「まるでリニアモーターカーのようだ」
ごめん。
今思いつく最先端のものがリニアモーターカーだったのだが、このように「比喩」というものは例えたいそのもの、ではない何か別のニューフェースが必要だ。
この場合はリニアモーターカーで、おそらくこの人は「えっ、付き合ったり別れたりを繰り返してたけど、こないだ結婚したの!?」みたいな前置きがあったのだろう。
僕が最近気になるのが「原始人の比喩」のようなもので、大きくは「例え対象が人工物か自然物か」。
深く考えると「比喩の例え対象はどこまでシンプルになるのか」というものだ。
例えば、先ほどのリニアモーターカーを、その速さを鑑みての例え対象として使用するとき。
そのリニアモーターカーがなかった時代はどうだったのだろうか。
「まるで未来の列車、名付けてリニアモーターカーのようだ」
「まるで電車のようだ」
「まるで蒸気機関車のようだ」
先見の明ありすぎの例もある。
しかし一つ言えるのは、いつか人工物から自然物に代わる時代的、文明的タイミングがあるはずである。
それは時代をさかのぼればもちろん例え対象はより古くなり、複雑な道具がなければよりシンプルなものになるということ。
「まるで未来の列車、名付けて蒸気機関車のようだ」
「まるで飛脚のようだ」
「まるで未来の職業、飛脚のようだ」
「まるで矢のようだ」
「まるで馬のようだ」
比喩の歴史を追うと、よりシンプルな道具になったり、人工物でなく生き物になったりするに違いない。
となると次に気になるのが「比喩を使うとき、人工物、自然物どちらのほうがナイスか」という点だ。
次回へ。