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早口言葉や回文の、ちょっと無理した感じが好きだ。
それは本来、自分の考えや意図を主張するべきものが、二の次。
言いにくいことだったり、反対から読んでも同じであることが最優先なのだから、無理はしょうがないかもしれない。
ところで、無理が好きなゆえに、どちらかというと反対側。
「心に響く早口言葉」や「泣ける回文」というものがないか、気になる。
巻紙のことを言われても、そもそもそれが何かもわからないから心には響かない。
新聞紙と言われても、取ってほしいのかくらいしか思わない。
以前、だまし絵のことを書いたが、それと似ている。
だまし絵の悲劇
最優先されるものが、その本来の存在意義と違う時点で、一挙両得が難しいのは仕方がないのだ。
一方、二の次であった主張の方を気にしてみたら、こんな気分になった。
「隣の客が柿を持っていないので、渡すべきか」
「えっ、まだ竹やぶ焼けてないの?」
これはこれで面白いのだが、お気づきになられただろうか。
これらは、考えようによっては「心に響く」「泣ける」条件を満たしているのである。
「ところで隣の客、節子に似ているな」
「子どもの頃、竹やぶで火遊びしてたらボヤ騒ぎになりかけて、死んだばあちゃんに叱られたっけ」
結局のところ、相手の感情に訴えかけることというのは人によって千差万別であるから、すべての事柄は誰かの喜怒哀楽の琴線に引っかかってしまうわけだ。
そして、そうしたくない場合というものが人間にはひどく生じたことから「沈黙は金」という言葉が生まれたのだろう。
ということを言いたかったわけではないのだが、となると次に気になるのは「早口回文」の存在で、ここまでくるとロジカルに考えるべきだろう。
とりあえず日本語に限らなくてはならないだろうが、早口言葉を科学的に解析。
ちゃんと早口言葉の属性を帯びた回文というものがありえるものなのか。
ぜひ開発、アナウンサーの発生練習の一環に組み込んでもらいたい。

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