リンケージ、たんす。

たんすというと、あれだ。
よくテレビの問題で出てた「たんすの単位」だ。
確か正解は「棹」で、たんすのことは「ひと棹、ふた棹」と数えるはず。
たんすは「いっこ、にこ」でも「いち台、に台」でも「いちたんす、にたんす」でもないのである。
これがこう話としてあがるのは、単にその「棹」という一見たんすと結びつかないのが変、という点が唯一の理由だろう。
本当は、誰もたんすの単位なんてどうでもいいと思っている。
しかしこの「たんすは昔分解して、部品を棹に通して持ち運んでいた」という点に意外性がある。
今はたんすを分解して持ち運ぶ人はいないだろう。
そのままどうにかして持っていくか、ハードオフに持っていくか。
まあ持っていくわけだが、分解はしない。
故に、もうたんすが「棹」などと呼ばれる筋合いはたんすにはなく、しいて言うならばそれこそ「いちたんす」や、持ち運び手段に注目するなら「いち軽トラ(軽トラで持ち運び)」や「いちひとり(人間で持ち運び)」が妥当なのである。
ということで今でも人々がたんすを「棹」と呼び続けるのは、せいぜいその意外性を知っているか知らないかのボーダーを楽しむためのものであるに過ぎない。
せめて、昔人々が大雨で川に流された時、分解したたんすの板を奪い合ったなんて話があれば、たんすは「あ、このたんすは20カルネアデスの板だね」なんて言えたかも知れないのに。
でも、正直そんな由来や史実、妄想はいらないですね。

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