小さいころから妖怪の図鑑が好きで、今でも時々読んだりする。
気になることはいくつもあるのだが、今回は「小豆洗い」について。
こいつは「小豆を洗うような音を出す」妖怪で、一見無害そう。
「ゲゲゲの鬼太郎」でも、なんとなく鬼太郎サイドにこっそり参加しているという印象で、無害というか存在感が薄い。
ただ、妖怪的にはこの「存在感の薄さ」は重要なもので、科学的に理解されていなかった自然現象が、妖怪のせいにされていた昔、それは言い換えると「周りには怪異を及ぼすものがたくさんいるよ」ということでもあった。
しかし、そんな話を吹き飛ばすことが、僕が幼少より気にしていたことである。
こいつは、歌うらしいのである。
「小豆とごうか、人とって食おうか、ショキショキ」
ある意味妖怪らしい、怪しげな歌詞である。
水に流された砂の擦れる音、動物が砂利を踏んだ音、あるいは「小豆洗い」似の知らないおじさんが実際小豆を洗っていた音。
それだけの、存在感の無さ、無害さは、歌声というやや自然現象とは結びつらいことで薄まった。
そして、妖怪イメージは「人とって食おうか」で一蹴され、危険なやつにランクアップした。
それにしても「小豆とごうか」と「人とって食おうか」の落差である。
「俺とっては小豆を洗うことと人を食うことは同じようなことだ」
「朝飯前だ」
2行目は余計だったかもしれないが、なんだこのハードボイルド感は。
そして一番気になるのが、この歌のメロディーである。
「ショキショキ」が歌詞なのか実際の小豆をとぐ音なのか。
これも気になるが、僕が昔から一番気になっていたのが、メロディーである。
♪小豆とごうか
♪人とって食おうか
♪ショキショキ
水木しげるも、本当はこう書くべきだった。
どんなメロディーだったのか。
そもそも「歌う」というのが、今の「歌う」の感じではなく、句のような、都都逸のようなものだったのだろうか。
どちらにせよ、何か音源残ってないかな、と思う橋のたもとである。
月: 2016年10月
ダイヤル
先日行ったバーでは、14インチの液晶テレビで何作目かの007がやっていた。
もう、何が出てくるのか全然わからない名前のカクテルを前に、暇潰した喫茶店で読んだショートショートを思い出す。
それは「ダイヤルAを回せ」という有名な小説を書いた人のらしくて、僕はそれを知らなかった。
どちらかというと、「ダイヤルMを廻せ」は聞いたことがある。
確かヒッチコックのやつで、何かスパイっぽいなと。
ゆえにバーの007も含めて、今日はスパイの日だと思った。
それにしても、祖母の家にあったダイアル式の「黒電話」である。
それにアルファベットは振られていなかった。
おそらく、スパイが盛んな地域の電話には大概振られているのであろう、AやらMが。
しかし日本の多くのダイアル式電話にはない。
「ダイヤルAを回せ!」
「ダイヤルMを廻せ!」
「さもなくば、家族がどうなってもいいのか!」
スパイ映画っぽく、恐喝まがいにこう言われたら、日本人はどうしたらいいのか。
「うちにはダイヤルのAがないんだ!。本当だよ!!」
「もちろん、Mもない!」
「どうすりゃいいんだ!」
「もう全然Aないから、それに近そうな1でいいか!?」
「Mも全然ないから、なんとなく近そうな3でいいか!?」
名作「ダイヤルAを回せ」「ダイヤルMを廻せ」における、あのスリリングな名場面が日本ではこんなに牧歌的なことになってしまうのである。
スパイが盛んでなくてよかった、日本。
もちろん、実は盛んだったとしても、それに気づかれないというのはスパイ冥利なので、どちらにせよ、よかった。
ところで「ダイヤルAを回せ」「ダイヤルMを廻せ」ってどんな話なんすかね。