先日、いろいろ作業をやっていると「百人一首」という言葉が浮かんだ。
その字面を、この作業や本来持つ意味、それらを除外した状態で考えてみると、結構すごいことになっていると思った。
「百人のデュラハンたちが共有している頭」
まず思いついたイメージはこれだ。
ただ、デュラハンがいまいち汎用性に欠けることくらい、僕はわかるので、違うことを考えてみる。
「百人一首とは逆ヘカトンケイルのことである」
汎用性というのは難しい。
ところで、ここで考え込んでしまった。
「百人一首とは逆ヘカトンケイルのことである」
「ヘカトンケイルとは逆百人一首のことである」
どっちがいいのだろうか。
どちらにせよ困ってしまうのが「この人、百人一首の事知らない」という、日本人としては奇跡に近い状況が生まれなくてはならないという点。
そして「ヘカトンケイル」がどんなものなのかを、逆に少しは知っている。
なかなか難しいが、それらの条件がそろったとき、人は上記のいずれかを口にする。
ただ、人に「百人一首ってなに?」「ヘカトンケイルってなに?」。
どちらがより聞かれやすいかを考えると、おのずと「ヘカトンケイルとは逆百人一首のことである」が有用だと思わる。
ただし、これは質問者も「百人一首のことを、例えばデュラハン共有として認識している」超絶勘違いを発動している必要があり、もうおなか一杯。
作業に戻ろうかというとき、また。
「百人一首とは逆ダンタリアンのことである」
なんだこっちのほうが合ってるじゃないかと画像で確認しようとしてみたら、僕が知っているのと違うダンタリアン、美少女がたくさん出てきた。
誰なんだ彼女は。
ただ、それはある意味、ダンタリアンっぽい気もするのだが。