僕を知っている人の幾人かは、僕の地理の知識のなさを奇跡的だと表現する。
先週、一番心揺さぶられた出来事は「神戸は兵庫県にある」という事実を知った事だった。
それまでは、神戸は大阪か名古屋あたりにあるものかと思っていたが、どうやら兵庫らしい。
しかも、それはかなり有名な事であるらしかった。
すごいじゃないか、兵庫というところは。
猛省した。
そういえば名古屋は愛知県だそうだ。
愛知県は、僕の中の日本地図ではかなり南西に位置しているが、一方で名古屋は結構東京寄りと思っていたため、このカルチャーショックも大きかった。
自国の地理の無知さをカルチャーショックという言葉で表すな、という向きもあるかも知れないが、その自国の事がさっぱりわからないわけで、まさにこの言葉はぴったり。
様々な人の話を聞いてみると、どうやら僕の「愛知県」は、「愛媛県」と「高知県」の強烈な位置イメージが悪影響を受けてしまっているようだ。
=====
僕が、致命的に義務教育過程の「社会」をないがしろにしてきていたのが、ここにきて露呈しまくっている。
いや、いままでもかなり露呈していたはずだ。
ただ、電車に乗れば目的地には着くし、その辺を散歩している人に聞いてみてもいい。
言いたいのは、何か楽観的な、どうであっても楽しいだろうという根底が僕にはあるらしいことだ。
僕が神戸が兵庫にある事を知った時、確かに恥ずかしかったが、同時にすごくアハ体験だった。
今、アハ体験という言葉がすんなり出てきた事に驚いており、これがさらなるアハ体験を産み出しているが、とにかく兵庫の件は楽しかった。
僕は東京タワーに行った事がないが、もし今後行く機会があるとしたら、そのとき「神戸」の感じをやはり受けるような気がする。
もちろん、「東京」って名前に入っているから大まかな場所は分かっているわけだが、大丈夫だ。
「えっ、こんな曲がり角曲がったら東京タワーなの!?すげー」みたいな。