引き出し

「開かない引き出し」というのは、確かに「開かない金庫」、「開かない脱出口」。
「開かない心の扉」や「開かないまぶた」などの切実なやつに比べたら、まだ開かなくていい。
しかし、それにしても人類は「引き出しを閉じたときに中のものが突起したため、次回開かなくなる」という事象によく出会う。
中央線終電で開閉ドアに寄っかかってしまう酔っぱらいくらい、よく出会う。
開かなくなった引き出しの件については、多くの人が悩まされてきたはずなのに、今でも完全な解決には至っていない。
机メーカーは、あれを突けばかなり良いセールスになるのではないか。
幼少の頃、僕はこんな経験をした。
例によって開かなくなった引き出し。
長いものを入れたわけではなかったのだが、中が整頓されていないので、まあ何か位置が変わって突起してしまったのだろう。
と、原因が分かってもたいがいは「思い切り開ける」しか解決法がない事は誰しも経験則として知っているだろう。
僕も小さいながらにそれを体得していたため、それに習った。
するとどうだろう。
開けた引き出しが、ちょうどサランラップで包まれたようになっていた。
これはどういう事かと言うと、引き出しに入っていた「ポリバルーン」が、引き出しのつっかえとなっていた突起と作用を起こしたらしく、すごい力で押し出されたらしい。
それが引き出しと机の隙間一面に、引き出しを開いた分だけ一面に貼られた、ということらしい。
机の中のものひとつひとつが、取り出そうとするときに淡い虹色の膜でコーティングされるわけで、なかなかの損害だった。
まあ上記、うそなのだが、せっかくなのだからもう少しリアリティのある嘘、あるいはよりうそっぽい嘘をつくべきだった。
リアリティのある、といえばやはり鉛筆か。
引き出しの中で鉛筆が突起し、思い切り開けたら折れた。
これは非常にシンプルで、嘘とはいえ、ただ忘れているだけで本当はしでかしていました、とも言えるくらい、誰しもやっていそう。
絵の具なんかもいけそうだ。
「歯磨き粉探して机開けたら、ちょうど白と赤と青の絵の具が引っかかってたらしくてさ。机の中アクアフレッシュみたいになっちゃったよ」
なお、絵の具の例は以下の観点で嘘っぽさが強い。
・3つの絵の具が引っかかっている点
・歯磨き粉を探すために机を開けた点
一方、よりうそっぽい嘘となると、ドラえもんか。
中でドラえもんがひっかかったため、開かない引き出し。
開けないとドラえもんとは出会えず、思い切り開けようとするとドラえもんが壊れてしまうかもしれない。
机と引き出しの隙間の厚さのドラえもん。
かつで、これほどドラえもんの厚さが気になったことがあっただろうか。
なんというパラドクス。
まあ、この嘘でひとつだけ言えるとすれば、その引き出しがタイムマシンのあるところのやつだったとすると、ドラえもんどうひっかかっちゃって
ちょ、ちょっと待って!!。
アクアフレッシュもドラえもんも「白と赤と青」なんだけど!!。
何このシンクロニシティ!!。
宝くじとか買えばいいの!?。

ハードル

「ハードルが高い」

「くぐればいいじゃん」
これは、もう大丈夫だ。
そんなにぎょうさん、入らない。
十分堪能した。
「ハードルが高い」

「と思っていたら、天橋立を見る人だったよ」
これは、新しい。
今のところ、聞いた事がない。
そうでしたかー、って気になる。
「ハードルが高い」

「そこがかわいいところでもあるんだけれどね」
これは、うらやましい。
いろんな引き出しがあるんだなー、と思う。
「ハードルが高い」

「誰だっ!!」
これは、殺人。
体育倉庫連続殺人事件の2人目被害者回想かな、と感じる。

コロッケ

じゃがいもが好きだ。
団塊の世代は「幼い頃食い過ぎた」という理由で、あまり好かない人も多いと聞く。
だからじゃがいもが好きなこともあり、僕は団塊の世代じゃない。
コロッケや肉じゃがもいいのだが、何となく好きなのは「ただ茹でたもの」だ。
あの、砂を食んでいるかのようなでんぷん粒。
口の中がぱっさぱさになる感じ。
ちょっと古いジャガイモだろうか。
誉めているようには聞こえないかも知れないが、なんかあれがいいのだ。
考えてみれば「口の中の水分を取られるもの」が好きな気がする。
甘食やオールドファッション、バームクーヘンを口一杯のほおばって、「ぶふっ」ってやりたい気がする。
そして紅茶で流し込みたい。
この欲求はおそらく、ビールにおける「夜までずっと我慢していてやっとこ飲める」というシチュエーションと似ている。
「窒息しかけていて、やっとこ流し込める」
一点違うのは、ビールが要求の対象であるが、じゃがいも他は欲求達成の快感を高めるためのハードルだという事である。

ウスターソース

僕はかなりウスターソースが嫌いで、コロッケがあるのにソースはウスターしかないなんて状況だと、多少の破壊衝動すら覚える。
コロッケに。
やはりとろみだ。
ソースにとろみがないと、付けた気分にならない。
ウスターソースだと流動性が高すぎて、かけた全量がコロッケを通過して皿に溜まる気すらする。
ただこれはコロッケ主体に見た意見であって、ウスターソースにしてみればこう思っているかも知れない。
「コロッケのほうが、付けられる努力をしていない」
ということでコロッケ側でどうにかウスターソースをとどまらせたいと思う。
・衣に活性炭を混ぜておく
・底の深い皿にウスターソースを満たし、そこにコロッケダイブ
・ペトリ皿をコロッケにする
どれもウスターソース納得のとどまり度だと思う。
で、それにしてもペトリ皿のペトリってなに?。

頼みすぎないようにする方

「そこのソース取って。僕のハムカツがなくなる前でいいから」
これは少し謙遜している。
無理に言えば「頼みすぎないようにする方」である。
「そこのソース取って。僕のハムカツがなくなっても、必ずな」
頼みすぎているわけではないが、ちょっと高圧的なところが気にかかる。
似たところでは「ソースを取ってくれなくていい。ただ俺は追う。どこまでもな」がある。
「そこのソース取って、10分後くらいにティッシュ取って、あと洗濯物たたむのが次に来るから」
これは頼みすぎである。
しかも先見の明すぎでもある。
「うまいっ。このハムカツ、ソースなくてもなんか味付いてるっ」
謙遜を通り過ぎて、無理をしている。
ソースのないハムカツなんて、朱肉のないハンコのようなものだ。
「そこのソース取ってほしいけど、難しいようならウスターソース取って」
これは議論になることうけあい。

ピッチャー

大規模な飲み会のとき、時として出てくるのが「ビールのピッチャー」だ。
飲み会の冒頭では勢いよく減っていくそれだが、誰かがビール以外を頼み始めたら、もう誰も飲まない。
ああかわいそうだ。
さっきまでは「みんなのもの」だったのが、今では「誰かのもの」なわけで、あとは方向も定まらぬ酔っぱらいが分けも分からずときどき飲むくらい。
まあ僕がそうなのだが。
このような「ピッチャーで出てくるビール」の話はみんな思うところがあるのだろうか。
検索すると結構出てきて、やはりその量や炭酸が抜ける事、ぬるくなってしまう事が冷やかされている。
逆を言えば「ピッチャーで出てくるビール」とは「量、炭酸が抜ける事、ぬるくなってしまう事」が全てである。
一見、「炭酸が抜ける事、ぬるくなってしまう事があっても、量があるからね」と収支はうまく収まっているように考えられるが、一方で「炭酸が抜け、ぬるくなってしまった多量のビール」とも取れるので、まとめるとちょっとピッチャーのビールは、ね。
せめてあまり頼みすぎないようにする方に、僕は10ペリカ。

ジャイアンツ

僕の名前は野球のジャイアンツのある選手から取られた。
そのことを知ってからは、何となく野球は巨人ファン、ということになってしまった。
ファンとして、夕方やっているナイターをテレビ鑑賞する。
他に見たいテレビがあるときなどは率先してナイターは見ず、ファンとしてのプライドがあるのか。
巨人戦を見たがる父親とテレビ所有権を争ったりもする。
そういうところはちゃんとわきまえたファンだった。
ついでに言うと、ナイター時間が延長になって見たいテレビが先送りになる事を良しとしなかったり、ピッチャーが投げようとしたけど一旦間を空けたときに憤りを感じたり、抑えだがなぜか打たれてしまう投手が出てくると疑問を覚えた。
延長がやっと終わったと思ったら続いてのニュースでその結果を見ようとする父親にはファンとして正しく対峙したし、お土産用に販売されていた巨人軍のサインボールは、土台と木工用ボンドでくっつけたし、応援歌は西武ライオンズのが好きだった。
そして何より、名前が巨人の選手と同じ。
まことに自立した巨人ファンであった。

裏がフェイスハガー

昨日のブログにて、カブトガニを形容するときに使用した「裏がフェイスハガー」。
確かフェイスハガーは映画「エイリアン」で出て来た宇宙生物で、熊手みたいなやつだった。
その名の通り、人の顔に引っ付いて悪さをしたはずだ。
ふと、「裏がフェイスハガー」というものは他にあるのだろうかと気になった。
結論から言うとない、あるいは節足動物の大半となるのだが、とにかく考えてみたくなったのである。
「表がジャイアンツ。裏がフェイスハガー」
いきなりやってしまった。
「ちょっとずつ内容をずれさせていってオチとする」やり方ができなくなってしまった。
まあ、せっかくなので説明すると、球場後ろのスコアボードに「G、F」となっているわけである。
そしてフェイスハガーの帽子には「F、H」が重なって書いてあるわけである。
「野球のイニングの事を表、裏という点だけで、「裏がフェイスハガー」を持ってくるのは稚拙過ぎる」
もっともである。
しかし思い出してみてほしい。
フェイスハガーは驚くほど、球を掴みやすそうな形をしている。
知ってた?。

化石

小さいなりに不思議だったのが「生きた化石」という言葉で、例えばカブトガニ。
あの、表はエイみたいで、裏がフェイスハガーみたいなやつである。
水族館でそれを見ると、近くの案内板には「生きた化石」とある。
これは結局「昔から姿形が変わっていません」ということらしいのだが、僕は気になっていた。
「こいつは生きてるんだから、化石ではないのではないか」
僕にとって化石というのは、石みたいで、骨しか見えなくて、こう「びたーん」ってなっていて、何よりも死んでる。
「生きた」という言葉と「化石」という言葉がつながっていることに、どうしても違和感があった。
そして「生きた化石」という字面からか、絵本の「100万回生きたねこ」を思い出させる。
化石も、絵本の顛末のねこも、結果的には死んでいるのだが、この背景の差はなんだ。
とりあえず入れ替えてみよう。
「ねこ100万回」
違う。
化石とねこを入れ替えてみよう。
「生きたねこ」
いるいる。
「100万回生きた化石」
何の事か分からない。
せめて「100万年前生きてた化石」だったらよかったのに。

シーラカンス

シーラカンス発見に至る話が好きだ。
名前は忘れてしまったが、どこぞの学芸員が漁で偶然に引き上げられたシーラカンスを見て保存し、その詳細を専門家に連絡。
化石としてシーラカンスを知っていた専門家は「化石でしか知られてないのに、生きてんの!?」とびっくりしたというのが、まとめた話。
確かシーラカンスの学名には、その「どこぞの学芸員」の名前が入っているはずだ。
この話の好きな点は、専門家、そりゃあびっくりしたよねというところである。
失われて久しいと思われていたものが、実はいました。
結構いましたというのだから。
これは言い換えると、ずいぶん前になくしたハンコが引き出しの奥から出てきました。
しかも20本くらい出てきました、というようなもので、何か脱税の予感。
あるいはゆっくりと消えていくテーブルの上のコップに、何度目かのVTRで気づきました。
しかもテーブルクロスの柄も変わっていました、というようなもので、何かアハ体験。
ともかくびっくりしたのだろうと思うと、つかまってしまったシーラカンスも浮かばれると思う。
深海に住んでるだけに。
な?
な?