。
一番ありそうなのは七転八倒と七転び八起き、どちらかから、もう一方が生まれたという経緯だ。
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「あいつ7回も転んだけど、そのあとは転ばなかったよ」
「でも、打ち所が悪くなくてよかったよ」
「もし変なところ打ってたら、まずいもんな」
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これが、かなり最短を攻めている「七転八倒と七転び八起き」の誕生だ。
それにしても7回である。
だいぶ転んだ。
昔の人も、ちょっと多いと思ったのだろう、7回は。
だから後世に伝えようとしたのだ。
転びようによっては致命傷になっていることもあっただろう。
そんなリスクを負った状態でも、彼は7回転んで、しかも起きた。
一つわかった。
七転八倒でも、8回目に倒れるためには起き上がらなくてはならないのだ。
ということで、ここに「七転八倒と七転び八起き」の時系列が判明した。
「7回転んだけど、起き上がった(七転び八起き)。また転んだんだけどね(七転八倒)」
彼はいつか、転ばない日が来るのだろうか。
それとも転びすぎて、肉塊に成り果ててしまったのだろうか。

おつまみ

なんと言うのか。
バーで出てくる棒状の、パスタを揚げたようなやつが好きだ。
あれはおつまみとしての位置付けなのだろう。
塩をあてて酒を飲むような感じを目指しているのか、やたら塩辛い。
あれが入っていたコップの中を見ると、いかに塩がぶっかけられていたかがよく分かる。
そして夕食を終え、かなり腹一杯でも食べられる、質量ゼロ感。
もちろん、あれがいくらか細いかといっても、こねてまとめるとチョコボールくらいの「塩玉」になるだろうが、逆を言えばその塩玉を30本に分けました。
ということで、晴れて人間の感覚ではほぼ認識できない質量になるのである。
仙人があれを食っても、仙人の資格を害さない。
ところで、あれは結局なんて名前なのだろうか。
このままだと、ヴォルデモートと同義だ。