居間の隅にあった段ボールの中に、なぜか猫のエサ入れがあった。
中には銀色に光るものがある。
うちの猫は煮干しなんて食べたっけ、と思ってよく見てみたら、ねじだった。
ねじがなぜ、そんなことになっているのかも変だ。
しかし、エサ入れの中にあるだけで、銀色のものは煮干しだ、と認識してしまう判断の安直さには驚いた。
認識の慣性とも言えようか。
このままでは、僕はねじに付いたナットをくるくると外しながら「煮干しはワタを取ると苦みのないダシが取れる」とか言い出しかねない。
お味噌汁の具がナットとワッシャーとかなってしまう。
「鉄腕アトムの朝ごはんかっ!!」
「ロボビタンA和風味かっ!!」
この、それほどでもなく、さらに結構いろんなメディアで触れられている突っ込みは、近い将来にロボット差別として禁止されるのだろうか。
段ボールからエサ入れを取り出してみると、そもそもエサ入れではなかった。
僕の安直さは思っていたよりも原初的で、もう段ボールに猫以外のものが入っていたら、まずそれは必ずエサ入れなのだった。